適量がわからない!
化粧品の適量はむずかしい。「適量」なんてわからない。パールひとつぶ、サクランボ大、500円玉といわれれば大体のイメージがつく(パールの大きさなんて知らないけど)。最近はパッケージに使用量の目安として円が印刷されていたり、「1回あたり3プッシュをお使いください」と誰が使っても迷わないように明示されていたりもする。一律の基準はとても助かるけれど、人によって肌の表面積も違うから、本来ならばそれぞれの「適量」があるはずだ。
ぼくはここ5年ほど、こちらのオーガニッククレイソープを使用している。クレンジングもいらないし、丁寧に作られたよい商品だと思う(以下に続けて書くことから誤解しないでほしいのだけれど、長い間使っていることから分かるように、ほんとうに一押しの商品だ。ぜひ一度使ってみてください)。
話を戻すと、ぼくの肌は筋金入りの乾燥肌だ。保湿をしても時間が経つと口元や頬が粉がふいたようになるし、ベースメイクが馴染んだという経験がなかった。この事態を打開すべく、ぼくは当時のツイッター(現X)で話題になっていたこの石鹸に飛びついたのだった。付属の説明書には洗顔後、通常はほんの少しの化粧水をつけるだけでよいとあったから、それに倣い、ぼくは本当にすずめの涙ほどの化粧水だけをつけていた。石鹸のおかげで一番悩んでいたときよりもましになったものの、やはり空気が乾いた日には皮が剥けるし、ファウンデーションなんてもってのほかという状態が続いた。おそらく、健康な肌の人は数滴の化粧水のみでほんとうに充分なのだと思う。でもどうやらぼくの肌はもう少し外部からの手助けを必要としていたようだ。
ぼくは明文化されたルールを重んじるほうなので、それでもしばらくは説明書どおりのやり方を続けていた。あるとき、実家に戻ったタイミングで弟の基礎化粧品を借りて「適量」塗布したところ、目に見えて肌の調子がよくなった。そのとき、もしかしたらいろいろな保湿剤をつけて保湿するといいのではないか?という気持ちが芽生えたのだ。しかし、長年クレイソープのSNS上のレビューを見て培った石鹸だけで潤う肌への憧れ、「高い基礎化粧品なんて使わない、保存料の上乗せになるだけ!」という価値観は手強かった。元々保湿ケアを頑張っていた時も皮剥けに悩んでいたし、石鹸と化粧水のみにした後に乾燥に耐えかね使った薬用バームやクリームなども効果が薄かったという経験も手伝って、基礎化粧品には懐疑的だった。
基礎化粧品をしっかりと使うようになったのは、それからまたしばらく経ってのことだった。弟の化粧水をつけて以来、ぼくはいろいろなものを少しずつ試し、アルコールが入っていると肌が荒れてしまうことや、オイルと自分の肌とは相性が悪いことを学んだ。また、自分の基礎化粧品の適量は、思っていたよりは多いことにも気づいた。そして今、コンシーラーが常人並みに馴染み、パウダーを叩くことができる肌を手に入れた。
ぼくの顔の肌の旅で学んだことをまとめると、結局、美容へのアドバイスでうんざりするほど耳にする文言を繰り返すことになる。「自分に合ったものを、適量つけること」。それが簡単に見つかれば苦労しないのだが、ぼくのようなわがままな肌をもつ人間は幾多の曲がり道を経てとりあえずの正解に辿り着くことになる。また、今も暫定的な答えに過ぎないため今後も旅は続く。やはり自ら試行、観察、評価を繰り返して地道に合うものを探していくことが大事らしい。
若干「洗脳が解けた」ような書き方になってしまったけれど、重ねて言うがここで話題にしたクレイソープ自体は何も悪くない。非があるとすれば、SNSのキャッチーな文句を読み自分もこれで「完璧な肌」に近づくと信じたくて、モデルケースにだけ目を当てて自分の肌の状況を鑑みずに盲目的に指示に従っていたぼくのほうだ(実際、石鹸の製造者の方も肌に問題があるときは皮膚科に行くようにすすめている)。祈りのようなスキンケアは安らぐが、自分の肌をはじめ身体のコンディションをよく観察し、足りないものを補っていくという気の遠くなるような作業を怠ってはならない。