富士山は山じゃない、丘。ブータン王国編
久々の海外回想録エッセイ。すっかり2023年も後半。気づけば1年に1ヶ国くらいのペースで書いている旅エッセイ、前回がメルボルン編だったので時系列順でいうとニュージーランド・スコットランドのフィンドホーン財団編になるのですが、もう書きやすい国から記していくことにして先に2019年のブータン王国編にいくとします。
約8割はすぐ書けたのに過去についての文章を綴る意味みたいなものを掴みづらくなっていたのですが、やっぱりまとめてみようと思います。もしよろしければ、お付き合いくださいまし🇧🇹
ブータン王国編-1
ブータン王国。面積は日本の九州とほぼ同じ、言語はゾンカ語やネパール語、通貨はヌルタム…アジア好きとしては人生一度は訪ねてみたい場所で、旅リストの行先には入っていたものの気軽に行きやすい国ではない。本当に行くのかブータン…?おぉ…(謎の呟き)と、ドキドキする部分もありつつ『あまり躊躇しているとこれからの社会情勢の変化で、場合によっては行きづらくなってくる国も出てくるかもよ…!』と親愛なる友人に背中を押してもらい、渡航を決意した2019年の冬。
当時はコロナでまさか本当に海外に行けなくなるなどとは思わず、あくまで予測でしかなかったものの…今思えば2019年中にブータン+チベット・カイラス山巡礼へ行くことは貴重なチャンスで、本当にしてよかった決断だった。
ブータンは1年あたりの観光客の数を制限しているのでバックパッカーのような個人のみの気ままな旅はできず、必ず旅行会社やガイドを通す必要があり公定料金が1日あたり決まっている。(2019年情報)今回は割安に感じたこともあり、グループツアーの方に参加することに。
調べていくうちに折角行くのだから、年に一度行われているというパロ・ツェチュ祭という大祭で祭事や民族舞踊を観よう!となり、あとは山中にある聖地タクツァン僧院という寺院に是非行ってみたかった。段々と、お目当ての場所と日程が徐々に決まっていき、2019年3月の冬至をはさむ1週間に念願のブータンへと向かうことになった。
成田→タイのバンコクで1泊→インドのコルカタを経由して、パロ空港に辿り着く。
ブータン唯一の国際空港・パロ空港は標高2237m、富士山5合目程。1998年にできた新しい空港で現地ガイドさん曰く、パロ空港が完成した際はブータン各地からその完成を見るために、お弁当を持って遠足がてら人々が見学に集まったというほのぼのエピソードがあるらしい。
空港に着いた時点で標高が高く、ヒマラヤの山々と共にあるブータンでは標高4000m以下の山は山ではなく、あくまで丘とのこと。だから富士山も丘。
ブータン人ガイドのTさんからは『富士山は高さ何メートルですか?え、3000メートル台?あぁ、それは丘ですね。』などと言われていた。日本人の心に宿る富士山も、ヒマラヤの人々からすればちょっと小高い丘(?)なのだ。価値観・世界観は場所が違うと容易く違う面が見えてきたりする。
長時間のフライトもあったせいか、空気が若干薄いのかな…という体感覚でスタート。意識的に深呼吸しつつ今回の旅のツアーメンバーの方々と合流すると、一同でバンに乗り込んだ。
まずは1箇所目の目的地、ブータンで最も有名な日本人だという農業指導者の故・西岡京治さんを偲ぶ仏塔・西岡チョルテンを訪ね、その後に早速パロ・ツェチュ祭に向かうことに。バンの中ではタシカダという歓迎を意味する白いストールのような布が配られた。
タシカダを握りしめ、車の窓から見える日本の山間部に似た景色を眺めながら、ついに念願のブータンに来てもうた…とわくわくしていた。
次回、『年に1度のパロ・ツェチュ祭で見た地域コミュニティーの土台』へつづく