見出し画像

#17.ピアノを習っていたけど、練習が嫌いでした‥。

音楽好きの方の中には、ピアノを習っていた方、また習っている方は少なくないと思います。

子供の頃に鍵盤に親しんでいるという事は、今思うと素晴らしい事だと思います。祖母と母に感謝しかありません。
始まりは、保育園時代に私自身が祖母に『オルガンを習いたい』と言ったそうです。(全く記憶にない)そこから、小学生からはピアノに代わり、高校2年まで続いていました。

赤いバイエル(教則本)を始めたのは、小学1年。埼玉県に住んでいた頃でした。
母と弟と一緒にピアノ教室に通っていました。赤いバイエルはサクサク進むので楽しく通っていましたが、黄色のバイエルになると練習するのが嫌で、譜面を読むのが嫌いだったのを覚えています。
弟も習っていて、彼が課題の練習曲をクリアーすると、何故だか毎回ミニカーを買ってもらってました。私は別にご褒美はなかったと記憶してます。たまに、リカちゃん人形の着せ替えお洋服を買ってもらったような、、、。
母としては、ご褒美があるからと、私達の練習を促したかったのでしょう。
黄色のバイエルを卒業し、ブルグミュラーに。このブルグミュラーが私にはピッタリきて、とても楽しくなってきました。というのは、曲名が番号ではなく、きちんとタイトルが付いていた事。このタイトルが、譜面を読む前のワクワク感を沸き立たせてくれて、嫌いな譜読みも頑張れるようになりました。
どこで何に楽しさを感じるかわからないものです。
ある程度嫌でも続けてみると、そういう楽しい発見があるかもしれないですね。続けるっていい事があるってことでしょうか。

小学3年生の時、クラスの女子が、テレビドラマの『太陽に吼えろ』のオープニングテーマをオルガンで弾いて遊んでいました。
それが、なんだかとても、カッコよくて、私も家で真似してみました。
その日から、テレビの歌謡曲や、アニメの曲を耳で聴いたまま弾いて楽しんでいました。今思えば「耳コピもどき」を知らぬ間にしていたんですね。

「譜面がなくても、ピアノを自由に弾いていいんだ!」と思った私は、手当たり次第、気に入った曲を弾き、歌っていました。

小学6年生の時、父の仕事の関係で転勤が続く事になり、2人の弟と離れて私は祖父母の元で暮らす事になりました。
これが、私を音楽に向かわせた大きなきっかけになったのです。
弟達と離れた事で、寂しい中自分の時間が増え、その時間を埋めていくように、音楽を聞くようになりました。

丁度、その小学6年の時、学級歌を作らせて頂いたことがありました。
何故私が作る事になったのか覚えてませんが、お掃除の時間にクラスメイトが鼻歌でその曲を歌っていたのを聞いて、物凄く嬉しかったのを思い出します。
それこそが大きなきっかけとなり、作詞作曲という楽しさにハマっていったのでした。このあたりで、音楽を生業にしていきたいと決めていたんだと思います。

つたない私の音楽人生の始まりを綴ってみました。