#1821 教室に大人がいる意味
学校は「勉強する」場所である。
同年齢の子どもたちが1つの教室に集まり、したくもない勉強をさせられる場所となっている。
しかし、その機能を果たすためなら、もはや学校に通う必要はないと言える。
テクノロジーが進化しているからだ。
つまり、家にいたって、良質な教育コンテンツを活用すれば、勉強をすることができるのだ。
学校で身に付けるべき知識・技能を、家にいたって、一人で習得することができる時代になってきているのである。
たしかに今の時代、学校に通わず、家でも知識・技能を身に付け、賢くなることはできるだろう。
しかし、その知識・技能や賢さが正しい方向に活用されなければ、「宝の持ち腐れ」となる。
知識・技能や賢さを悪い面に活用したり、犯罪に使ったりしては本末転倒である。
それを防ぎ、自分の人生のため、そして社会のために知識・技能を使っていく人間を育てる必要がある。
そのためにこそ、学校教育が存在する。
そのためにこそ、教師が存在する。
だからこそ、教室には大人が必要となる。
それもただの大人ではなく、教師が必要となる。
教員免許をもった、子どもたちを正しく導くことができる教師の存在が欠かせないのである。
教師が存在するおかげで、子どもたちは知識・技能を習得するだけではなく、それを正しい方向に使える人間に育っていくのだ。
だからこそ、学校教育では、「知識・技能の習得」のみに走ってはいけない。
だからこそ、学校教育には、「学級経営」や「特別活動」「学校行事」などの心や態度を育てる要素が必要不可欠なのである。
これらの要素を通して、子どもたちの心や態度が正しい方向に養われる。
これにより、身に付けた知識・技能を正しい方向に使っていける人間に成長していくのである。
学校教育に「学級経営」や「特別活動」「学校行事」が存在しなかったら、それこそ「頭でっかち」の人間を育てることになる。
学校に通う意味・価値がなくなる。
日本の学校教育は、「人格の完成」を目指す「全人教育」を目指しているのである。
「学級経営」や「特別活動」「学校行事」を通すことで、子どもたちの人格が磨かれていくのである。
これからの時代、「学級経営」「特別活動」の研究はマストになるだろう。
この部分にこそ、もっとスポットが当てられるべきなのである。