【雑談】本を読むということについて
はじめてましての方に
こんにちは。神崎と申します。
趣味でファンタジー小説を書いていて、2025年5月11日の「文学フリマ東京40」に出店を予定しています。
あと三日に迫った文学フリマ東京39にそわそわしながら、平静を装って(?)考えたことをつづっていきます。
本を読むことについて。
読書が好きになる人と、そうでない人の違いは何か、とか。
どうしたら我が子が本を読むようになりますか、とか。
よくある質問かと思います。
「これをすれば本を読むようになる」という方法は残念ながらない、と思います。
何故なら、結局は個人の資質だからです。
好きになる人は、周りの大人がどう言おうが、本を読めと言おうが言うまいが、読みます。簡単に手に入る環境になくても、探して読みます。読まずにいられないからです。
でも、どうしたらそういう人になるでしょう、という質問には答えがありません。
逆に、「こういうことをすれば本が、読書が、嫌いになるだろう」という方法はあると思っています。
それを避ければ、好きになる確率は上がると思う。けど、好きになるかどうかは本人次第、って感じですかね。
嫌いになるのは、押し付けられたとき、強要された時ではないでしょうか。
(好きな人はそれでも好きだったりするわけですけれども)
本を読むこと自体もそうだし、この本を読むといい、というのもそうだし、勧められるものって反発が出てしまうことがあるんじゃないかと。
読みたい本との出会いを邪魔されない事。
これは結構大事なポイントかなと思っています。
本屋さんや図書館へ親と行って、「これ気になるな……」と思った本に手を伸ばそうとしたとき。
親が「こっち来てごらん、ほらこれ、面白そうよ」「これを借りてごらん」と呼びます。
「あ、うん……」
まあいっか、と伸ばしかけた手を引っ込め、親の方へ行きます。示された本は、別にぴんときませんが、まあこれっていうなら、じゃあ、と小脇に抱え、借りて帰って、ぺらっとめくり、「ふーん」となって最後まで読まずに部屋に置いておきます。
……そういうことって、結構あるんじゃないかな。
もちろん、何気なく開いたその本がめっちゃ面白い、そんなこともあります。それがきっかけで本好きになる人だってたくさんいます。だから、このやり方が絶対ダメってわけじゃないけど、それより最初に子供が手を伸ばした本を手に取らせてあげたい。私はそう思ってるってだけの話です。
図鑑かもしれない。うんちの本かもしれない。小さな子が読む絵本で、うちの子には合わないと思うかもしれない。あるいは逆に大人の本で難しすぎて読めないだろうと思うかもしれない。えっちな本かもしれない。危険な感じがするかもしれない。自分が全然好きじゃない本かもしれない。
でも、それはその子が「気になった本」なので、出会わせてあげたい。邪魔したくないです。
「本を手に取れる環境を整える」「手を伸ばした本をどんなものでも出会わせる」「正しい読み方、正しい感想などを示さない」あたりは読書好きにするために大切なことかなあと思います。
何度も言いますが、そうすれば好きになるということではなく、嫌いになりにくいかもね、です。
実際に、両親は読書が好きですが、兄二人はさほどでもなく、私は好きですが、私の子三人ともさほどではありません。なんならそのうち一人は文字を読むのがとても苦手だし。
否定されない事の大切さ
私は母親や兄たちに「間違っている」と言われたり、「やれやれ」と首を横に振られたりすることがよくありました。「お前は考えが浅い」とか「そんな子供みたいなこと言って」とかね。
子どもなんだし、それでいいんじゃ? と今なら思いますが。
私はよくしゃべる子だったから、誰かに話を聞いて欲しくてしょうがなかったけど、違うって言われると駄目かあって思うから、そう言われないよう、大人の顔色を窺って過ごしていました。
でも、本を読むとき、私は誰にも叱られませんでした。
これってこうなのかな? これってなんだろう。そっか、そういうことがあるんだ。私はこれ好きだな。見てみたいな。この人、変なこと言ってるな。……などなど、色んな事が頭に浮かびます。それを、本は否定しません。
未熟な考えだとか、これはこういうことであってお前の考えてることは合ってないよとか、そんなこと本は何も言いません。
誰にも邪魔をされず、自分の考えをどこまでも広げ、想像し、本と、作者と、対話をすることができます。
私にとって、本を読むことは、無言で肯定されることでもありました。
今やSNSなどで、年齢を超えた付き合いというものが実現しています。
90年代くらいまで、家の中だけ、教室の中だけで起こっていた人づきあいというものがめちゃくちゃ広い範囲で、知らない人と繋がれる。これは時に救いになります。狭い世界がすべてじゃないと知ることが助けになることもあります。
でも、若者や知識不足の人の不用意な発言を、知っている人が突っ込んだり、やり込めるようなコメントが飛んできたりすることもあります。
勉強にはなると思いますが、柔らかい子供の心が傷つくことがままあると思うんですよね。
幼い時とか、思春期とか? いつって限定することでもないかもしれませんが、とにかく、人の言うことを気にせず、自分の考えを広げていく時期も必要だと思うのです。
そのために、本を読むのはいいですよね。
読書感想文
読書感想文で本が嫌いになる人もいると思います。
確かに、興味ない本を読まされて、自由でいいと言いながら、実のところ全然自由ではない「先生や親が考える理想的な感想」を書かされ、違っていると直され……これは嫌いになっても仕方ないだろうと思います。
でも読書感想文をなくせ、とは思いません。
何かを読み、それについて思ったことを表現する、という経験は、何歳になっても必要だと思うし、とても大切なことだと思うからです。
本は自由に選べること、文章の長さも自由。できたものにケチはつけない。ただ、説明する時に、「面白い」「楽しい」ところはどこなのか、何故なのか、自分だったらどうしたいのか、などを書くよう説明するといいのかなと思ったりします。
本を読むこと、字を書くこと、文章を作ること、構成を練ること、自分の気持ちを自分で考えることなど、読書感想文はいろんなことを同時にやらなければならないので、苦手な子にはハードルが高いでしょう。省けるところは省いてもいいんじゃないかなあ。
小学校の先生じゃないので、よく知らず、変なことを言っていたらごめんなさい。
本を嫌いになる子が減ったらいいなあと思うのです。
算数も、音楽も、体育も、なんでもそうですが、楽しめるといいですよね。個人個人に合わせた教育というのは実質的に無理でしょうし、どこまでいったって得手不得手はあるから、みんなが本好きじゃなくていいと思うんだけど。
字を読むとか、自分の感情を表現するとか、考えることっていうのは、本当に一生大切なことだと思うので、本を読めたらいいんじゃないかなあと勝手ながら思うのでした。
今日もオチがない。
これだから短編が書けないんですよ。
書きだす前に、落とし方を決めてからじゃないと駄目だっていうのに。やれやれ。
noteは私にとって、短い文章をまとめる練習にもなっているので、これからも続けていきたいですし、上手くなれるよう努力します。
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![神崎 旭@文学フリマ東京40出店します](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/156181559/profile_49b0deb4a7b4859862a553f70ddffddc.png?width=600&crop=1:1,smart)