地方活性化は戦国時代、幕藩体制を参考に
「デジタル田園都市国家構想」は必要な取組を提示しているが、それだけでは地方活性化実現には覚束ない。地方活性化に本気で取り組むなら、我が国の場合は戦国時代、幕藩体制などが参考になる。国と地方の関係が変わってこそ、デジタル技術が活きてくる。デジタル技術を活用した製品やサービスを提供する企業の事業機会が広がる。
「デジタル田園都市国家構想」だけでは不十分
岸田文雄内閣が唱える「新しい資本主義」における成長戦略の一つとして「『デジタル田園都市国家構想』などによる地方活性化」が挙げられている。「新しい資本主義の主役は地方です。『デジタル田園都市国家構想』は、デジタル技術の活用により、地域の個性を活かしながら、地方を活性化し、持続可能な経済社会を目指すものです」(首相官邸サイト、2023年3月31日閲覧)とのことである。
確かにデジタル技術の活用は様々な可能性を広げるであろう。しかしながら、関係者は承知の上だと思うが、「デジタル田園都市国家構想」の推進は有用ではあるが、それだけでは地方活性化は成し得ないであろう。
地方活性化は実現できていない
戦後、我が国では何度となく地域の発展が唱えられたが、一向に実現する気配がない。
1962年に閣議決定された「全国総合開発計画」(いわゆる「全総」)は、「地域間の均衡ある発展」を基本目標として掲げた。つまり、60年以上前の時点で既に地域間の不均衡が大きな問題となっていたのである。全国総合開発計画は5次にわたって策定され、「その根底に流れる共通の課題は、経済成長の過程で深刻化した人口・諸機能の特定地域への過度の集中と所得水準等の地域間格差を是正し、国土の均衡ある発展を図ること」(※1、※2)であった(※の内容は文末に記載)。
その後、人口減少・高齢化、国境を越えた地域間競争、環境問題の顕在化、財政制約、中央依存の限界などを踏まえ、全国総合開発計画の根拠となる国土総合開発法を抜本的に改正した国土形成計画法が2005年に公布された。「全国総合開発計画」に代わり「国土形成計画」(全国計画と広域地方計画がある)が策定されることとなり、2023年3月現在で2回策定されている。
図の全国総合開発計画、国土形成計画の基本目標や開発方式等を見ると、表現の仕方や目指す方向性については変化があるものの、最初の全総で掲げられた「地域間の均衡ある発展」が実現できず、「人口・諸機能の特定地域への過度の集中」「地域間格差」が一向に解決できていないことが窺われる。
図:全国総合開発計画、国土形成計画(全国計画)の概要
「デジタル田園都市国家構想」は国土形成計画などを踏まえつつ、デジタル技術進展の成果を地方活性化に活かそうとするものである。内閣官房サイト「デジタルの力を活用した地方の社会課題解決」では、「地方に仕事をつくる」「人の流れをつくる」「結婚・出産・子育ての希望をかなえる」「魅力的な地域をつくる」の4つの重点を挙げている。主な施策としてそれぞれ「スマート農林水産業・食品産業」「『転職なき移住』の推進など地方への人材の還流」「デジタル技術を活用した子育て支援等の推進」「公共交通・物流・インフラ分野のDXによる地域活性化」などを挙げており、実現すれば魅力的であるし、技術的には実現可能であろう。
しかし、これらの施策が実現したとしても、持続的な地方活性化に繋げられるかは心許ない。中央集権体制を物理的に具現化している東京一極集中を、根本的に解消しようとしているようには思えないからだ。
戦国時代、幕藩体制を見習え
我が国では何かといえば諸外国の事例を参照したがる傾向がある。そのこと自体を否定するつもりはないが、自国の過去の事例にももっと目を向けて良い。地方活性化という観点では戦国時代や江戸時代の幕藩体制を見習うのが我が国の国情に合っている。それ以前の時代も同様に参考になるが、多くの人がドラマ、小説、マンガ、ゲームなどを通じてある程度のイメージを得やすいという意味で、戦国時代、江戸時代は参考にしやすいと考える。
(1)中央集権体制は明治以降
そもそも我が国で中央集権的な体制がそれなりに整えられたのは明治以降であり、我が国の伝統に根差したものではない。日本史上、中央集権的な体制は何度か志向されたが、そのほとんどが画餅に帰している。教科書的には、奈良時代に「大宝律令」で天皇による中央集権体制が確立したとされているが、東北、関東、南九州など都から遠い地域においては大和朝廷による支配が徹底していたわけではない。平安時代には、中央政府側から見れば治外法権地帯と言える貴族による荘園化が進み、中央集権体制は形骸化している。従来の日本列島は地方分権に適した風土なのである。
しかしながら、幕末期の欧米列強の脅威に対して、我が国の独立を守り自尊ある国家を維持するために、急速な富国強兵策の遂行が求められた。一気に国力を高めるためには重点分野に資源を重点配分する中央集権的な体制に優位性があり、明治期の日本は東京を核とした中央集権体制の構築を進めていった。そうした努力の甲斐もあって、日本は欧米の植民地化を回避し、第一次世界大戦後には五大国の一角を占めるに至った。
第二次世界大戦は時局の読みの誤りと指導部の官僚化による錯誤などにより敗戦に至り、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による各種の改革が実施された。しかし、戦前からの中央集権体制は維持されて今日に至る。あるいは戦前に目指していたものが昭和末から平成に入って完成の域に達したとも言える。
(2)戦国時代は完全に分権
戦国時代は、織田信長が1573年に室町幕府十五代将軍の足利義昭を京から追放するまでは、権威としての中央政府は存在したと見なすこともできる。しかし、実質的には有力大名の群雄割拠状態であり、本稿の視点からすると完全分権と言って良い状況だった。
領国の経済力が軍事力の強弱に影響することを理解していた戦国大名たちは、領国内の農業生産増進や産業振興などに積極的に取り組んでいた。その際、中央政府たる室町幕府から何らかの指令や支援があったわけではない。むしろ、室町幕府側が、各地の有力大名の経済力や軍事力に依存していたのが戦国時代の実態であるのは、ご承知の通りである。
戦国大名たちは支配領国内の気候や地勢などを前提に、当時の技術で最大の経済パフォーマンスが上がるよう工夫を凝らした。そのことは領民の支持を得ることにも繋がったであろう。そうした施策により、有能な戦国大名の領国は活性化していた。
(3)幕藩体制は平和な時代には理想的
江戸時代は、いくつかの内乱はあったものの、基本的には天下泰平が約260年続いた。天下泰平がこれほど長く続いた要因は様々にあるが、その一つは幕藩体制にあると思われる。なお、幕藩体制という言葉は歴史学の分野で後世に作られた概念であり、当の江戸幕府が用いていた言葉ではない。
幕藩体制は、日本国を江戸幕府と諸藩を単位として統治した体制である。幕府は将軍を核とした中央集権体制であり、幕府が諸藩の大名を統制した。幕府直轄地である天領は全国の四分の一ほどであったが、それ以外の各藩の内部の統治は基本的に諸大名に任せた。
各藩では大名を核に優秀な家臣団が藩の統治を実施した。各藩は幕府の統制下にあるものの、幕府の支配機構から逸脱しない限り、藩内の統治は自由に行えた。戦国時代のように隣国を攻めて領地拡大をすることは出来なくなったこともあり、各藩は限られた領域である藩内を安全で豊かにするために創意工夫を凝らした。民生が安定しなければ、年貢や運上金、冥加金などの藩収が滞り、藩の運営にも支障をきたす。各藩の努力により、地方は活性化し、特色ある産物なども開発された。なお、日本列島は山や川で細かく分断されており、その分断された領域内を豊かにしていく施策が実施され、津々浦々の気候や地勢の特性が発揮されたと言えよう。
日本列島の大半の住民が同じ日本人であるという感覚を共有することになった時期については諸説あるが、戦国時代、江戸時代には少なくとも本州、四国、九州及び周辺諸島では日本人という認識が共有されていたと思われる。同じ日本人であるという認識の下で、天下国家の運営は将軍、各藩の運営は「うちのお殿様」という感覚が庶民にも備わっていたと思われる。
デジタル技術のフル活用へ
戦国時代、江戸時代の幕藩体制を概観したが、真の意味での地方活性化を実現するためには、統治機構の改革が必要であり、デジタル技術をはじめとする各種技術はその改革をよりよく実現するために活用すべきであろう。江戸時代は日本列島を約300の藩に分けて統治していたが、これは徒歩が移動の中心であった時代には適度な区分けだったのかもしれない。産業革命を経て、鉄道や自動車などが陸上移動の主な手段となっている現代は、いわゆる道州制レベルに区分けした方が適切なのではないだろうか。なお、地方分権はあくまで地方活性化が主眼であり、国防・外交・教育などの日本国の命運にかかわる行政分野については、将来にわたって国が全権を担うべきである。
そうした統治機構改革実施と並行する形で、それらの改革を技術的に支えるために「デジタル田園都市国家構想」で列挙している各種の施策を推進するのが望ましい。そうしてこそ戦後幾度と挑戦して成し得なかった地方活性化が実現できると考える。
その際、「デジタル田園都市国家構想」で活用することになるデジタル技術の製品やサービスは、国内企業が提供しているものを積極的にフル活用するのが望ましい。地方活性化が主眼であるからには、当該地域に拠点を置く企業を優先的に採用すべきではないだろうか。
一時期、グローバルスタンダードの掛け声の下、競争入札を絶対視する風潮があったが、定住者の幸福とは逆の結果をもたらすことになったのではないだろうか。もっと国内企業を保護育成することを大義名分に随意契約の割合を増やしても良いと思う。また、現在では談合は談合罪や独占禁止法違反であるが、談合の元々の意味は話し合いであり、適切な調整は関係者全体の持続性向上に繋げることも可能である。不正や癒着との境目の見極めは検討課題であるが、入札関連の法制度や独占禁止法の在り方などを、日本の持続性向上、経済安全保障、地方活性化の観点で再検討する時機に来ていると考える。
※1:国土交通省サイト掲載「新しい全国総合開発計画の基本的考え方」「I.全国総合開発計画の今日的意義と役割」(国土審議会計画部会、1995年12月)より
※2:なお、第5次全国総合開発計画に相当する「21世紀の国土のグランドデザイン」は「全国総合開発計画」という用語はメインタイトルに入っていない。「量的拡大『開発』基調から『成熟社会型の計画』へ」(「国土形成計画(全国計画)の概要」(2008年7月)より)という過渡期の位置づけとなっており、それまでの全総と異なり投資規模を示していない。
20230331 執筆 主席アナリスト 中里幸聖
前回レポート:
「PPP/PFI(官民連携)の積極活用へ」(2023年3月24日)