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ふところにチワワ

キックボードに、両腕からいくつかの買い物袋を下げた小学校高学年くらいの坊主頭の少年が、同じく坊主頭の中学年くらいの弟を乗せて走っている。いい光景だな、と思ってよく見ると、少年の懐にはチワワが顔を覗かせていた。犬までいるのかよ!と思って少年を見やると、彼もこちらに目配せをして颯爽と滑り去っていった。

夕方(とはいっても夏なので昼間みたいに明るい)のアジア人街でうろついていたときに目にした光景が妙に印象に残っている。多すぎる荷物、2人と1匹乗りというちょっと「いいのか?」と思ってしまうキックボードの使い方にパワーを感じたのだと思う。危険には違いないけれど、その確かな生活感に、微笑ましさすら感じる。彼らはいつもそうやってお遣いにいっているのだろう。

ぼくはかなり慎重派で、小さい頃からあまり無理はしないほうだったし、説明書の類もよく読み、「正しく」使おうとする。おかげで大きい怪我もしたことがない。いかにも平成のもやしっ子である。そんなぼくが、誰かが、ともすると危険な規格外の行動をしているのを目撃した時、反射的にする反応は2種類だ。眉を顰めて目をそらすか、憧れのまなざしで見つめるか。もちろん今回は後者に近い。確かに危険運転なのだが、彼らの姿の説得力に思わず唸ってしまったのだ。

キックボードを目で追いかけながら、ぼくはしみじみとこの街が好きだと思った。この都市のどこよりもむきだしの生活がある。澄まし顔の観光地や欲望渦巻く繁華街とはまた違う輝きがあるのだ。昔滞在した時はなんだかごちゃごちゃしているなとしか思わなかったのに、今は人々の暮らしが混じり合って混沌となっている通りの一つひとつが愛しくてたまらない。ぼくはどうやら歳をとってから感受性が発達し始めたようなので、この魅力に気づくのが今になってしまった。今も情緒が育っているようで、数年前に全然分からなかったことが急にわかったりする。若い頃から感受性の鋭さを武器にできなかったのは残念だけれども、これからも好きなものや感じいることが増えると思うと楽しみだ。

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