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Google map

私はどこに行くときでも、グーグルマップを使う。
特に電車で移動するときは便利だ。

一度も行ったことのないような駅での
乗り換えも何も考えることもなく、
スムーズにいく。

グーグルマップがあれば、
電車の乗り換えに困らないという
心理的な安心感は機械ながらに
愛情すら感じるときがある。

車での移動ときは、
グーグルマップをカーナビのように
使っているが状況が一変する。

「対向車が来たらどうする?」と
不安になるような極端に狭い道を通らされたり、
誰も通らないような山道を通らされたりするのだ。
先日は車体の幅ギリギリの農道を通らされた。

私は目的地に行きたいだけなのに、
なぜこんなにヒヤヒヤさせられなければならないのか?
グーグルマップを信頼した自分にイライラしてしまう。

さらに同乗者がいると問題は発展する。
私は自分にイライラするのが嫌で、
グーグルマップが示すルートに疑問を持つようになる。

同乗者がグーグルマップを使って
ナビゲートしてくれるのだが、
グーグルマップを信頼できなくなっている私は、
同乗者の案内に「本当に大丈夫?」と
疑問を持ってしまう。

その態度をみて、「私を信頼できないの?」とばかりに、
同乗者の機嫌が悪くなってしまうのだ。

いやいや、私はあなたを信頼しているけれど、
グーグルマップを信頼できないだけなんだと
伝えたところで言葉は空をきって届かない。

特に同乗者が妻の場合は、
夫婦喧嘩になるから大変だ。

目的地に着くまで、車内は混沌としてしまう。
そうなると、一体何のためにそこへ行きたかったのか、
もう理由は思い出せない。
運転にも集中できない。早く帰りたい(笑)

決まった時間、決まったルートであれば、
グーグルマップは便利だが、
自由度の高い車での移動では
難しさがあるのだろう。

機械を信頼しすぎてしまうのは、
機械を使っているようで
機械に振り回されてしまう可能性もある。

それだけではない、
人の信頼もなくしてしまいかねない。

これから自動運転技術が発達するようだが、
「本当に大丈夫か?」

私はどこまで機械を信頼すれば良いのだろうか。
と不安になってしまう。

機械に任せきりにするのではなく、
昔のように自分でルートを調べて地図を見ながら、
自分の中で確信しながら目的地に向かう方が、
よっぽど健全なのではないだろうか。

いや、もしかすると、
悪路を案内されるのは、
Google mapの愛情なのではないか。
「かわいい子には旅をさせよ」と
いうではないか。

スムーズに行かないことも、
悪路とは言わずこんな道があるのだと
知ることも体験じゃないか。

そんなことを考えていると、
もうどっちでも良くなってきた。

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