外食産業の歴史を振り返る
1970年代
大阪万博は日本の外食文が商売から産業への転換期となった。アメリカ発のファーストフードやカフェなどの新しい業態を紹介。
マクドナルド1号店(銀座三越)は社会現象となり、客席無しで日商100万円を売った。
自動車の復旧とともに郊外という新立地にてファミレスが急成長。
自社工場を設けて調理加工を集中することで、店では未熟練者でも商品提供が可能な仕組みを構築。(製販分離)これによりチェーン展開が加速。
1980年代
カフェバーが当時の最先端。スタイリッシュな空間でお茶もお酒も楽しめる。
カーニバルプラザ(大阪・江坂)は725席という巨艦店で年商25億円を売上げた。
ファミレス御三家の店舗数・売上がピークに。売上は現在の倍近い水準にあった。和食や中華の専門チェーンが生まれ細分化も始まる。
ファミレスと並んで居酒屋チェーンも最盛期。それまでの酒場とは違う明るい店内、メニューも多彩で安価な価格が若者から圧倒的な支持を得た。
ドミノピザが日本に上陸。宅配の歴史が始まる。その後宅配業態は寿司や弁当などジャンルを広げながら浸透していく。
1990年代(バブル崩壊で贅沢三昧から節約志向へと消費の様相は一変。)
低価格化
・すかいらーくは新業態としてガストを開発。一年間で400店を転換した。ガストはすかいらーくが100品目以上のメニューを揃えていたのに対し35品目に絞り込み、主力メニューを680円から380円に引き下げた。原価は上昇するが調理作業が減る為人件費が下がる。(トレードオフ)
客単価は下がるものの、それをカバーする客数増を達成した。
・マクドナルドは期間限定セールを経て大幅値下げを断行した。
低価格を打ち出していた第二世代のサイゼリヤやジョイフル、中食ニーズをとらえたオリジン弁当が台頭。
市場が縮小に転じる一方で消費者ニーズは高度化していった。それに応える形で有名シェフが事業化を目指して開発した新コンセプトの店が支持を集めた。
カフェはオーナーの個性を表現した店づくり、多様な動機に対応するメニュー構成など自由なスタイルが若者の支持を集めた。
インターネットの普及により、外食の情報をオンラインで調べることが可能になり、口コミサイトなどが登場。
2000年代
かつて産業化を牽引したファミレスは総合店であった、それに代わってジャンル特化型の専門店が勢力を拡大。丸亀製麺は史上最速で全都道府県への出店を達成。
国内市場の伸びが望めない中、海外に活路を見出す動きが顕著に。吉野家やモスバーガーが海外進出を果たし、グローバル市場でも人気を博した。
ワイン価格の下落でバルやビストロが身近な存在に。
食材を産地から直接調達する動きが広がる中、さらに生産から関わる新しいビジネスモデル(6次産業化)が注目される。
店数が減少の一途だった喫茶店がリバイバル。お値打ち度や利便性ではない居心地のよさが評価されるのは外食市場の成熟を示していると言える。
健康志向が高まり、低カロリーやオーガニック食材を使用したメニューが人気を集めた。また、環境に配慮した店舗作りや包装材の見直しも進んだ。
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2010年代
消費者の価値観がさらに変化し、外食産業も持続可能性や体験重視の方向へと進化した。
SNS(特にInstagramやTwitter)を通じて、美しい料理やユニークな食体験が注目を浴びるようになりました。これにより、店舗やメニューのブランディングが重要になりました。
環境問題や社会的責任が意識される中で、フードロスの削減や持続可能な食材の使用が重要なテーマとなりました。
世界各国の料理が日本に本格的に進出し、より多様な食文化が楽しめるようになりました。特にアジア圏の料理が人気を集め、グローバル化がさらに進みました。
高級外食や「ヘルシー外食」など、食のクオリティや健康を意識した選択肢が増えました。消費者が「体験」としての外食を重視する傾向が強まりました。
2020年代
COVID-19の影響で、外食産業は大きな打撃を受けましたが、その一方で新たなビジネスモデルや消費のスタイルが生まれました。外食における衛生面や社会的距離の確保が重視され、テイクアウトやデリバリーの需要が急増しました。また、オンラインでの注文、キャッシュレス決済、非接触型のサービスが普及しました。
2030年代以降の展望
外食産業は、今後もテクノロジー、環境問題、社会の変化に影響されながら進化するでしょう。
参考書籍:月刊専門料理 2014 10月号