馬鹿な大人の片思い
シフトが合わないだけで1週間近く彼女の姿を見ることが無い事も当たり前のようにあるわけで、もちろん声も耳にすることもないわけで。
ただこうして仕事場にいるだけで彼女のことが感じられるからまだ良いのかも知れない。
これが休みの日で自宅でひとりでいたりなんかしたら、寂しさが虚しさと合間見れてワケワカンナイ感情が沸き上がって来る。
頭の中では彼女のことが生きていることに間違いないが、現実自宅の空気には彼女の存在を示すものは何もなくて自分の記憶にある姿を、なぞることしか使用が無い。
そんな時間を過ごすくらいなら、彼女のいない仕事場にいる方がまだマシなのだが、ここ最近は仕事場のどこかに彼女がいるんではないかと幼稚な妄想に自身嘆いている。
後ろを振り返ったら目の前にいるんじゃない?
なんてことは毎秒感じている馬鹿野郎である。
シフトが間違っていて、とか。
誰かの休みの代わりに実は出勤していてとか。
妄想のレベルが日に日に底辺を這いずりまわるようになっているのは否定しない。
笑えてくるが事実だからな、仕方がない。
人を好きになるということは良く言えば無邪気になるのかも知れない。
50を手前にしたバツイチ男としては、かなり脳内を疑われるレベルでは、ある。
周りから言わせたら大人としての経験値に満たないのかも知れないが、いやいや、そんな大人ぶっていてもシンプルな恋心は私と大して変わらないはずだ。
そう思う。
そうでも思わなければ、いくら穴を掘り続けていても私の馬鹿な恋心を隠すことなんてできやしない。