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「江戸前晋作」西村晋作さんへインタビュー!

テリヤキスト・品川イッコーさんによるシェフインタビューシリーズ第二弾として、今回はミシュラン一つ星を獲得する予約困難な天ぷら店「江戸前晋作」の店主・西村晋作さんへのインタビュー記事をお届けさせていただきます。
いまや東京を代表する天ぷら店となった「江戸前晋作」が生まれるまでのヒストリーを西村大将に聞いてきちゃいました!

インタビュアー:品川イッコー、インタビュイー:西村晋作

イッコー:今日はお忙しい中、お時間いただきありがとうございます!西村さん、長野出身だと聞きましたが、学生時代の話を少し聞かせてもらえますか?

西村:もちろんです。長野と言えば、結構不良が多かったんですよ(笑)。僕もその一員で、東京に来たばかりの頃、リーゼントでコンビニに立ち寄ったら、地元のヤンキーたちに絡まれたんです。でも、すぐに「お前すげぇな、その格好!」と褒められて、その日のうちに仲良くなりました。そこから友達が増えて、いろんな人と知り合いましたよ。

イッコー:それは波乱万丈ですね(笑)。でも、そこからどんな形で真っ当な道に進むことになったんですか?

西村:まぁ、色々と問題も起こしてましたね。逮捕もされて、20歳を過ぎても捕まったこともあって、「このままじゃダメだ」と思い始めたんです。悪の道を進んで行くか、それとも真っ当な道に戻るかで、仲間たちと分かれて、最終的に「料理を仕事にしよう」と決めました。

イッコー:料理を仕事にしようと決めたのはどうしてですか?食べるのも好きだったんですか?

西村:はい、食べるのも作るのも好きでした。両親は共働きだったので、家にいる時間が多くて、早くから料理に触れる機会があったんです。保育園くらいの時から食材を切ったりして、家でサバイバル的な感じでした(笑)。その時に料理の楽しさを知って、自然に料理の世界に引き寄せられていきましたね。

イッコー:そんな小さい頃から料理に触れていたんですね。そこから本格的に料理を学ぼうと決めた時、最初に選んだジャンルはフレンチだったんですか?

西村:そうですね。最初はフレンチに魅力を感じて学び始めたんです。フレンチは技法も多くて、料理の奥深さがあるんですが、どうしても一つの技法を深く掘り下げるほうが自分に合っていると感じて。それで、天ぷらにたどり着きました。

イッコー:天ぷらに絞った理由は何ですか?実は、最初から天ぷらに絞っていたわけではなかったんですね。

西村:そうですね。最初はフレンチや他のジャンルも試してみたんですが、どこか物足りなさがあって。天ぷらの職人に出会って、彼の技法や生き様に惹かれました。それが「みかわ」の本を読んだ時です。最初は天ぷらのことではなく、彼の生き方に感動して、「これだ!」と思ったんです。

イッコー:「みかわ」といえば、早乙女さんの破天荒な生き様が有名ですが、実際にお店で働くという選択肢はなかったんですね?

西村:そうですね、正直言うと「みかわ」の早乙女さんと揉めるのは避けたかったので(笑)。でも、その技法を学びたかったので、毎週食べに行って、食材の使い方や道具、油の種類まで徹底的に観察していました。それを家で毎日再現して、研究していたんです。

イッコー:その努力、すごいですね。つまり、「みかわ」で働くわけではなく、カウンター席で観察しながら、家で再現していたということですか?

西村:そうです。実際に厨房ではなく、カウンター席から職人の動きや音をじっと聞いて、毎回微調整しながら家で実践していました。家の鍋で同じ温度でも、少しの違いで全然仕上がりが違うので、常に調整し続けていましたね。

イッコー:それ、早乙女さんは気づいていたんですか?まさかそんな風に学んでいるとは思わなかったでしょうね(笑)。

西村:きっと気づいていなかったでしょう(笑)。でも、いつかは「自分が独立する」という気持ちが強かったので、技術を盗むというより、学んだことを自分のものにするために必死でした。

イッコー:その期間はどれくらいだったんですか?

西村:約3〜4年ですね。その間は天ぷらの技術を身につけるために本当に集中していました。

イッコー:その後、独立する決心をしたのはどんな時ですか?

西村:独立するタイミングは早く欲しかったんですが、ビジネス面で全く知識がなくて、色々な人に相談しながら準備を進めていきました。最終的に31歳で開業しましたが、最初の頃は技術が追いつかなくて、自分で納得できない部分が多くて苦しみました。

イッコー:最初の頃は本当に大変だったんですね。家族のサポートもあったと思いますが、最初はどんな状況だったんですか?

西村:嫁が手伝ってくれましたが、出産後は一人でワンオペ営業をしていました。最初の4年半は本当に過酷でした。仕事が終わってから、納得いかないことがあると納得するまでやって3時とかまでやって。それから片付けしてまた朝8時には仕込みしてましたから睡眠時間は2~3時間。

イッコー:それが今の西村さんの基盤を作ったんですね。ミシュラン一つ星も7年連続ですごい成果をあげましたが、最初の頃は信じられなかったんじゃないですか?

西村:そうですね、正直「ミシュランなんて本当に取れるのか?」って思っていました。でも実際に取れて、周りが騒いでくれた時は嬉しかったです。ただ、最初は寝れなかったし、技術面で満足できていなかったので、それが続いていましたね。

イッコー:本郷三丁目から人形町に移転した理由は何ですか?

西村:冷蔵施設が不十分で、魚を熟成させるための環境を整える必要がありました。それに、従業員も増えたので、より天ぷらに集中できる環境を作りたかったんです。

イッコー:なるほど。では、今後の展望としてはどう考えているんですか?

西村:将来的には、北海道で農業をしたいと思っています。食材が毎日違うことに喜びを感じているので、そういうものを育てていきたいですね。また、弟子を育てることにも興味を持ち始めていて、料理人として成長してもらうことが楽しみです。

イッコー:まさに料理と共に歩んできた人生ですね。最後に、若い料理人にアドバイスをお願いします。

西村:料理の技術だけでなく、人としてどう生きるかが大切だと思います。料理人として、技術を磨くだけではなく、お客さんにどう接するか、仕事の姿勢をどう持つかが大事です。それをしっかり教えていきたいと思っています。

イッコー:本日は貴重なお話をありがとうございました!

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