ホッケー嫌いだった私がホッケーを好きになるまで VOL.2
VOL.1の続きです。
中学校入学~中学校卒業
小学校を卒業し、アイスホッケーの名門中学校、和光中学校に進学しました。
ここで第3のターニングポイントが訪れます。
元々は小学校から一緒で登下校をする仲でしたが彼は駒沢ジェッツでホッケーをやっていた為、一緒のチームにはならなかった山田佑哉と、とうとう中学校で一緒のチームになってしまいます。
小学校時代のキーマン安藤肇も和光中に進学となり、三人で行動するようになります。
相変わらず父の指導は厳しさを持続していますが、中学に入ってからは外部コーチでもなくリンクに乗ることもなかったので小学校時代よりはマシだったかな、という記憶です。
少し余談になりますが、小学校の時から試合後の特にときわリンクから自宅までの長い車での道のりが本当に嫌でした。
オーディオのボリュームが下げられた瞬間、
「ユキヤァァ!!おまえztxdcvjjlk!!」
(中略)
※どれくらい怖かったからは写真から察してください。
車のオーディオボリュームが下がるとほぼ毎回でした。
しかし、その時に凄く不思議に感じてた事があります。
「今日のプレーは誰がどう見ようとマジでヤバい・・・
親父に〇されるんじゃないか・・・」
という内容の試合後、ガキながらそれなりに腹を括って車に乗り込みますが、そういう時はほぼ毎回くらいの頻度で、
「ん~、今日はまぁまぁ良かったんじゃないか?」
と言われます。
自分で感じてるホッケーと外から見てるホッケーは違うのもなのか、はたまた父は覚悟している息子を見て悟り、声をかけていたのか。
いまだに答えはわかりません。
とまぁ逸れましたが・・・
何よりこの頃からホッケーの「お友達」というよりも、もう一層深く自分にとって大切な表現、「仲間」という感覚が芽生え始めました。
父のスパルタは継続であったものの、強かった和光中学校を同期、後輩と悪ふざけしながら真剣にホッケーで過ごす毎日が何より楽しかった日々
そしてこの時(中学3年生)が私のホッケー人生でホッケー愛もホッケーレベルも間違いなくピークでした。
ホッケー好き度 ★★★★★ 5/5段階
[ホッケー最高、仲間最高]
高校入学~高校卒業
特に1年生の辛さはあまりにも過酷なものだった為、入学から卒業までホッケーが楽しい・好き・やりたいと思ったことがありませんでした。
詳細については過去記事をご覧ください…(笑)
では、なぜ続けていたのか
①同期みんなが苦しんでるから自分だけ逃げるわけにいかない
②寺尾、駒沢のホッケー部辛くてやめたってよ、って噂が回るのが怖い
③もしかしたら将来楽しいホッケーをまた経験できるかもしれない
これくらいでしょうか。
上手になりたい、日本リーグ(現アジアリーグ)に行きたい、なんて考える余裕もない時期に突入となりました。
とにかく一日一日を必死に過ごす。
日曜日に
これを見て
これを見て
これを見終えると、一気に目の前がモノクロの世界になります。
あとはただ眠り恐怖の月曜日を迎えるだけ。
私にとってここが負のターニングポイントになりました。
ホッケー好き度 ☆☆☆☆☆ 0/5段階
[生きてるだけで精一杯]
大学入学~4年の春まで
実は高校時代、大学に行って大学ホッケー(パスができるホッケー)に早く馴染んで何とか上の世代に食らいついてステップアップしようと思っていました。
しかしながら高校3年の時の脱臼癖が酷くなる一方で、大学1年時にやむを得ず手術・・・。
術後戻ってからすぐにインカレに出してもらいましたが徐々に試合に出るのすら危うい立場に。
散々高校時代に壊されたホッケー愛。
ここから自分で立ち直すほどの気力はありませんでした。
やっぱり自分はこういうホッケー人生なんだと思ってホッケーに関わる全てを諦めるように。
ホッケー好き度 ☆☆☆☆★ 4/5段階
[とりあえず大学は卒業しよう]
大学4年の秋~卒業
どうしてこの微妙な時期で括ったか。
ここで自分にとってのホッケーの見方が劇的に変わります。
最大のターニングポイントでした。
キッカケは中央大学戦、たまたま単独でアタッキングゾーンのコーナーで保持したパックを闇雲にゴールシュート
ゴール前に誰かいるわけでもない味方にとっては大迷惑なこんな軌道のシュートでした。笑
しかし、この軌道のシュートに相手GKはキャッチングを出し、弾いてしまいそのままゴールとなります。
偶然のゴールなクセに、ここぞとばかりにおだちました。
この時の写真がこちら
今まで点数を入れた時、こんなにも周りが笑って迎えてくれてたなんて、この写真を見るまで気が付きもしませんでした。
というか自分がゴールした後のベンチの写真なんてこの方のおかげで初めて見たかもしれません。
現在もまだ撮られて更新されている方なので凄いです…。
for one moment Ⅲ
本当にこの一枚で人生が変わりました。
ここから、意識が変わります。
「守ってても楽しくねぇ」
「こんなに皆が喜んでくれるならまた入れたい」
とにかく隙があれば攻めに加勢、4番手でもリバウンドすら狙う、直線ダッシュは早い方だったので取られても追いつけばいいじゃない!精神でやりたい事を楽しむことにしました。
大事なシーン、負けられない試合での得点という結果が生まれます。
都度喜んでくれるチームメイト達。
今まで受けたことのない試合後のスポーツ法政[新聞]の取材。
あぁ、間合いを開けといて自分で好きなタイミングで自由に攻めるってなんて楽しいんだろう。
今まで怒られないようにと自分を縛りあげていた感覚を取っ払い、スタッフからの評価なんて気にしませんでした。
攻めなくていい!
パスじゃなくていい!
ボードに出せ!
リム出せ!
アイシングでいい!
そんな言葉を高校時代から常に掛けられていた自分にとってDFが攻めるという事は、まるで覚せい剤の如く、気持ちよく止められない感覚でした。
負けられないインカレでの中央大学戦、最後の6人攻撃で私は氷上に立っていました。(結局負けてしまいましたが・・・笑)
ちょうど一年前、3年生の私はインカレを防具も着させてもらえずに観客席からスコアを付けながら見てました。
この時、たった一年でこんなにも世界が変わるとは思ってもなかった。
こうして中央大学に負け大学ホッケーが終わった時、誰よりも氷上で泣いていたと思います。
インターハイも負けましたが、あまり人の前では泣かないタイプなのでインターハイで負けた際も氷上では泣かなかった私ですが、大学の時は涙が止まりませんでした。
もっと早く気が付けば良かった。
目的も楽しさも見つけられないまま無駄に過ごした数年間を本当に後悔しました。
そして、そんな取返しのつかない無駄な時間を過ごし、楽しむ事の重要さを気が付いた時にはすぐ引退となってしまいます。
ホッケー好き度 ★★★★★ 5/5段階
[ホッケー(DF)の楽しさを見つけた]
こうして学生アイスホッケーを最終的にホッケーの楽しみを見つけて終えます。
続きはVOL.3にて。