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税収と景気(番外編)-「年収の壁」引上げの効果-
衆院選で与党過半数割れを契機に、「年収の壁」を引上げる議論が盛り上がっている。所得税に関する「年収の壁」を103万円から178万円に引上げた場合の試算を行った。手取増加額は全体で6.88兆円と見込まれる。年収が高いほど手取増加額が大きいが、比率が高いのは中間層。本稿では手取増加に伴う消費増加額、名目GDP増加額なども試算した。
「年収の壁」の引上げ
「税収と景気(5)-税収弾性値-」(2024年10月21日)で「税収と景気」シリーズはとりあえずの完結編とした。しかし、2024年10月27日投開票の衆議院選挙の結果を受け、「年収の壁」の引上げがクローズアップされているので、番外編としてその効果の提示を試みる。
「年収の壁」は税金や社会保険料等について様々な水準があるが、今一番話題となっている「年収103万円の壁」は所得税に関わるものである。所得税の計算上、全ての人に年48万円の「基礎控除」がある。被用者(会社員や公務員など雇われて給与を得ている者)は基礎控除に加えて年55万円の「給与所得控除」が受けられる。つまり、基礎控除と給与所得控除の計103万円までの年収については、所得税は課税されない。
今回の衆院選で議席数が躍進した国民民主党は、所得税における「年収の壁」を178万円に引上げることを主張していた。実際にどのように決着するかは別にして、消費税の減税などを主張してきた「税収と景気」シリーズの一環として、本稿では減税効果のある施策のシミュレーションという観点で所得税の「年収の壁」を103万円から178万円に引上げた場合の試算を行った。
なお、本稿では議論の単純化のため、地方税や社会保険料、配偶者控除、扶養控除等については対象外とする。現実には、雇用先から1年間に支給される給与や賞与等の合計である「年間収入(年収)」から前述の基礎控除と給与所得控除、さらに社会保険料、家族がいる場合は配偶者控除や扶養控除などの各種控除などを差引いた後の金額が「所得(課税所得)」である。所得から税率等に基づき計算された所得税や地方税などを差引いた後の金額が実際の手取収入であり、いわゆる可処分所得である。ついでながら、税法上の「所得」と世間一般で使う「所得」には概念上のずれがある。本稿は「税収と景気」をテーマとしているので、「所得」は税法上の用法で用いている。
所得税の「年収の壁」引上げの試算結果
様々な前提や仮定を置いて、所得税の「年収の壁」を103万円から178万円に引上げた場合の試算結果が図1である。また、年収階級別の減税額は図2である。なお、試算の手法等について興味のある方は、後掲の「補論:今回の試算の手順等」をご覧いただきたい。
所得税の減税額=手取増加額は6.88兆円、減税による消費増加額は1.75兆円、消費増加だけを要因とした名目GDP増加額は1.82兆円である。なお、名目GDP増加による所得税増加額は0.19兆円である。ただし、給与所得控除が適用されない被用者以外の就業者についても一律に試算しているので、その観点では試算結果はやや過大な金額となっているはずである。
この額を多いとみるか少ないとみるかは人それぞれであろうが、筆者は施策次第でもっとGDPを増やせると考えている。後掲の「補論:今回の試算の手順等」で若干説明するが、名目GDP増加額については簡易な回帰直線により所得税減税に伴う消費増加分のみによる計算であり、現実には消費増加に伴う投資や雇用増なども考えられる。実際には名目GDP及び名目GDP増加による所得税増加額は、本稿の試算より大きくなると推測する。また、地方税や社会保険などについては今回の試算では考慮していないが、所得税の「年収の壁」を引上げると地方税等の「壁」も影響を受けるはずなので、「年収の壁」引上げが実現すれば、減税額や消費増加額は今回の試算結果より大きくなると思われる。
いずれにしても、緊縮財政による経済と税収の負のスパイラルを継続するのではなく、減税や必要な財政支出などの積極財政により経済を活性化することで税収増加を実現し、結果として財政が安定するのが王道である。今回の試算は所得税における「年収の壁」引上げだけについて試算したが、消費税廃止などは検討に値する。
図1:「年収の壁」引上げの試算結果
![](https://assets.st-note.com/img/1731546002-3xhkOuAIWQEys7qTmRV2ZBSN.jpg)
図2は年収階級別の個々の所得税減税額を示したものである。既にいくつかの報道にあるように、減税額自体は年収が多いほど金額が大きくなる。ただし、年収に占める減税額の比率で考えると、年収の中央値より上で平均年収前後と考えられる500万円の年収層で一番高くなる。
なお、国税庁「民間給与実態統計調査」の令和5年分の調査の概要によると1年を通じて勤務した給与所得者の平均給与は460万円、厚生労働省「国民生活基礎調査」の2023(令和5)年の調査の概況によると、全世帯の平均年収金額は524万2千円、中央値(年収を低いものから高いものへと順に並べて2等分する境界値)は405万円である。
ついでながら、「国民生活基礎調査」によると、「児童のいる世帯」の平均年収金額は812万6千円であり、この層の減税額が相対的に大きくなることは、異論もあるであろうが少子化対策の観点からは望ましい。なお、「高齢者世帯」は304万9千円、「高齢者世帯以外の世帯」が651万1千円である。
図2:「年収の壁」引上げによる一人当たり所得税減税額
![](https://assets.st-note.com/img/1731546089-3mYlAiFBWDGq16CUb29TRypk.jpg)
補論:今回の試算の手順等
この補論は試算の手順等に関心がある方向けである。なお、経済学や経済統計にある程度慣れ親しんでいる方向けに簡素に記述しているので、用語等について詳しく知りたい方は、本文中や図の注などでリンクしている出所などを確認して頂きたい。
今回の所得税の「年収の壁」引上げの試算は、現状の103万円を国民民主党が選挙中に唱えていた178万円に引上げた場合について行った。その際、地方税、社会保険料、配偶者控除、扶養控除等については試算対象としていない。また、世帯構成を考慮すると複雑化するので、「年収の壁」引上げの減税効果については、稼働所得者一人当たりで試算した。なお、統計ごとに年収区分の仕方や概念が異なるので、区切りの数値に対する「以下」「未満」「以上」「超」などの区分はいい加減(≒丁度良い加減)である。
大まかには、①「年収の壁」引上げによる年収階級別所得税の一人当たりの変化額=減税額の計算、②所得税の減税額の年収階級別合計値の推計、③年収階級別限界消費性向の推計、④減税額と限界消費性向に基づく消費増加額の推計、⑤消費増加額に基づく名目GDP増加額の推計、⑥名目GDP増加額に基づく所得税増加額の推計、の順で試算を実施した。それぞれの概要は以下の通り。
①「年収の壁」引上げによる年収階級別所得税の一人当たり減税額
財務省ウエブサイト「税率・税負担等に関する資料」「所得税の税率構造」に基づき、基礎控除と給与所得控除の計103万円が178万円に引上げられた場合の所得税額の変化額を、年収階級別に機械的に計算。なお、給与所得控除が適用されない被用者以外の就業者についても、年収の壁103万円が178万円に引上げられたと見做して一律に試算している。
②所得税の減税額の年収階級別合計値
2023年分の国税庁「民間給与実態統計調査結果」、総務省「労働力調査」から年収階級別の就業者数を推計し、①で計算した減税額と掛け合わせることにより、所得税の年収階級別の全体の減税額を算出。なお、年収階級別の就業者数の割合を「民間給与実態統計調査結果」から計算しているので、現実の年収階級別就業者数割合とは異なることに留意。
③年収階級別限界消費性向
総務省「家計調査」「年間収入階級別1世帯当たり1か月間の収入と支出」「全国・二人以上の世帯のうち勤労者世帯」の2004~2023年の20年分の可処分所得と消費支出の数値により、年収階級別の線形回帰直線の傾きを限界消費性向として算出。ただし、家計調査の年収階級区分は800万円以下が50万円単位で区切られているので、100万円単位のデータで算出。また、限界消費性向がマイナスと算出される階級があるので、年収700万円以上の区分では700~900万円、900万円以上という区分で計算した。
なお、図3に示したように年収700万円以下の階級については、収入が増えるほど限界消費性向が低下する傾向が窺えるのは興味深い。
図3:年収階級別限界消費性向
![](https://assets.st-note.com/img/1731546230-NLZSF70CWaRsVEj53G1IwTtc.jpg)
④減税額と限界消費性向に基づく消費増加額
②で推計した年収階級別所得税減税額合計と③で算出した年収階級別限界消費性向を掛けて、減税による消費増加額を計算。
消費増加額=Σ(年収階級別所得税減税額合計×年収階級別限界消費性向)
⑤消費増加額に基づく名目GDP増加額
内閣府「国民経済計算」の2004~2023年の名目GDPと名目最終需要額のデータによる線形回帰直線の傾きに消費増加額を掛け、名目GDP増加額を算出。
⑥名目GDP増加額に基づく所得税増加額
単純に、減税前年収×名目GDP増加率=減税後年収、として年収階級別所得税額を財務省ウエブサイト「税率・税負担等に関する資料」「所得税の税率構造」に基づいて機械的に計算。その計算結果を②と同様の手順により所得税増加額を計算。従って、就業者数等には変化がないものとして試算している。
図1の注
注1:地方税、社会保険料、配偶者控除、扶養控除等については試算対象としていない。
注2:給与所得控除が適用されない被用者以外の就業者についても、適用されるものとして一律に試算している。
図2の注
注1:地方税、社会保険料、配偶者控除、扶養控除等については試算対象としていない。
注2:「所得税の税率構造」に基づき単純計算した結果であり、世帯単位ではなく個人単位である。
注3:年収1千万円までは100万円毎、1千万円超は区切りの良い数値で表示。100万円以下の年収階級については影響を受けないので非掲載。年収階級の区切りについては表示金額以下を指す。例えば、表中の年収500万円は概念的に400万円超500万円以下を示すが、数値的に厳密というわけではない。
図3の注
注1:「本稿区分」は補論本文で示した筆者による区分により算出した年収階級別限界消費性向。「家計調査区分」は「家計調査」の基データによる区分に基づいて算出した年収階級別限界消費性向。
注2:「家計調査」の年収階級の基データは、800万円以下は50万円単位区切り、800万円以上は、800~900万円、900~1,000万円、1,000~1,250万円、1,250~1,500万円、1,500万円以上、となっている。
注3:国税庁「民間給与実態統計調査結果」の年収階級の最上位区分が2,500万円超、となっていることもあり、本図では2,600万円まで図示した。
20241114 執筆 主席研究員 中里幸聖
前回レポート:
「税収と景気(5)-税収弾性値-」(2024年10月21日)
「税収と景気」シリーズ:
「税収と景気(1)-税収と景気の連動性-」(2023年12月27日)
「税収と景気(2)-消費税導入、税率引上げ-」(2024年1月19日)
「税収と景気(3)-所得税の税率構造の改定-」(2024年3月7日)
「税収と景気(4)-法人税の税率引下げの果実-」(2024年4月8日)
「税収と景気(5)-税収弾性値-」(2024年10月21日)
「税収と景気(番外編)-『年収の壁』引上げの効果-」(2024年11月14日)