防衛費増額は喫緊の課題、求められる地政学のセンス
ランドパワー諸国(※)、権威主義諸国が軍備増強・影響力拡大を強める中、我が国の防衛力強化は喫緊の課題である。従来の我が国の防衛力整備は正面装備に偏重しているとの批判がなされてきた。今回の整備計画では弾薬・ミサイル、貯蔵庫、防衛関連インフラ(港湾、空港、その他)など、継戦能力にかかわる実質的な議論が開始されている。
(※)ランドパワーについては、本稿末尾の「地政学の用語解説」参照。
実務的な防衛力強化へ
岸田文雄内閣は、防衛力強化を積極的に進めようとしている。2023〜27年度の5年間の次期防衛力整備計画で、現計画(2019~2023年度。次期計画作成により廃止)の約1.6倍の43兆円の防衛費を掲げている。
内容的にもこれまでの正面装備偏重から継戦能力を鑑みた整備計画へと舵を切ったと考えられる。最新の兵器が揃っていても、弾薬・ミサイルが少なければすぐに撃ち尽くしてしまい、白旗を上げざるを得なくなるであろう。弾薬・ミサイルの貯蔵庫、防衛関連インフラ(港湾、空港、その他)、兵器の性能維持・修理等の能力も重要である。
防衛費増額の財源については増税などの議論も出ているが、本稿では財源問題はとりあえず脇に置いて、防衛力強化が必要となっている理由と影響について簡単に解説する。
継戦能力向上により抑止力発揮を目指す
2022年12月に閣議決定された「防衛力整備計画」では、「迅速かつ粘り強く活動し続けて、相手方の侵攻意図を断念させられるようにする」「『持続性・強靱性』を強化」と実際に戦い続けられる能力の向上を掲げている。「Ⅱ 自衛隊の能力等に関する主要事業」の中に「7 持続性・強靱性」という項目を立て、⑴ 弾薬等の整備、⑵ 燃料等の確保、⑶ 防衛装備品の可動数向上、⑷ 施設整備、に分けてそれぞれの方針を示している。
この計画を実現することにより継戦能力を向上させることができれば、潜在敵国が我が国に戦闘を仕掛けようとする意図をある程度抑止できると考えられる。実際に戦闘が起きてしまった場合でも、敵国の日本領土への侵攻速度を遅らせることによって、国際世論を味方につける外交努力展開の時間を稼げるであろう。より有利な講和条件を引き出すのにも貢献しうる。
ただし、現状の計画が十分か、時間的に間に合うのか、などの懸念は拭えない。戦後の国防及び自衛隊などに関する非現実的な議論により、継戦能力の整備が十分でなかったことは否めない。しかし過ぎたことを悔やんでも仕方なく、これから急ピッチで整備を進めることが大変重要である。
中露の台頭、米国の相対的弱体化
米ソ二大超大国を中心とした東西冷戦が1991年に終結し、暫くは軍事的に米国一強の時代が続いているかに見えていた。大国間の表面上の軍事的緊張関係が和らぐ中で、米国はテロとの非対称戦争の泥沼にはまり込んでいたが、その間に旧ソ連の大半を引き継いだロシアは地力の再建に努めていた。一方、共産中国は旧西側諸国との共同歩調を取るような態度を見せつつ、旧西側諸国から技術と資本を積極的に導入し、経済力・技術力・軍事力の強化を進め、アフリカ、日本やインドを除くアジア諸国、太平洋地域などで影響力を拡大してきた。
共産中国は軍事費で世界2位、GDPでも2位。ロシアは軍事費5位、GDP11位である(軍事費は世界銀行、GDPはIMFのデータより。いずれも2021年)。なお、どちらも1位は米国。日本は軍事費9位、GDP3位である。軍事費には軍事関係者の給与や恩給・社会保障なども含まれるので、平均的な所得水準が高い国は軍事費に占める人件費等が高い可能性があり、軍事費が多いからと言って兵装が充実しているとは限らないことに留意が必要である。また、共産中国等のGDPは統計的に正確ではない、軍事費は過少に公表している、などの指摘があることにも留意が必要である。いずれにしても、中露2か国の軍事費が屈指の規模であることは間違いないであろう。
また、共産中国は一帯一路構想を推し進め、その資金的な推進のために、AIIB(アジアインフラ投資銀行)を2015年に創設した。米国の反対にもかかわらず、日本を除く主要先進国がAIIB創設メンバーとして参加したことは、米国にとっては大きな衝撃であった。米国の国際的な影響力低下、共産中国の相対的影響力向上を象徴する事件であったといえる。
権威主義的姿勢を強める中露
安倍晋三内閣が提唱し現内閣も引き継いでいる「自由で開かれたインド太平洋(FOIP:Free and Open Indo‐Pacific)」の理念でもある「①法の支配、航行の自由、自由貿易等の普及・定着、②経済的繁栄の追求、③平和と安定の確保」といった主要先進国が共有する価値観の下で経済活動や国際関係を展開しているのであれば、特定の国が他の国の脅威とはならないであろう。冷戦終結後の十数年はそのような世界が実現すると信じられ、共産中国やロシアもWTO(世界貿易機関)などの国際機関に迎え入れられた。
しかしながら2010年台半ば頃から、ロシアのクリミア併合などに象徴されるように、ロシアや共産中国などのいわゆる権威主義国家と呼ばれる国家群による他国の脅威となるような一方的な行動や国内での人権侵害などが表面化しだしている。並行して、軍事力の実質的な強化も進めており、反権威主義の国家群にとっては軍事的な脅威となっている。
地政学的構図の再興
冷戦は共産主義対アンチ共産主義のイデオロギー的対立が前面に出ていたが、改めて振り返ると、ランドパワー対シーパワー(※)、リムランド(※)をめぐるハートランド国家(※)と海洋勢力の争いが基本構図であった。冷戦終結後30年を経た現在、再び地政学的対立の構図が前面に出てきている。なお、南北米州は大陸ではあるが、地政学の用語でいう世界島(※)に対しては島という位置づけになる。
(※)地政学の用語については、本稿末尾の「地政学の用語解説」参照。
ランドパワーを基本とする国家は、内に閉じこもることも可能であるという地勢状の特性からか、経済的利益よりもイデオロギー的価値観を重視する傾向がみられる。この場合のイデオロギーとは近現代の「○○主義」などだけではなく、宗教的価値観、国家統治・国際秩序の原則(しばしば権威主義的)、なども該当する。一方、シーパワー勢力は交易が日常であることもあり、経済的合理性や自由を重視する傾向がある。
現代の主要先進国はシーパワー勢力的な価値観を基本とし、国際社会もその価値観を基礎に運営されている。しかし、米国の相対的弱体化を受けて、中露をはじめとするランドパワー諸国、権威主義諸国が彼らの価値観に基づく世界再構築を実現しようと動いている。習近平政権が唱える「中国の夢」「中華民族の偉大な復興」は、中国的価値観に他国を従属させることにつながらないだろうか。
図:地政学的に見た世界地図のイメージの例
日本が直面する危機
2022年2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻は、アフリカ諸国などで食糧輸入に支障を生じさせた。日本国内の食料やエネルギー製品の価格上昇は、ロシアのウクライナ侵攻だけが原因ではないが、様々に影響を受けている。
共産中国が核心的利益として国家主権と領土保全の対象とみなしている南シナ海、台湾、尖閣諸島などに対し軍事行動を起こせば、日本は存続の危機に晒されることになる。現在の共産中国の行動は、「広義のアジア地中海」を「中国の内海」化しようとしているように見える。台湾や尖閣諸島で軍事行動が起きれば、日本も直接的な戦闘を避けられない蓋然性が非常に高い。仮に戦闘に巻き込まれなくても、軍事行動が行われている地域では様々な制約が生じる。日本が輸入する石油エネルギーの大半は、共産中国が核心的利益として挙げている地域を通ってくる。また、食料の多くを輸入に依存する日本は、日本の周辺海域で軍事行動が行われるような事態になれば、日々の食生活にも困る蓋然性が高い。
安定した秩序が構築され、治安が良好であるからこそ、正常な経済活動が営まれる。軍事的衝突を未然に防ぐことこそ、安全保障の本質であり、安全保障は社会経済の広義のインフラと言える。
なお、核やミサイルが日本に飛んでくる事態は日本存亡の危機であることは説明するまでもないので、本稿では北朝鮮の核開発やミサイルについては触れてない。
防衛産業を支える
「防衛力整備計画」では、「防衛生産基盤の強化」という項目を立て、国内の防衛産業の課題を提示している。「防衛事業は高度な要求性能や保全措置への対応に多大な経営資源の投入を必要とする」が、「収益性は調達制度上の水準より低く、現状では、販路が自衛隊に限られ成長が期待されないなど産業としての魅力が乏しい」「サプライチェーン上のリスクやサイバー攻撃といった様々なリスクが顕在化している」などの課題を抱えている。近年、こうした課題を解消できずに、防衛事業から撤退する企業などの報道も散見される。
佐藤栄作内閣時のかつての「武器輸出三原則」(1967年)そのものは妥当と考えられるが、三木武夫内閣時の「武器輸出に関する政府統一見解」(1976年)は過剰な自主規制と思われ、防衛事業の採算性向上の機会を奪うことになったと考えられる。武器輸出三原則等に代わるものとして安倍晋三内閣が策定した「防衛装備移転三原則」(2014年)は、国際情勢の現実に合致したものであり、防衛事業の採算性向上の機会にも資する。反権威主義の国家群に対して、日本産の武器を供与していくことは、日本自体の安全保障にもプラスである。
防衛事業を実施している企業などを金融資産の投資対象として検討することは、かけがえのない自由と安全を享受することにもつながると考える。
地政学の用語解説
●ランドパワー:大陸を基盤とする勢力・国家。国境警備の陸軍を重視。
●シーパワー:海洋を基盤とする勢力・国家。海路確保の海軍を重視。
●ハートランド:ユーラシア大陸中央部を指す言葉として英国のマッキンダーが用いた。
●リムランド:ユーラシア大陸沿岸地帯を指す言葉として米国のスパイクマンが用いた。
※ハートランドやリムランドの範囲は固定的ではなく、国際情勢等によって変動する。
●世界島:ユーラシア大陸と、地続きであるアフリカ大陸を併せた概念。マッキンダーが提唱した。
●地中海:地理用語としてはヨーロッパと北アフリカの間の海域を指すが、地政学ではアメリカの地中海としてカリブ海、アジアの地中海として南シナ海を位置付ける。アジアの地中海については、オホーツク海、日本海、東シナ海、アラフラ海を加えて、広義のアジアの地中海とする見方もある。
20230123 執筆 主席アナリスト 中里幸聖
前回レポート:
「『すずめの戸締まり』から考えるコンパクトシティ、国土強靱化」(2023年1月17日)
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