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「俺たちは素晴らしい家庭で愛されて育った。両親も最高だ。それを誇りに思っている」Sick of It All 物語⓪

左:LOU/右:PETE
Sick of It All Koller兄弟

昨年のちょうど今頃、2024年の1月にBloodaxe招聘により来日ツアーを実施したNew York Hardcoreの重鎮 ”Sick of It All” 。
来日ツアーは大盛況にて無事終了しましたが、その後にVo. LOUにガンが発覚。
それ以降に予定されていたライブやツアーはアナウンス後にすべてキャンセルされ、現在も闘病生活が続いています。

こちらのnoteでは昨年の来日ツアー前に、SOIA主要メンバーのKoller兄弟がコロナ禍に出版した自伝的な内容である洋書、The Blood and the Sweat: The Story of Sick of It All's Koller Brothersから抜粋して翻訳した記事を、メンバーの了承も貰っていくつか掲載させていただきました。

そしてこの本の所有者であり、前回も和訳などを担当してくれた元nimベースのHayato(※現在は翻訳の仕事などもしています)が、昨年のSOIA来日ツアーから約1年が経ったタイミングであることや、未だ治療を続けているLOUの現状などを踏まえて、和訳記事の続きを書かないかと話を持ちかけてくれた次第です。

下記で行われているLOUに対するドネーションも、あらためて周知できれば幸いです。

▼LOUへのドネーションは下記サイトより(※Help Lou koller sick of it all fight cancer.)

The Blood and the Sweat
The Story of Sick of It All's Koller Brothers

今回の記事はエピソードゼロ、昨年に書いた記事(※上記の①〜③)の内容よりもさらに遡り、バンドが始まるさらに前の話となります。
ほとんどが広くは知られていない話ばかりなのではないでしょうか。
ぜひ最後まで読んでくださいませ!

和訳:HayatoPMA ENGLISH LAB
編集・校正:Erolin(Burning Sign, Nodaysoff, SMDcrew, Back Yard Zine & Records)


―The Beatlesの "Revolution" 冒頭のスクリームを延々流していたら母親にブチ切れられた


PETE(弟 SOIA Gt.):

夏休みになると両親が貯金を使って、よく旅行に連れて行ってくれたんだ。
それは特別スゴい場所とかではなかったけれど、ほとんどが長距離運転を要するような旅だったから、父親がいつも車内でDoo-Wopミュージックや50年代の音楽を沢山かけていたんだよね。

Kollerファミリー📸

LOU(兄 SOIA Vo.):
そうそう、俺の記憶では秋になったら両親に「さぁ、紅葉を見に行くわよ」とか言われて、よく分からない場所に連れて行かれたりとかね。
でもちょうどその時期が、初めてちゃんと意識しながら音楽を聴いて、音楽のことを好きになっていった時期でもあったんだ。
同じ頃にFM/AMラジオ付きのカセットデッキを買ってもらって、夜な夜なラジオで流れてくる気に入った曲をカセットに録音していたよ。

当時はDonna Summerの "Last Dance" とか、Steve Martin "King Tut" なんかがよく流れていてさ。
それらを必死で聴きながら、カセットに録音して「やった!録れた!録れたぞ!」みたいな。
それこそジャンルなんて気にせず夢中で楽しんでいたね。

PETE:
ある年に、両親がアコースティックギターを買ってくれたんだけれど、そのときは全く興味がもてなかった。
どうしてこんなの覚えないといけないんだよ、学校の授業と一緒じゃねぇか!って感じでさ(笑)

Louis Koller Senior (LOU/PETEの父親):
まだ彼らが中学に入るか入らないかくらいの時期に、初めてのレコードプレーヤーを買ってあげてね。
小さいポータブルなやつさ。
今じゃ信じてもらえないだろうけれど、彼らが初めて買ったレコードはCarly Simonの "You're So Vain" だったんだよ。

PETE:
音楽に関していえば、いつもレコードを買っていたのはLOUだった。
俺たちはそれを一緒に聴いていたよ。

LOU:
上の兄貴たちがヘビーな音楽も好きで、Deep PurpleやRainbowなんかも聴き始めたんだよな。
その中でも俺はアップテンポな曲だけが好きだった、Rainbowなら "Long Live Rock and Roll""Kill The King" とか。
そんなキッカケもあって、もっとアグレッシブでハイエナジーな音楽に趣味が移っていったのかもしれない。

PETE:
The Beatles "Revolution" 冒頭のスクリームを延々流したりしていたな。
曲はどうでも良かったんだ、ただただ最初のスクリームだけを延々リピート。
しかも大音量でさ、あまりにも流し続けていたら母親にブチ切れられたりしていたな(笑)
とまぁ、そんなことを言ってはいるけれど、The Beatlesは特に好きでも嫌いでもなかった。

Jimmy GestapoMurphy's Law)が、何かのビデオで言っていたことがずっと頭に残っていてさ。

― 周りの皆んなはもう既に死んでいる人間の曲を聴いてばかりいるが、俺たちは死んでいる人間には興味がない ―

それから後、俺とLOUはようやく生きているものに出会えて、その一部になれる機会ができたんだ。

初めてOzzy Osbourneを見に行った時は超興奮したよ、「やっべぇ!マジもんのRandy Rhoadsじゃん!!」ってさ。
でも勿論のこと、Ozzyは気軽に会えたりするような存在ではなかった。

そしてさらにそれからしばらく経って、「やっべぇ!マジもんのVinnie StigmaAgnostic Front, Madball…etc)が、俺の隣に普通にいる!」ってなったんだ。
そう、RandyとStigmaは俺が最も好きなギタリストの2人さ。

LOU:
そうなんだ!
しかしOzzyを初めて見にいったときは興奮したな。
運良く1階席がとれたんだけれど、上の階の客が俺たちの1階席に向けてずっと花火を発射していたんだ!
あれはヤバかったけれど、超興奮したよ。
あとはウィードの煙が壁みたいにモクモクしていたりな(笑)
それもこれもすべては兄貴のMattに、Black Sabbathのアルバムを聴かされたことから始まったんだ。

PETE:
そうだな、なんとなく覚えているのは、俺が12~13歳くらいの頃に地下室でMattからBlack Sabbathの "Iron Man" を聴かされたときのことだ。
そのときの衝撃といったら・・・何だコレは!?最高すぎるだろ!!ってなった。
ヘビーな上にホラー要素があって、その気味悪い感じが俺にはパーフェクトだったんだ。

LOU:
兄貴からはEaglesとかも聴かされたけれど、バラードとかは全然ハマらなかったな。


―学校の終業式が終わって帰宅したら、母親がKISSの ”Alive!” をお祝いで買って来てくれていた


PETE:

単純に俺たちはキッズそのものだった。
Black Sabbathを聴いて、ビールを買いに行って、公園でぶっ潰れる・・・みたいなさ。
でもそれを何回も何回も聴いて、次第に想像するんだ。
「実際にバンドを始めたらどんな感じなんだろう、おい、お前も想像してみろよ!」って。
13~14歳になったくらいだったかな、自分たちだけで電車に乗って街のレコード屋に行き始めるんだ。
俺は後ろから付いて行くって感じだったけれど、自分たちだけで電車で街に行くのは毎回が怖くも楽しい冒険だったよ。

LOU:
中でもよく覚えているのは、レコード屋に入って兄貴の友だちに「コレを見てみろよ」って言われて見た、Motorheadのポスター。
あれはマジで最高にクールだったな。
当時のMotorheadは、Ozzy Osbourneが ”Blizzard of Ozz” を出した頃に一緒にツアーをまわったりだとか、とにかく "New Wave of British Heavy Metal(NWOBHM)” としてスゴい勢いだったんだ。

それからJudas Priest ”British Steel” を買って裏ジャケのメンバーの格好を見て、ブッ飛んだんだ。
なんてクールなんだ、ってね。

Judas Priest ”British Steel”
裏ジャケ

それからクイーンズの年上の友だちに、他のアルバムやTwisted Sisterとかを教えてもらった。
まだKISSがクイーンズ出身ってことを知らなかったくらいの頃だ。
それから少しして、俺の年上の従姉妹が昔にAce Frehley(KISS Gt.)のベビーシッターをしていたことが発覚したんだよな(笑)

ある日、近所の友だちがスコットランド旅行から帰ってきたら、Iron Maidenのパッチをジャケットに付けていて「これが今のイギリスだ、ほら」ってイキリながら、Def LeppardとIron Maidenの1stアルバムをお土産でくれたんだ。
それが1980年くらいかな。
それからレコード屋をディグっていたらIron Maiden "Killers” に出会って、何だよ、このジャケは!って買ったのを覚えているな。
その頃、兄貴はThe Plasmaticsとかを聴いていて、昔のことだから少し順番は前後するかもしれないけれど、俺もSex Pistolsを聴いたりThe Exploitedのライブ盤を買ったりして、少しずつそういう音楽にハマっていったんだ。

その頃にイギリスの雑誌Kerrang!も初めて買って、New Wave of British Heavy Metalのことも知っていった。
それからMetal Bladeのコンピレーション ”Metal Massacre”を買うと、そこにはMetallica "Hit the Lights" が収録されていて、さらにSlayerに辿り着いてどんどん深くディグしていった。
速いだけじゃなくて、アグレッシブで意志の強さみたいなものを感じたんだ。
あとはAnvilのレコードも速い曲が入っていて格好良かったな。

PETE:
Acceptの "Fast as a Shark" も超カッコ良かったな!

LOU:
当時はあの曲が最高速に感じたよな!

PETE:
今になって聴いたらそうでもないけれど、めちゃくちゃ速く感じたな。
その上、ひたすらアグレッシブだった。
Motorhead "Overkill" も当時めちゃくちゃ速い曲だと思っていたけれど、今考えたらそうでもなく・・・って、そうだ!ちょっと待ってくれ。
俺たちがどれだけKISSを愛していたかの話を忘れていた!

LOU:
そうだったな!
あの頃は近所の友だちがKISSにどハマりしていて、そいつの家に行ってよく聴いていたんだ。
それで家に帰って母親に「母さん、このバンド見てくれよ!コイツら血を吐いたりするんだぜ!」って興奮気味に話したりしていた。
そうしたらとある日、学校の終業式が終わって帰宅したら、母親がKISS ”Alive!” をお祝いで買って来てくれていたんだ!

KISS ”Alive!”

今考えたらそこがマジの始まりだな。
母親のおかげだぜ、本当に。
俺たちに道を教えてくれた。
それからは延々そのアルバムを聴いていたな。
その後に ”Destroyer” が発売されて、更にどハマりした。

あの頃に地元でKISSのファンでいることは面白かったよ。
KISSのバックルのベルトを付けてそこら辺を歩いていたら、Allman BrothersのTシャツとかを着ている奴に「KISSみたいなゴミバンドを好きなのか!」とか言われて、なじられたこともあったね。

PETE:
KISS "Love Gun" は最高な曲だよな!
ウチではレコードプレーヤーが1台しかなくて、それを家族全員でシェアしていた。
育ち盛りで何でも食い尽くしてしまうような4人の子供を、両親は本当に頑張って育ててくれたと思うよ。

とある日、通っていた小学校に ”Alive!” のレコードを持っていったんだ。
パクられないようにって、丁寧に母親がマジックで「Koller」とジャケに描いてくれてな(笑)
そしたらクラスメイトの一人が "Black Diamond” を流してくれ!って言うから流したんだ。
そしたらそいつがテンション上がって、突然教室のテーブルの上に乗って椅子を教室の端まで投げやがったんだ!

絵が下手すぎる(笑)

俺は爆笑したのと同時に、音楽のもつ力に圧倒されちまった。
そのあと先生にえらく怒られたのは言うまでもないが、音楽ってマジですげぇ!ってなったよな。
それから髪の毛を伸ばしてロン毛にしたり、次のフェーズではスキンヘッドにしながらドクターマーチンを履いたりしたな。

LOU:
そうそう、俺もクールなスパイキーヘアに出来たと思って自分の顔を見てみたら、あれ?Sid Viciousっていうより、The CureのRobert Smithじゃないかよってなって(笑)

Sid Vicious
The Cure
Robert Smith

ただ、ハードコアシーンに出入りして数年経ってから、パンクスの中で矛盾や違和感を覚えることがあった。
みんな個性がどうとか言っているのに、同じような「パンク」とされる格好をして、好きなバンドがそういった「パンク」や「ハードコア」な装いじゃなくなったら嫌いになって、みたいな。
そんなのくだらないと思ったから、よし俺たちはQueens Guidos(イタリアンアメリカン)でいこうぜって、髪の毛を後ろで少し結ぶラットテイルを始めたんだ。
今じゃもうそれも人気だけどね。

PETE:
そう、もうドップリとハードコアにのめり込み始めていて、それを更に加速させたのが高校でのArmand(SOIA Dr.)との出会いさ。
俺たちはその頃ロン毛で、Motorheadのパッチとかをつけて歩いていたんだけれど、向こう側から腰くらいまで髪の毛を伸ばして、逆さ十字架を付けてる奴が歩いてきて、コイツとは仲良くなりてぇ!ってなったのがArmandだったんだ。

LOU:
もちろん、そのあとはスグに仲良くなった。
それからArmandにReagan YouthのVic Venomを紹介してもらったり、イギリスやニューヨークの最高なバンドを教えてもらって、そこからNYHCシーンを知っていったんだ。

Armand Majidi(SOIA Dr.):
俺をメタルやハードコアに導いてくれた奴が2人いたんだ。
後にE-X-EBileでプレイしていたRickyと、同じ高校のDanて奴だ。
Danはメタル一筋で初めてのショウも彼に連れていってもらった。
Rickyは俺にとって初めてのハードコア、Necrosの7インチを教えてくれた奴。
それを聴いてから、メタルよりハードコアの方がヘビーさには欠けるが、なんてアグレッシブで生々しいんだ、最高!ってなっていったんだ。


―技術的には決して上手くなかったし、ギターのチューニングもズレていたりもしたけれど、それが好きだった


PETE:

それから俺たちは、Motorheadとかを聴いているような奴らとだけツルむようになって、より速く、より重いものを欲していった。
ライブを観に行くのも、そのあとは身近で実際に観に行けるバンドにシフトしていって、ブルックリンの「L'Amour」やクイーンズの「L'Amour East」といったライブハウスに目を向けていったんだ。

L'Amour East

最初の頃はもちろん、俺たちが若過ぎたせいで入場させてもらえなかったよ。
しばらくしてからようやく入れるようになって、おぉバンドがステージに立ってるぜ!って感動したけれど、それと同時にどこか遠く触れにくい感じがした。
メタルのショウは、当時そんな空気が蔓延していた気がするな。

LOU:
例外的な話として、初めてMotorheadを観に行ったとき、Lemmyは一人で街を歩いていたし、バーでは一人でハングアウトしていたよ。
話しかけることはできなかったけれど、彼は常に超クールだった。
その頃はよく裏口で出待ちとかをしていたんだ。

1983年にVenomを観に行ったときにも、裏でハングアウトしていたら隣にある男が座ってきて、Venomが好きなのかって聞いてきたんだ。
彼はオープニングで出ていたMetallicaCliff Burtonだった。
俺は「Venomは大好きだ、でも君たちもすげぇ良かったよ」って言ったけれど、彼は何だか不服そうだった。
俺たちは最前列でノっていたけれど、他の観客は大体棒立ちで観ていただけだったからかもしれないな。

これはLOUとSamhein

PETE:
俺たちはいつも周りなんて気にしていなかった。
周りがノっていようが冷めていようが、俺たちがカッコいいと思ったものには熱中して反応していたよ。

LOU:
俺たちはライブの持つエネルギーに魅了されていたけれど、さっきPETEが言っていたようにメタルのライブは特有の空気があって、どこか身近に感じられない遠い感覚があったんだ。
それから陳腐になっていった気がする。

PETE:
そうなんだ。
それと、もっと頻繁にライブに行きたくなった。
パンク/ハードコアのバンドは常にライブをどこかでやっていた。

周りはBlack Flagとかの名前をよく出していたんだけれど、当時の俺には正直ピンとこなかったんだ。
それよりもDischargeAnti-Nowhere Leagueとかを好んで聴いていた。
Black FlagやDead Kennedysはなんだか薄く聴こえてしまって。

でもニューヨークは違った。
なんてったって毎週末に何かしらのショウがあったからな。
カリフォルニアとかよりも、もっと身近に感じられたんだ。

例外として、Suicidal Tendenciesは街の空気感があって大好きだった。
俺が大切にしてるのはバンドもそうだけれど、友だち関係って感じ。
周りが学校を卒業したりして散り散りになっていったけれど、週末の日曜日にCBGBのマチネには皆んなが集まるみたいな。
家族感覚みたいなさ、そういうところがニューヨークのバンドの好きなところなんだ。
5人乗りの車に9人とかすし詰めになりながら長距離を移動して、NYC Mayhemを観にいったりさ。

そんなバンドの多くが技術的には決して上手くなかったし、ギターのチューニングもズレていたりもしたけれど、それが好きだったんだ。
俺も決して優秀なミュージシャンではないから、それが心地良かったし身近に感じられた。
俺たちでもできる、って気付かせてくれたんだ。


―俺たちは複雑な家庭環境で育ったとか、ストリートで生きてきて、みたいな嘘は絶対につかなかった


LOU:

PETEも言っていたように、俺たちはSuicidal Tendenciesは超大好きだったけれど、Murphy's LawやAgnostic Front、Warzoneなど他のニューヨークのバンドの持つ「強さ」みたいなものとは、また少し違うんだよな。
Agnostic Frontなんて、ニューヨークの街そのものの音をしている。
彼らを聴いたら、ニューヨークの地下鉄がすぐ想像できるんだ。

PETE:
そうそう、あの汚いグラフィティだらけの地下鉄をな。
それと同じく、世界一のハードコアバンドMurphy's Lawも音こそ違うが、彼らの音も生粋のニューヨークを感じるね。

LOU:
こないだThe VandalsのベースのJoeと話していたとき、The Vandalsのデビュー当初は周りのバンドと比べて俺たちはハードコアバンドだぜ、イェア!ってな感じに思っていたのに、ニューヨーク出身のAgnostic Frontと初めて一緒になってライブを観た瞬間、メンバー同士で顔を合わせて「これこそがハードコアじゃん!俺たちはハードコアなんかじゃない!」ってなったって言っていたよ。

PETE:
皆んな「これがハードコアだ」とか「いやあれがハードコアだ」とかいって議論するけれどさ、Agnostic Frontは ”ニューヨークハードコア=NYHC” だからな、そこに確実な違いがある。

LOU:
ニューヨークの括りで言うと、Agnostic FrontUnited Bloodが初めて聴いたものの一つだし、Reagan Youthも大好きだ。
それからアメリカのバンドを多く聴くようになったな、Urban WasteD.R.Iの7インチとかね。

PETE:
Agnostic Front ”Victim in Pain” が出て初めて聴いたときに人生を完璧に変えられちまったよ。
本当に延々に聴いていた。

LOU:
G.B.Hとかがやっていたことを、よりパワフルに生々しくした音、正にニューヨークの街そのものの感じがしたんだ。
Cro-Mags ”Age of Quarrel” がNYHCでは最も素晴らしいアルバムだと思うけれど、俺個人の好みでいったら ”Victim in Pain” が1番好きなんだ。
ニューヨークって街を明確に位置付けしたからな。
それから色んなライブをひたすら観に行っていたよ。

そんなある日、Agnostic FrontをCBGBに観に行ったときだ。
俺は当時ロングヘアでMotorheadのベストを着ていたんだけれど、隣にいた人から急に「Agnostic Frontが好きなのか?」って聞かれてさ。
「もちろんだろ、"Victim in Pain” は最強のアルバムだ!それから…」って熱く話し終わったら「そうか、楽しんでいけよ」って・・・まさかのそれがVinnie Stigma本人だったんだ!
そしてそのままステージに上がっていって、ライブを始めたんだ!

Black Sabbathを観に行ったときを思い返したらさ、Tony Iommiは絶対喋りかけてこないし「楽しんでいけよ」なんて言わない。 
その瞬間にもう心酔したよ。
ハードコアと他ジャンルとのクロスオーバーも、古いファンからは賛否両論かもしれないが、俺は賛成だ。
そうやって常にハードコアは生き続けるんだ。

PETE:
ギターのサウンドにしてもそうさ。
俺たちはパンクのプレイスタイルをキープしながら、メタルサウンドをモチーフにしている。
分厚くて大きなサウンドをな。
それはSOIAの人気が広がった要因の一つと考えているよ。

1993
Boogie Down Productions
名前が並んでいるのはアツイ

LOU:
でもその頃のクロスオーバーのイベントが少しおかしくてさ。
CBGBに集まったメタルファンはオープンマインドだったのに対して、数年前から出入りしているハードコアのファンは全然そうでもなかったんだ。
俺が最初にAgnostic Frontを見たときなんか、Motorheadのベストを着ながらロングヘアでも速攻で受け入れられたのにだぜ?

それから数年経って、クロスオーバーが浸透してきたら逆に「おいおい、アイツのロングヘアーとドクターマーチンは何なんだ?」とか言って、しまいには靴を盗んだり、靴紐をハサミで切ったりとかさ。
何ともおかしな話だった。

PETE:
さっきも似た話があったけれど・・・
俺はパンク/ハードコアシーンは常に「どんな格好だろうと関係無い。これがどう、アレがどうとかなんてどうでもいい。俺たちが集まって、一つになること」を軸にしているはずなのに、ときどき全く逆なことがあるんだ。
メタルは別にハードコアから何を盗んだわけでもないのに。
彼らはただ純粋に音楽を楽しんでいただけだ。

LOU:
Agnostic Frontはクロスオーバーの第一人者だと思う。
彼らのライブには多くのメタルヘッズたちが来て「あのアルバムは最高だ」「Agnostic Frontは最高のバンドだ」っていう奴らがいて、Agnostic Frontはそれらを受け入れて拡大させていった。
CBGBのハードコアマチネには「ロックスター」的なソレは無縁だったな。

ただ、ハードコアシーンは閉鎖的で独占欲みたいなところがあったのも事実だ。
それも一定のところまでは理解できる部分があるんだけれど。
商業主義に左右されないシーンであるべきなのは分かるけれど、デモを一枚売った時点から商業主義に少なからず参加していることも理解するべきだ。

そしてこれは繋がるような話だと思うけれど、例えばSlayerとかがライブするときのバーには、セクシーな格好をしたメタルガールたちがズラッと勢揃いなのに対して、当時のハードコアショウには全然女性はいなかったんだ。

PETE:
ここ数年のショウには特によく女性を見かける、最前列とかでもね。
当時はほぼいなかったよ。

LOU:
たくさんの人間が女性の為に声をあげたよね。
7 Seconds "Not Just Boys Fun" って曲とかもそうだ。
近年ではより重要視されているし、アンダーグラウンドでは特に女性の権利が主張されている。

PETE:
男も女も関係ないんだ。
ライブでは皆んなが解放するべきだし、叫んだり、各々にとって意味のある歌詞だったりするんだったら歌えばいいんだ。

LOU:
パンクとメタルの対立構造に、のめり込み過ぎた多くの人間やバンドのことも忘れてはいけないよな。
Sid Viciousはスワスティカを身に付けていたりしたんだぜ?
Slayer "Angel of Death" なんて曲もあるしな。
まぁあれは恐らくただブルータルでショッキングにしたかっただけだと思うけれど。

物凄いラインナップ
TRUE NYHC

PETE:
そう、全然「パンク」ではないよな。
そのあとにはタフガイ万歳!みたいな糞ダサい時期もあったし。
それこそ最初にSOIAでツアーで海外に行きだした頃は、外っ面だけのタフガイムーヴと、ストリートで暮らしてケンカをする、みたいな歌詞が蔓延していた。

LOU:
で、そんな歌詞のバンドが何処の出身かっていうと、オランダの牧場地域だったりしてさ。
一体何処のストリートでケンカしていたんだ?ってね。

PETE:
乳牛の搾乳者の衝突ってか?(笑)

LOU:
本当に付け焼き刃のコピーみたいなバンドが多かったよ。
Agnostic FrontとCro-Magsを人々が経験してからシーンは様変わりしたのは一目瞭然だった。
視覚的に凄いインパクトがあったからね。

俺だってCro-Magsの写真を見て、影響されたし心が動いたのは嘘じゃない。
だけど、俺がステージに立ってタフガイぶっても、それはコメディになるし嘘になってしまうって分かっていたからな。
でも気付かない奴が大勢いたんだよ。
皆んな揃いも揃って、上裸で胸にはタトゥー、筆記体で腹の部分に誰かの名前のタトゥー、みたいなのが横行していた。

PETE:
俺たちは複雑な家庭環境で育ったとか、ストリートで生きてきて、みたいな嘘は絶対につかなかった。
それはCro-MagsでありAgnostic Frontのリアルだからさ。
俺たちは素晴らしい家庭で愛されて育った。
両親も最高だ。
それを誇りに思っている。
ただ時々それでも言われるんだ、「ニューヨークのストリートで育ってきたのは大変だっただろ?」みたいなことをさ。
でも俺は、いや実家暮らしだったし知らねぇって言うのさ(笑)
マジで両親に感謝だぜ!


■Sick of It All

▼LOUへのドネーションは下記サイトより(※Help Lou koller sick of it all fight cancer.)


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