河童を探して鳥取県 境港市水木しげるロード 妖怪とは人の思いによって実体化するものである。
はじめに
ども、河童です。
妖怪な仕事で生きていく、と決めたからには境港の水木しげるロードにはいかねばなるまいと常々思っていた。50歳という節目の年に、えいや!!と痛い腰をもちあげて鳥取県の境港市にある水木しげるロードに向かった。
途中、昼前に蒜山バーガーを食べたり、米子マンガミュージアムで休憩をとりつつ、高速道路を5時間かけて境港駅にたどり着く。
水木しげるロードは、境港駅から水木しげる記念館までの商店街の歩道に妖怪のブロンズ像が並んでいる。
日本で妖怪の町といえば、東の遠野、西の境港である。この二つの町に共通するものは偉人の存在である。遠野物語を書いた柳田邦男そしてゲゲゲの鬼太郎を描いた水木しげるの二人。
彼らが長年光を当て続けてきた妖怪に、問題を解決したい人々の思いが収束していった。
高度成長期から凋落した町の商店街を含む財界。人口減少に歯止めをかけ、一つでも多くの経済効果を地元にもたらしたい政界。生活のため働かなければならない人々、多者多様の思い思惑の歯車が、カチリと合い、妖怪の町として正解を作り上げた。
第1の歯車 水木しげるという神
漫画家水木しげるは1922年、大阪で生まれ、幼少期を鳥取県境港で育つ。1943年に太平洋戦争の兵隊として徴兵される、南方で戦い、片腕を失う。終戦後、漫画家として成功する。水木しげるの半生については、「ゲゲゲの女房」で書籍化され、朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」でドラマ化される。宮藤官九郎による映画も存在する。
ヒット作にゲゲゲの鬼太郎、悪魔くん、河童の三平などがあり、なんどもドラマ化アニメ化される。ゲゲゲの鬼太郎にいたっては6回アニメ化されている。子どもたちに人気の妖怪ウォッチは最新のゲゲゲの鬼太郎と同一世界である。
水木しげるの偉大なところは、それまで人づてに伝えられていた無名の妖怪たちに名前と容姿を与えたことにある。
たとえば河童。
河童の呼び名には河童のほかにセコ、エンコウ、ガタロウ、等々数えればきりがない、その姿にしても、皿があったりなかったり、赤かったり、毛があったり。それを水木しげるが、河童という名前と皿あり緑の肌に決定した。それによって、われわれは、河童について話すことができるのである。
JIS規格がすべての工業製品に名前を付けたと同じ事を、すべての妖怪に対して行ったがゆえに、水木しげるロードには多くの妖怪のブロンズ像を置くことができ、それをみた観光客は共通言語として妖怪を楽しむことができる。
第2の歯車 シャッター商店街
昭和の高度成長期時代が終わりバブルがはじけてデフレの時代に入った。経済は落ち込み新卒採用者も減り、日本は失われた30年とよばれる長い不況に入る。消費は落ち込み、生活様式の変化、大規模店の進出、により、過去にぎわっていた多くの商店街が、営業もせず、立ち退きもしない、シャッター商店街となっていった。境港にある商店街もその例に漏れることはない
そこで、人を呼び込む安易な手段として、地元出身有名人を活用することはできないかとなる。
東京都世田谷区に漫画家長谷川町子ゆかりのサザエさん通り、富山県に藤子不二雄ゆかりの忍者ハットリくんロード、宮城県石巻市に石ノ森章太郎ゆかりのまんがロードなどが作られる。
私の出身地大分県にもお笑い漫画道場で活躍した、漫画家富永一郎ゆかりの「イチローロード」が存在する。
境港の有名人として白羽の矢が当たったのが水木しげる。本町アーケード商店街、松ヶ枝町商店街、西本町商店街、新道元町商店街の前に水木しげるデザインのブロンズ像が作られる。
第3の歯車 補助金事業
水木しげるロードは町を活性化するという補助金が先にあっての事業である。水木しげるを祀るために補助金が出たのではない。
予算があるので使わなきゃいけない。
地元有名人を使った地元の観光政策、雇用政策の名のもとに、水木しげるロードが作られたのであろう。ブロンズ像のいくつかは個人の寄付によって作られている。
しかし、今となっては水木しげるロードあっての境港市である。境港市のホームページには「さかなと鬼太郎のまち」とうたっている。
水木しげるロードはたまたま成功しただけかもしれない。全国には屍をさらすなんとかロードが多くある。
境港市は日本全国は平成の大合併に巻き込まれているとき、隣の米子市との合併の話があったが、現在合併はしていない。水木しげるロードの成功があったためだと私は思っている。
米子市と境港市の力関係の変化を感じるのが、境港市(一部米子市)にある美保飛行場の通称が米子空港から米子鬼太郎空港に変更されたことである。
第4の歯車 食うために働く人々
お金はないよりあった方がいい。
日本中に疫病が蔓延し、経済活動が止まった。俺の仕事テレワークでできるんじゃん。無駄な会議がなくなって仕事がはかどるよ。という人を除き多くの人は悲しい現実に気づかされてしまったことだろう。
俺の仕事、会社に出かけて座っているだけだった、社長や客のわがままに付き合うだけの仕事だった。クソどうでもいい仕事だったと。
生活のためにお金がいるので、お金を得るためにクソどうでもいい仕事を行っていたのだと。
仕事をしたい人だけが仕事をし、多くの人は自分のしたいことをすればいいのだと思う。そこにクソどうでもよくない仕事が生まれるに違いない。
境港市の水木しげるロードに集まる人たちは、観光客も店の人も、大人も子供も実に楽しそうな顔をしている。
人の思いが妖怪を生む
妖怪に実体はない。人が思うこと、語ることによって、姿を現す。楽しい気持ちでいれば楽しい妖怪が、悲しい時には悲しい妖怪が、怒っているときには怒りの妖怪があなたの目の前に現れる。
日本中に疫病が蔓延したときアマビエという妖怪が現れた。アマビエの姿が見えるようになった。
水木しげるにはいつでも妖怪の姿が見えていたのだろう。
最後に
水木しげるの幸福の七か条を引用して最後とする。
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