傍流のファシリテーション、創発を求めて
「テラロック」という多様な個人が交わる場づくりをしている寺西康博です。テラロックのこれまでの歩みについては、こちらのnoteに書いています。
これまで13回開催してきたテラロックでは、3名ほどのゲストを招いてトークセッションをすることが定型になっています。ファシリテーターといわれる進行役は、原則、わたしがします。この役割がすごく好きなのです。
テラロックの活動をはじめてから、イベント・研修の企画やトークセッションの進行役を依頼されるようになりました。なかには「60分のトークセッションを6本連続で進行する」という地域情報誌の企画がありました。
これが、わたしにとっては至福の時間でした。そのくらいファシリテーターという役割にのめり込んでいたのです。やりたい・できる・求められるという3条件が満たされている、と感じていたからかもしれません。
そんなわたしは、「ファシリテーション」について、関連する本を何冊か読んだくらいで体系的に学んでいません。企画ごとに、主催者、登壇者、参加者、そして自身のことをあれこれと考え、実践の中で試行錯誤してきました。
そして最近、自分が「創発」を追い求めてファシリテーションをおこなってきたと考えるようになりました。わたしが目指す「創発」とは何か、そして「ファシリテーション」にどう向き合ってきたかについて、7年にわたる活動を振りかえり、述べます。
ファシリテーターの役割
そもそも「ファシリテーション(facilitation)」とは何でしょうか。ラテン語で「簡単な」を意味するfacilが語源であり、そこから「容易にすること」「円滑にすること」などと紹介されています。
そのほかにも定義は様々ありますが、わたしが最もしっくりくるのは、
という定義です。
この定義によるならば、「ファシリテーター」は、一般にイメージされる「会議や議論をスムーズに進めるための中立的な役割」よりも広範な役割が求められます。あらゆる場に多様なファシリテーターがいて良いはずですし、一人でその役割を担う必要もないのです。
「役割の固定化」に直感的に気がついた時、こちらのnoteを書きました。
問題の一部は自分
特にファシリテーターに求められる「中立的」という言葉にずっと違和感がありました。テラロックでは、簡単に解決策が見つからない問題をテーマに取り上げてきました。そのような問題に向き合うとき、中立的でいることは、問題を自ら遠ざけているように感じました。
もちろん遠くから問題の全体像を俯瞰することや中立的に対話をうながす存在は大切です。しかし、テラロックでわたしは、向き合う問題の中にいるように心がけています。その背景には自分を変えてくれた過去の出来事があります。
28歳のとき、かけ離れた価値観の人と出会い、自分自身を別の視点で眺めることができました。それにより、自分には関係ないと思っていた問題の一部を構成しているのは自分だと気がつきました。
自分が変わる必要があるとわかると、思考と行動に変化が起きました。その変化はまわりに伝播することも知りました。自分が変わればまわりも変わる、のです。わたしは、向き合う問題の中にいることで自分に変化を起こそうとしているのです。
場づくりの原点
わたしがはじめてトークセッションのファシリテーターをしたのは、職場の若手職員で企画・実行した2018年のイベントです。170名ほどの若手公務員が参加し、選りすぐりの登壇者たちの話に耳を傾けました。
なにものでもない自分ができることは「事前準備を徹底すること」だけでした。登壇者の発信や過去のインタビュー記事を読みあさり、その思考をなぞってみる。加えて、ファシリテーションに関する書籍を読み、進め方の型や注意点を確認しました。
知識や経験が足りないなかで、イベントに対して「だれよりも時間を投資」することは、イベントへの貢献とともに自らの成長につながることを知りました。テラロックをはじめてからも、その姿勢を継続しました。
18年のイベントは、わたしのファシリテーターとしての原点であり、理想の場のひとつでもあります。感覚的な話になりますが、トークセッションの最中、個々の発言が会場全体と調和し、全体でトークを進めているように感じたのです。
まるで、個々の思考の枠組みが外れ、人と人とを隔てる境界がなくなったかのような空間でした。そしてその空間が個々に影響を与えているかのようでした。実際に、その場にいた人どうしの共振現象が起こり、その後の多くの実践につながりました。
みんなで進む「創発」
振りかえると、その共振現象が「創発」では、と思うようになりました。
「創発」の定義は、
とされていて「全体が部分の総和にならない」特性があります。
そのような場を追い求め、2019年からは、組織ではなく個人としてテラロックを開催してきました。テラロックでは「肩書きを脱いで」参加できる、オープンでフラットな場づくりに腐心しました。加えて、話し手の「自動運転モード」を断ち切ることを心がけました。
「自動運転モード」とは、すでに形成された枠組みの中で、自身の思考や意見が半ば自動的に再現されている状態を指します。
実際に、わたしが話し手になった時にこのモードに入ると、意識が自身に向いてしまい、他者の意見を受け入れ他者の視点で物事をみることができなくなります。自身の思考の枠組みを外せず、場のエネルギーを増幅させることができません。
ですから、「自動運転モード」を断ち切ることで、話し手がこれまでに話したことのない言葉を引き出し、それらの相互作用による共振現象、創発を目指します。ひとりではなくみんなで進むのです。
安易に分かろうとしない
簡単に解決策が見つからない問題がテーマですから、もちろんその場で答えは出ません。にもかかわらず、テラロックをはじめて最初の数年はトークセッションを「どうにか収束させよう」と躍起になっていました。
イギリスの詩人ジョン・キーツが唱えたネガティブ・ケイパビリティ(事実や理由を性急に求めず、不確実さや懐疑の中にいられる能力)という概念があります。これを知ってから、安易に分かろうとする姿勢をあらため、より深い理解を目指すようになりました。
以来、テラロックでは予定調和なし、筋書きによらない即興のセッションを心から楽しめるようになりました。収束ではなく創発に焦点をあわせ、その瞬間瞬間の変化に適応し、新たな思考の枠組みをつくりだすのです。
ファシリテーターであっても時には自身の意見を述べ、思考と思考とが共振し、増幅する手助けをします。それらを書きとめ、記事として発信してきました。
混沌から生まれる創発
書きとめることで、数年後に振りかえると新たな発見があります。たとえば、2019年に開いた第一回テラロックの記事タイトルにある「新たな価値は混沌から」の一文。会の冒頭、目的や狙いが定まらない主宰者に、当惑する80名。その空間は「混沌」そのものでした。
そこから、会に参加した個々人の発言により、場は混沌から秩序へ、そして秩序から混沌へと、混沌と秩序のはざまで絶妙なバランスを維持しました。気がつけば、追い求めた「全体が部分の総和ではない」創発の空間が生まれました。
テラロックに限らず、対面/非対面、柔軟/硬直、開放/閉鎖、積極/慎重、多様/同質などあらゆる場でファシリテーターを経験する機会に恵まれました。「登壇者と参加者の発言量を近づける」「参加者に登壇してもらう」など創発を起こすために細かい試行を繰り返しました。
当初、テラロックは、やむにやまれぬ衝動と固定観念への反発から、いきおいではじめました。行動が先にあり当時は思考も経験も追いついていませんでした。それでも、行動したからこそ、その後に思考が深まり、数多くの経験につながりました。
「経験は思考から生まれ、思考は行動から生まれる」
これからも創発の場づくりの探求を続けます。
連絡は下記にお願いします。創発の場づくり、ぜひ、ともに実践しましょう!