「八句=律詩」ではない! 詩形の見分け方
漢文講師の寺師貴憲です。よくある律詩の誤解を解きたいと思います。
1 四句なら絶句、八句なら律詩?
受験漢文でしばしば目にする詩形を答える問題。基本的に
四句 → 絶句
八句 → 律詩
その他 → 古詩
句の数をもとに絶句か律詩か古詩かを判断するけど、実はこれ、ただの受験テクニック的な見分け方であって、まったく正しくない。
2 古体詩と近体詩の区別
古体詩 → 制約がゆるい詩
近体詩 → 制約が厳しい詩
制約とは
押韻:偶数句末で韻を踏む。平声を用い、途中で変更できない。これを「一韻到底」と呼ぶ。
平仄:中国語の声調(音の高低・昇降の変化)には、平声(ひようしよう),上声(じようしよう),去声(きよしよう),入声(につしよう)の四種あり、このうち上・去・入を仄声(そくしよう)と呼ぶ。高く弛緩した平声と低く緊張した仄声の組み合わせにルールがある。
例えば、句の2字めと4字めとの平仄は反対でなければならず、また2字めと6字めとは同じ平仄でなければならならない(二四不同、二六対)。下に平字ばかり3字続く(平三連)、あるいは仄字ばかり3字続く(仄三連)のは避けなければいけない……など。
受験レベルでは、平仄は気にしなくてよい。
制約のゆるい古体詩が古詩、制約の厳しい近体詩の中に、最小句数(四句)の絶句と八句以上の律詩がある。
3 絶句と律詩の区別
近体詩で、かつ
絶句 四句
律詩 八句以上
3.1 絶句とは
近体詩で四句で構成されたもの。もともと四句で構成された詩は、古体詩も近体詩も関係なく「絶句」と呼んでいたが、のち「絶句」と言えば、四句の近体詩を指すことになった。
3.2 律詩とは
広義の律詩は、押韻・平仄に関する近体詩の制約を守りつつ
⑴ 八句以上
⑵ 首聯・尾聯を除いて対句
の詩のこと。「八句=律詩」という単純な定義ではない。
聯とは、2句のまとまりで、八句の律詩は
首聯(しゅれん) 頷聯(がんれん)
頸聯(けいれん) 尾聯(びれん)
の4つの聯で構成される。第1・2句が首聯、第3・4句が頷聯、第5・6句が頸聯、第7・8句が尾聯だ。
例えば、杜甫の「春望」
頷聯と頸聯が対句になっている点に注目。これが律詩の条件だ。なお首聯と尾聯は対句にしてもしなくてもよい。例の「春望」は頷聯・頸聯に加えて首聯も対句になっている。
ほか例えば、杜甫「登高」
すべての聯が対句になっている。
3.3 排律とは
十句以上(五聯以上)の長い律詩を、排律、あるいは、長律と呼ぶ。広義の律詩の場合は、この排律も含めるので、八句は律詩の条件ではなく、対句こそが律詩の条件となる。つまり
最初の聯と最後の聯以外が対句 = 律詩
である。
排律は長いもので二〇〇句も連ねるが、一韻到底で換韻(途中で韻を変えること)が許されないので、ものすごく力量が要る。だいたい12句から16句がよくある長さだ。
というわけで、狭義の律詩は最小八句で構成された律詩を指し、排律は十句以上で構成された律詩を指す。近体詩の内訳を「絶句・律詩」という場合と「絶句・律詩・排律」という場合があるのはそのため。
4 これは律詩じゃない
さて、杜甫の「縛鶏行」
八句なので、一見、律詩かと思うけど、頷聯と頸聯が対句になっていない。かつ偶数句末を見ると、争(そう)、烹(ほう)、縛(ばく)、閣(かく)で、一韻到底になっていない。第5句末の薄(はく)から実は換韻してる。また近体詩は平声で押韻しなければならないのに、争と烹は平声だけど、縛と閣は入声(仄声)である。つまり近体詩の制約を守っていない。
というわけで、この詩は律詩ではなく古詩。八句=律詩などという単純な話ではない。