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kiwamu is burning 2016 その1

BURNING SIGN / NODAYSOFFのエロリンです。

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来たる2016年1月9日、京都は西院ガタカにてkiwamu is burning(以下KIB)が開催されます。このKIBというのは2004年に亡くなられたLAST ONE STANDING(以下LOS)のギター、キワムさんへ追悼の意を込めた企画で、当初は少し名称が違いましたが2005年から定期的に開催されています(これまでのフライヤーを少し前になりますが、自分のinstagramにまとめてみました)。

今日はそのKIBについて、自分の回想録的なものと合わせて少しお話できればと。キワムさんの話というよりはKIBと自分、そして所謂その界隈の京都ハードコアのことについての内容も多くなっています。少し長めですがおつき合いを。結構沢山リンクとかも貼ってみたので、テキストリンクなども飛んでみてください。

時は遡り、2004年1月10日。当時の自分は大学生の仲間とLASTING FOR ANSWERというバンドをやっていて、その日は何故か珍しく、最近は移転話でも話題になった京都のネガポジでライブだったと記憶しています。

ライブが終わって一息ついていると誰だったか、naiadNORDEのメンバーからだったと思うが、突然の電話。その内容はshai huludとnaiadのツアー中、東京場所でのnaiadのライブ中にキワムさんが突然亡くなったというショッキングなものでした。

ここでまた少し、時計を巻き戻します。00年代前半の京都ハードコアというのは、90年代後半~の国内全体におけるNYHCやメタリックなハードコアのプチバブル的なものと、CRANKなどを中心に地元が築いてきた空気、そこにnaiadを筆頭にNORDEやNOTⅡBELIKESOMEONE(以下NTBLS)など多くの良質なバンド達が集まり、デモやCDのリリースなどウーピーズを本拠地に、大きな盛り上がりを見せていました。当時の自分のバンドはちょっと実力不足で、少しカヤの外側から見ていましたが・・・苦笑。

LOSは拠点を滋賀に置きつつも、近郊であることやドラムのシュンキ君はNORDEとかけ持ち&京都在住だったことも含めて(最初期はnaiadのヨシケンさんが叩いてましたよね)かなり近い関係として京都ハードコアと連動して動くことが多く、とても濃い関係を築いていました(今回のこの投稿に反応していただいた方の中に北海道のSET OFFのメンバーさんがおられて、貴重なLOSの初期にあたる2001年当時のインタビューを挙げてくれていました)。

特に2003年はnaiadLOSともに後に再プレスされまくることになる、待望の単独音源をリリース、その他の周りのバンドもV.Aへの参加やデモのリリースなど相次ぎ、最もお客さんが増えていった時期だったと記憶しています。海外バンドの来日で京都に来ることが増えてきたのもこの頃からでした。今でも語り草になっているnaiad参加の3way split『change it from ideal to real』レコ発時ウーピーズへの長蛇の列&満員御礼の様子は、とても目と心に焼き付いています。

これは何だか凄い瞬間に立ち会っているんじゃないか?過去の様々なユースカルチャー的なムーブメントに自分たちを重ねてしまうがごとく、あの時リアルタイムの渦中では何とも言えない高揚感が皆の中にありました。それはお客さんも、ライブハウスの人間も、多くの人たちの期待感の膨らみとともに。今となっては驚くようなオファーや、とんでもなく大きなスケールの話も聞こえてくるほどでした。しかしそんな中で訪れた突然のキワムさんの死と言うのは本当に衝撃的で、若かった自分たちにとっては目の前の現実を直視できず、でも何かが崩れてしまう音がするような…今思えば少しずつ歯車が狂いだしたのもあの頃からだったのかな、なんて気がします。

SHAI HULUDとのツアーの最中に起こったことで皆とてもバタバタしていましたが、お葬式に向かう道中の何だか皆が空元気を出している感じ(皆ぜんぜん似合ってないスーツがガラ悪かったです)と、会場についてからの喪失感や非現実感、メンバーやご親族の悲しみに暮れた様子は凄く印象に残っています。あとはSLANGのKOさんが急に駆けつけたという感じでガッツリN3-Bを着込んでT.J.MAXXのガンさんと現れたのも。皆思いました、どうしてあんな明るく人気者だった彼が、と。

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SHAI HULUDのツアーは、naiadが一旦キャンセルする形で日程が進んでいましたが、1/18のツアー最終日ウーピーズはnaiadも出演。前の日だったか前の週だったか、京都ハードコアの皆で夜中に街中の中心にある八千代公園に集まった覚えがあります。そこはいつも夜中に皆で集まって、リーガル/イリーガルにフライヤーを撒き・貼りに走った本拠地だったところ。あの集合した日にどんな話をしたかは細かく覚えていませんが、とにかく頑張ろうというような内容だったかと思います。当日のライブは非日常感が強すぎて、KRUSHとBOSSのcandle chantがウーピーズに流れていたことだけが強く記憶に残っています(今回KIB2016にはDJ malta名義で参加してもらった、NORDEのVo.ミッちゃんからの情報では、TIME HAZ COMEでギターを弾いていたアッチ君がかけていたとのこと)。

亡くなられた翌年から、京都ウーピーズで彼の追悼イベントが行われるようになりました。最初はREST IN POSITIVEというタイトルで、数年後にkiwamu is burningへ。というところで今日はここまで。NODAYSOFFのスタジオに行ってきます。


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