成長とは、日々のアップデートである、という話
成長するにはとにかく経験を積めばいい、そう思っていた。
その昔、社会人なりたてのUIデザイナーだった自分は、寄り道しつつも気づいたらひと通りのことができる、みたいな成長を望んでいた。思考停止だし、時間への依存としか言いようがない。
言い換えれば自分の目標は「一人前になること」だった。具体的な絵を描くことが怖かった。描いたところで失敗が怖かった。これは覚悟のなさだ。
とは言え、30過ぎてから職種変更した身としては、時間などない。何も背負わなかった自分が、今改めて成長とは何かと考えている。
そんな折に、コルク所属の新人マンガ家さんたちが、成長について議論していたところに同席する機会があった。
そこでの対話をヒントに、成長を具体的にどんな行動に落としこむか今回は考えたい。
成長とは、日々改善し続けること
特に腑に落ちたのは、“成長とは、日々改善し続けること”というアイデア。
コルク所属の小山宙哉さん(『宇宙兄弟』作者)は、週刊連載の中でも毎回ネームや下書きなどで前回の方法をアップデートしているそうだ。数百万部以上を誇るビッグタイトルを生み出す小山さんですら、成長を怠らない。しかも日常的に。
さらにその文脈を掘り下げてくれたのが、コルク所属の新人マンガ家・つのだふむさん。毎日Twitterにイラストをアップし続けているが、ずっと同じ型でやっていると飽きる、飽きるからこそ描き方を変えているそうだ。
同じ話題を“こする”からこそ深くなるのかもしれない。実際、ふむさんの話はすごく耳が痛い。というのも、だいたい毎日書いているこのnoteも、読み手にとって目新しい話題がいいのではとつい考えてしまう。
これは、小山さんやふむさんのような“同じことの繰り返し”をつまらないと思っているからではないか。つまらないと思っているわりに、自分はただ毎日noteを書いている“だけ”なフシがある。
なんとなく文章が上手くなりたいという当初の思いは、徐々に変わってきたつもりだった。マーケや分析についての学びをふりかえりたい、自分の目指すものに近づけるようなnoteにしたい、と気持ちは確かに変わっている。
では、そうなるために毎日改善できているか?知見だけ増やしていないか?果たしてどうだろうか。
マーケ・分析として成長したいのなら、同じテーマを何度でも書くべきなのかもしれない。ネタ切れをおそれずに、幾度となく同じネタを“こする”ようにしたらいい。noteを続けることがどういうことにつながり、そのアップデートとは何かということが重要なのだ。
成長とは、毎日繰り返すことに毎日違う意味を見出すこと
ここまで書いて思ったが、日々の改善というのは、要するに野球選手の“素振り”や“走り込み”のような、日々繰り返される練習なのだろう。
いつかコルクの佐渡島さんのnoteで読んだが、成長する野球選手は、練習に意味や目的を持っている。つまり、同じ練習内容でも毎回目的や意味がアップデートされる。昨日と同じことでも、取り組む自分自身は常に更新されるのだ。
自分はアップデートされているか?
闇雲にいろいろな経験だけ積もうとしていないか?
同じ内容のタスクにおける成長とは、きっと、繰り返して慣れることではない。成長したいなら、昨日とは違うやり方に挑戦し続ける、これを意識したい。
ルーティンワークというのはあまり好きではないが、自分をアップデートして成長するためならやれそうだ。
まだまだ自分の具体的なアクションまで落とせていないが、それこそ成長というテーマに関しては引き続きアップデートしていく。
わたしをサポートしたつもりになって、自分を甘やかしてください。