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ずっと私の血の中で生きている〜私にとって金原ひとみという人〜

スプリットタンって知ってる?

そんな一言から始まる小説に中学1年生だった私は引き込まれていった

この本を書いた人の名前は、金原ひとみ。
私の人生感を180度変えた人。

芥川賞に選ばれた「蛇にピアス」は当時の私にセンセーショナルで刺さった。

私の心から尊敬する人。



親愛なる、金原ひとみ

世界で1番大好きな小説家。
私がnoteを書こうと思ったのは、金原ひとみはチラシの裏にあの芥川賞をとった蛇にピアスを書いていたと聞いたから。何度スプリットタンにしようと思っただろうか。何度ルイとアマに憧れただろうか。

自粛生活中、本ばかり読んでいた。良いタイミングでパリの砂漠 東京の蜃気楼が出版され、どうして金原ひとみがパリに行かなければならなかったのか。東日本大震災が起きて、原発事故。逃げるために岡山、そしてパリへと渡った彼女に安心した。少し嬉しかった。日本にいないという事実は寂しかったけれど、彼女らしい理由だったから。


蛇にピアスに出会ったのがちょうど10年前の中学1年生のとき。マザーズという小説に出会って、私にとって母親とは何か自問自答し図書館で泣いた高校3年。マザーズで金原ひとみの本に再会してから、彼女の出版されている本は全て読んだ。栄養のように彼女の書く文章をどんどん吸収してきた。こんな文章を書く人が常日頃何を考えてどんな生活をしているのか知りたい、絶対に会いたいと思った頃、金原ひとみは既にパリにいた。
金原ひとみ中心の生活をしていた私、絶望。
金原ひとみのいないつまらない日本で生活していて私は楽しいのだろうか。そう感じながら、家から2時間もかけて大きな本屋さんへ出向き彼女の本を買い漁っていた。ネットニュースにインタビューが載るたびに日本に帰ってきてたんだ!という喜びと会えなかった悲しみが混在して、大変気を揉んでいた。

それでも彼女が書いた文章を読み続けた。
こんな素敵な文章を書く人の、思想を考えをもっと頭に取り込みたかった。

やっと彼女に会えたのは大学3年の秋。
パリから帰ってきて初めてのイベントだっだと思う。他の小説家とのトークイベント。

 終演後のサイン会で、会いにパリまで行こうと思ってたって感極まって泣いてしまったら、金原さんが「私これからも頑張って文章書くからね。あなたも…」と涙ながらに約束してくれて、強く握手をした。私の宝物。アタラクシアにサインしてくれた。

こんなに話を直接聞きたい人は他にはいないかもしれない。毎日何を考えているのか。


東京に来てから5年。そんなに良いことばかりじゃなかった。どこかにいなくなってしまいそうな日もあったけど、彼女と同じ東京という場所で生きていけるということが私にとってとっても良いこと、嬉しいこと。あなたの書いた文章が私の血の中で栄養として生きている。そして思想として生き方として昇華されていく。


そう思いながら、また今日も彼女の本を読む。


金原ひとみさんに届いたらうれしいです。

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terayuki0217non@gmail.com

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