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SNSの授業 超短編小説 ショートショート
SNS依存症
ある研究期間の発表によるとSNS依存症を発症している日本人の割合が80パーセントを越えたようだ。
この依存性の怖い部分はいくつもあるが、何より恐ろしいのは誰もが考えなしに呟く、ぼやく、が主になっている点だ。
それによる思考能力の低下。
想像力の欠如。
負の感情が散りばめられた世界にいる事による負の感情連鎖。
語彙力の低下。
対人関係など不必要と思い込んでしまう点。
不必要な承認欲求。
などなど皆様もご存知の通りあげ出したらキリが無い。
何事にもメリットとデメリットは存在する。
そのようなSNSも有益な部分も多々ある。
が、
人間とは
かくいう弱い生き物。
どんなものでも悪く使えば悪となるわけだ。
誰だって包丁を凶器に使おうなどとも本当は思わない。
ビニール袋でさえ人を殺せてしまうのだから。
そしてその負の要素に望まずとも巻き込まれてしまっている人たちが依存症患者だ。
そこにいる事の良さもあるからして、抜け出せないでいるのだ。
このままいけば日本は、日本人は廃人ばかりになるかもしれない。
そう思った政府はある試みをはじめた。
某都市にある一つの大きな街をターゲットに小学校、中学校、高校とSNSの授業を始めた。
それにより依存症はなくなるのかという試みだ。
SNSの歴史から小さな揉め事、大きな揉め事、炎上した事案、誹謗中傷、匿名性の怖さ、どういう風に向き合えばその恐ろしさを避けられるのか。
それらを学んだ。
避けられればSNSとはとても有用なものだからだ。
子供達と先生達はディスカッションをしながら知識を深めていった。
勿論専門家の用意した資料を元に行った。
そして数年が経った。
どうなったか?
気になる所だろう。
結論から言おう。
やはり残念ながらと言ってしまおう。政府の思惑通りには行かず、SNSはなくならなかった。
しかし、しかしだ。
依存するものは少なくなった。
やはりそれを捌け口にする人間はどうやっても出て来てしまうのだ。
中々に悪という存在はなくならない。
ただ、そこに関わらないで生きていける。という方法を街の人達は学んだ。
SNSのやり方を学べばおのずと対人関係の良好化も進んだのだ。
ぼやくつぶやきにはほとんどの人が興味を示さなくなった。
皆が奥のある文字に興味を示すようになった。
そしてその街の出身者が作ったものが全国で流行り出した。
中身がなければ誰も読まないもの。
そう
それはノートと呼ばれるものだ。
お終い
※
あとがき
どうも読んで頂きありがとうございます。
しかーし
この物語はフィクションですのであしからず。
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