無性別が神聖だと思う理由

SNSで無作為に垂れ流すのは好みではないためnoteに綴ろう。

創作をしていると色々癖(ヘキ)というものがあるが、なかでも“無性別”というものは自分の中で別格に値する存在である。
その名の通り性別が無く、生殖器を持たないということだ。繁殖を必要としていないということである。
繁殖を必要としないということは雄雌で求めることがなく一個体で完成された存在であり、他者に対して愛着というものが発生しない。
愛着というかドロリとした執着が正解かもしれない。

自創作のTeriosdoll(石人形)という鉱物・パワーストーンの擬人形の行動理念は、人間の救済欲求である。
ただ彼らに献身的に尽くし、一人の人間として成長し幸せになってほしいというコンセプトが根底にある。
(石と人間が契約を結び召喚する形になるので、主と従者としての絆は存在する)
それは愛“情”ではなくて“愛”だ。愛には見返りがない。ただ無償の愛を与え続ける存在。
人間にそんなこと到底無理だ。
はるか昔から人間の文明だって鉱物資源で成り立っている。石に生かされている。石器時代と何ら変わらない。
己の身を削られたとて大地に命を住まわせ続け、ガイアという神が本当に要るならなんと懐の大きい神様なのだろうか
地球大感謝マジ卍である。(罰のように環境問題が発生していることもあるが…)

という風に無機物である鉱物と無性別はとても相性がいいのだ。
神秘性をもった人外キャラには無性別をつけがち

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