あとがきより『非認知能力をはぐくむ絵本ガイド180』2022年3月10日刊行 #寺島知春 #アトリエ游
『非認知能力をはぐくむ絵本ガイド180』(寺島知春/著、秀和システム)という本を書きました。2022年3月10日より、全国の書店・インターネット書店に並び始めます。
この本は、一つには、180冊の絵本を非認知能力の切り口で紹介するガイド本です。でも、書き始める前から、それだけに終始するのはもったいないような気がしていました。
非認知能力と絵本との関係にはもちろん触れるけれど、せっかく手にとってもらうから、それよりもっと奥、つまり「絵本の本当の楽しみ」を味わってもらえる出発点にしたい……。そんなことを考えていました。
「絵本のガイド本」「ハウツー本」のようでいて、最後まで読むと真逆の場所にたどり着く。結果として、そんな、新しくて面白い読み物に着地させられたんじゃないかと思っています。
あとがきをのぞくと、この本の雰囲気を感じてもらえるかもしれません。少し長いですが、ここではその一部を引用してみたいと思います。
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おわりに
絵本を読むと何がいいの? 読んでもらった子どもの視点から
絵本を読むと何がいいのか、どんなメリットがあるのか──。この問いにひと言で答えるのは、私にはとても難しく思えます。
そして、答えをひねり出してみようとすると、絵本を読んでもらっていた子どもの頃の自分と、大人になった現在の自分とが、心の内側で何かを懸命に伝えてくるのを感じます。
子どもの私に耳を傾けると、彼女がシェアしようとしているのは、どうやら「心地よかった記憶」の数々のようです。
あの絵本ではこんな体験をした、とか。この絵本の舞台はどこまでもふくらむように広くて面白かった、とか。かつて毎日の終わりに、いつもの本棚から好きな一冊を選んできて、ひとときの「非日常」に想像を遊ばせた頃の抗いがたい気持ちよさが、この子の声そのものなのでしょう。
一方で、大人になった私は、その子の伝えてくるものを何とか言葉にしようと奮闘しています。それはそのまま、本書を執筆する現実の私の姿でもあります。
子どもの自分が投げかけるものは、たった一冊の絵本を味わった時の記憶であっても、たくさんの複雑な感情の動きを内包していて、本当は、とても言葉では表しきれません。
それでも、何とかその感覚を元の形を変えてしまわないように気をつけながら、大人の私は、他の大人に手渡せるものにしてみようと模索し続けています。
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『めっきらもっきら どおん どん』という絵本があります。
本書の第2章で「社交性をはぐくむ絵本」として紹介したこの作品は、私も子どもの頃に大のお気に入りだったものです。出会いはおそらく3歳前後で、毎週必ず数回は読んでもらうほど、特別な一冊でした。
物語の主人公は、かんたという男の子です。この子は神社ででたらめな歌を歌ったのをきっかけに、異世界へと連れられていきます。そこで出会った3人の妖怪と、友達になって一緒に遊ぶお話です。
この作品が見せてくれる想像の世界は、上下左右に途方もない空間の広がりがあって、それがとても気持ちよかったのを覚えています。広がりを生んでいたのは、妖怪たちとの遊びでした。
赤い髪の毛の妖怪「しっかかもっかか」と一緒に、空を飛びまわる「モモンガーごっこ」では、空想の中で風呂敷をマントにして枝から枝へ、すごいスピードで飛んだものです。どれだけ遠くへ行っても、その世界の果てが見えたことはありませんでした。
縄跳びの名人「もんもんびゃっこ」との一幕だって、そうです。縄跳びの端っこを手に持って、地面をぽーんとひと蹴りすれば、体はたちまち、はるか上空です。ぴょーん、ぴょーんと跳ねるたびに、月の浮かぶ夜空の澄んだ空気を、胸いっぱいに吸っていました。
私はかんたになりきって、高さも奥行きもあるイメージの空間を、妖怪たちと夜な夜な広げていたのです。
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『めっきらもっきら どおん どん』をこんなふうに楽しめるのは、何も私だけではないでしょう。
どんな子どもも3、4歳あたりになると、その子なりの想像力で絵本のイメージに遊んでいるものです。そのくらいの年ごろの子に絵本を読んでいると、じっと画面を見つめて、しばらく言葉を発しないことがありませんか? あの時間には、たいていここで遊んでいるものです。
子どもの私が、大人の私のところに持ってきて見せてくれた『めっきらもっきら どおん どん』の記憶には、等身大の絵本の楽しみが詰まっています。それは「絵本を読むと何がいいのか」という問いに対する、子どもの私の答えでもあります。
画面を前にして、文章を読んでくれる大人の肉声を聞きながら、絵をゆっくりと読む──。「子どものやり方」として第3章の終わりに言及したこのプロセスで絵本を読む時には、この広がりをよく味わえます。
そこでは非認知能力も自ずとはぐくまれる、というのは、本書でくり返してきた通りです。
ところで、子どもには、面白いと思えない作品を手放す自由もあります。それをしていいというのが、かつての私が絵本に惹きつけられた一つの要因でもありました。
子どもたちの「面白い・面白くない」の判断は、無駄な色眼鏡もなければ、容赦もありません。本能とも言えるところで、質のいい作品を探し当てていく力が備わっています。
第2章で紹介した180冊は、子どもによく響く作品がほとんどでしょう。けれど、その中からもやはり、その子ごとの「面白い・面白くない」「好き・嫌い」が出てきて当然です。
大人は、子どものそういう動きを許容しながら、大好きな一冊一冊をともに増やしていく遊びを楽しんでもらえたらと思います。
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非認知能力の育成を絵本で、とうたう本書には、そのための具体的な方法や見方を、なるべく子どもの視点から大人に理解してもらえるように書いたつもりです。
終始、「昔の自分のように絵本との幸せな時間を過ごす子どもが、一人でも増えるといいな」と思いながら書いてきました。
子どもにとって当たり前の環境で絵本が読まれ、彼らにしっかり受け取られるのなら、その子たちの非認知能力はおのずとよく伸びていくでしょう。
そのことを、拙い筆の力でどこまでお伝えできただろうかという不安は拭えませんが、これをきっかけに家庭での絵本の時間がますます増え、長い人生を生きるための大切な力を強くする子がいてくれたら、こんなにうれしいことはありません。
大人の私としての、冒頭の問いに対する答えは、こんなところでしょうか。
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なお、本書では第2章の180冊の絵本を、個々の非認知能力にふり分けて紹介しました。けれど、どの作品も本来は、その力だけをはぐくむにとどまらない、複合的で豊かな働きをするものです。
そしてまた「非認知能力をはぐくむ」という目的に限定して語るのがもったいないほど、絵本は広く、深い面白さをたたえています。
この本では、広く知られた作品や、刊行されて日の浅い秀作を中心に選書を行いました。それは、自宅の本棚で日々見かける一冊や、書店で何気なく手に取った一冊にも、非認知能力をはぐくむ要素がたっぷりと含まれることをまずお知らせしたいという気持ちからです。
でも、これはほんの一例に過ぎません。この機会に絵本に興味を持っていただけたなら、今度はガイドブックを手放して、書店の店頭で気ままに絵本選びを楽しんでもらえることを願っています。
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「子どもの目」で絵本をとらえて、気ままに楽しくつきあっていく。そんな絵本とのつきあい方の、ほんとのところが伝わったらいいなと思っています。