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アルモノとナイモノ
アルモノとナイモノ
持ってるものと持っていないものとも取れる。いるものといないものとも取れる。得るものと失うもの。これは買い物がそうである。プラスとマイナス。勝ちと負け。北極と南極(これは違うか笑)
私は視野が狭いためか、アルモノに気づかないことがよくある。ナイモノがあるのにないと勘違いして損をする。勘違いが引き金となり、“勘違い弾丸”が何かを撃ってしまう。逆に、アルモノは私の元にあると思っていたが、実はなかったという場合。私はあると思っていたものを失い、代わりに悲しみの感情を得る。
私のアルモノは、大切な友人だちだ。彼たち(彼女たち)には共通していることがある。それは、私にナイモノを持っていることだ。天才的な頭の良さや、なんでもできる運動神経や、面白いことを見つけられる力、いつも正しい判断ができること、シンプルにイケメン(美人)な顔つき、誰にでも平等にできることとか。色々だ。
そんな彼らを見ると、自分がなにもないように思える。
この現象は私だけか?
そうではないだろう。きっと。この記事を見ている皆さんもアルモノとナイモノに振り回されることが人生に一度はあるはず。
これだけではない。
あったものとなかったもの。
でも、良いことと捉えるか、悪いことと捉えるか、プラマイゼロと捉えるか。それは一人一人で違うだろう。
ここで、良いことだと捉えることのできる人は、強い。人間として強い生き物だ。私は人として尊敬できる。かといって、悪いことだと捉える人が尊敬できないわけではない。むしろ、私がそうであるから、同情できる。
アルモノとナイモノは何にでも当てはめられるから、何か自分の周りで起こっていることに当てはめてみると、何かが得られるかもしれない。しかし、勇気がいることでもある。アルモノだけが得られることなんてないのだから。ナイモノも自然とくっついてくるはずだ。
周りを見渡してみよう。
きっとアルモノに気づくはず。
ないものねだりをしてしまいそうだが、それは我慢しよう。
ないものねだりではなく、あるものさがしを。
ちなみに、初めの写真は、今年5月に亡くなった愛犬。私は彼を失ったが、その代わりに心の中に彼を得た。今もワンワンと吠えている。