ネックガードを義務化した男(?)
前置き
アイスホッケー民の皆様
ご無沙汰しておりました。寺尾です。
今回なのですが何か少しでも”レベルは問わないアイスホッケー競技者皆様”への注意喚起になればと思い、死の淵経験者自ら発信しておこうと思ってキーボードを叩くことにしました。
また一つの命が絶たれる
2023年10月28日
一時期、ピッツバーグペンギンズでもプレーしていたアダム・ジョンソンが29歳の若さでアイスホッケープレーの怪我で命を落としました。
その怪我とはスケートで首を切ったこと。
※閲覧注意
血など平気で見れる人だけ見てください。責任は負いません。
数年に一度、首関連の怪我で亡くなった人のニュースを聞きます。
ノーガードな首
アイスホッケーは基本的に全身前面は守られているものの、呼吸のしやすさを考慮した口元、首を上下左右よく動かす事から首元、それぞれ自由度を優先しノーガード状態で試合に臨んでいます。
特に首元なんかは大事な動脈が走っており、刃物で切れてしまっては一番致命傷となりうる人間の弱点がノーガードであるという事です。
口元は致命傷には繋がりにくく割となんとかなるものと考える人が多い。
とは言え、歯が折れるのは当然ですが歯が皮膚を破って貫通したり、唇が裂けたり‥
若いカテゴリー(小中高等)や女子に関してはフルフェイスといって顔全体を守るケージが義務だったりネックガードと言われる
このような首元を守る防具が義務化されており、口元・首元ノーガードで大人の仲間入りをするのは私達の時代は大学生2年生からでした。(今はどうなっているのかわかりません)
大半の若い選手・女子がこのネックガードに対し、苦しくて邪魔くさくて早く外したいと思いながらやむを得なく装着している。
ネックガードの高さがあると苦しさ倍増なので、いかに高さの無いメーカーのネックガードを手に入れるか、または高さをカットして縫い合わせている人なんかもいた。
布の首輪?というくらいヘタってるネックガードをあえて使っている人も当時は大勢いましたね。
実は元々義務化されていなかったこちらのネックガード。
義務化になる要因の一つを作ったのが何を隠そう私である、という当時のお話をしたいと思います。
数センチで繋いだ命
それは忘れもしない。
1997年10月10日 無情にも「スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう日」として制定された体育の日(現:スポーツの日)のこと。
当時、中学校1年生だった私はアイスホッケー全盛期であり1年生ながら1つ目のDFを任され練習試合に出場していた。
上手で憧れな先輩たちにいかに負けないか、アイスホッケーが楽しい!と思う頃に必ず怪我というものは伴うもの(私の場合)
相手チームの選手(FW)が一人抜け出してチームがピンチのシーン。
そんな場面で私は氷の上にいたのです。
失点を止めるべく自慢の直線ダッシュで後方から猛スピードで追いかけギリギリ追いつき、何も考えずにそのまま後方からパック目がけてスティックを伸ばしながらヘッドスライディングをした瞬間‥
何かが首に当たり痛みが走った
何とか失点は防ぎプレーはストップされずそのまま続いた。
痛みも我慢できる程度だったのでそのまま守りにつき、なんとか自陣からパックをクリアして交代の為にベンチへ向かった。
「そういえばさっき首痛かったよなぁ‥」
そんな気楽に思いながらグローブを外した手で自分の首に触れた。
ぬるっとした感覚
中学1年生の自分にはそれが何で自分の首がどうなっているのか理解することができなかった。
首を触れた手を確認すると
手にはべっとりと血が付いていた
ベンチに戻りすぐに
「首どうなってます?」
そう先輩に聞いた途端ベンチでは‥
大騒ぎになるチーム
俺、誰かのスケートの刃で首切ったんだ‥
遅れてやっとその時に理解した。
すぐにベンチで横にされ、怪我の状況がわかってない奥にいた当時の監督(先生)は奥からコールドスプレーをこれでもかと言わんばかりに振って駆け寄ってくる。
(いや‥先生‥それ吹きかけられた方が俺死ぬかも‥)
周りは大騒動していたものの、私が子供にも関わらずこれだけ冷静にいれたのは痛みが本当に少なかったため。
血の量は噴き出るほどではなかったがダラダラと止まらない状態。
「先生、そこまで痛くないので救急車じゃなくてもいいです」
何を根拠に自己判断したのかよくわからないが、そういってコーチ役の先生の車に乗って片道30分弱の救急担当病院へ向かった。
先生が賢明に面白い話なんかを繰り返して話してくれた。
そんな会話を車内で笑いながらして病院へ向かった。
病院に到着するなりすぐに緊急縫合手術となった。
手術室に向かう途中に大きな鏡があり、タオルで押さえた手を外し怪我の状況を見てみようかと思った瞬間‥
------フラッシュバック-----
(怪我してすぐのベンチ内)
同期の奴「テラ!首からなんか黄色い線出てるよ!」
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黄色い線‥
きいろいせん ねぇ‥
私はそっとタオルを押さえ直し、傷口を見るのを断念した。
先生は傷口を見るや
「いやー危なかったね、数センチずれてたら‥良かったね~」
ギリギリ傷口は動脈を外したようで急死に一生を得たらしい。
早速首回りに麻酔を数本打ち、麻痺させられる。
痛みは全く感じず、糸で引っ張られてはプツンと切れる感覚だけが何十回も続く。
手術を終え、縫合数は23針
偶然にも父の現役時代の背番号と同じ針数だ。
顎も軽く切れて割れていたようで(全く気付いてなかった)麻酔を打たれるも効かない状態のまま勢いで1針縫合。
これが、この日で一番痛かった。
こうして私はギリギリのところで生き延び今こうしてnoteを書いている。
今もまだはっきりと首の傷を残したまま。
ネックガードの義務化
ガーゼを外して縫合した傷口を学校で女の子に見せて
「キャーッ」と言わせるのが趣味になった私は数カ月通院をし、無事に抜糸したわけだが、この時まだ義務化になってはいないネックガードたるものを唯一私だけが着用してアイスホッケーに復帰することになった。
苦しい‥
なにこれ‥
邪魔くさい‥
そう思いながらも復帰1発目の練習をしていた矢先の事だった。
チームメイトの木製のささくれたスティックブレードが私のネックガードを強く擦った。
(あっぶねぇ‥)
そう思って練習後に外したネックガードを見てみると、ささくれた木がまるで木製の針のように数本突き刺さっていた。
ネックガードは苦しいけどまだ死にたくないし‥。
しばらくは俺だけ付けよう‥。
そう確信した復帰初日だった。
そう思った翌年にはネックガードの義務化がスタートした。
私の首切り事故が情報となって周り、他にも同年で首を怪我した人もいてネックガードの義務化がされたと噂で聞きましたが正直、真実は謎だ。
早速、皆は
あまり邪魔にならない高さのない薄いネックガードを求めた。
しかし、私は首元全てを覆うネックガードを手放せなかった。
防具というのは最初いくら使いづらくても邪魔でも、意外に繰り返し装着していると馴染み慣れるものです。
こうして白いフェイスガードに白いグローブ、白いネックガードと特に意味のないホワイティなDFプレーヤーで中学全盛期を過ごし、駒澤高校より特待生として声がかかる。
そして
練習ツラくてネックガードなんてしてたら息できなくて死んでしまいます!
的な、地獄の駒澤に入学することになります。
歴史あっての新ルール
これだけの経験をしていながら私自身、あまり首以外の防具に関しては無頓着というか動きやすさを重視して軽量なものを好んで着用してきました。
当時のネックガードだけでなくその後はマウスピースの着用義務やイヤーガード(カップ?)なんかもルールで着用義務とされています。
誰がいつどうやってどうなったかなど公にされてはいないものですが、過去に脳震盪で悲惨な思いをした選手や、耳が何かと接触してちぎれた選手など、そういう私のような前例があったからこその新しいルールだと思います。
もちろんカテゴリーや年齢などで着用が免除されていても、ルール適合品ならば個人の判断で装着しても構わないものです。
私の場合は偶然に数センチで生き延びることができましたが、今回のAdam Johnson選手のようにたった数センチずれて接触すれば致命傷となりうることを忘れてはなりません。
面白くて
楽しくて
好きでやるアイスホッケーが
結果として自分の人生を絶つ競技とならぬよう安全に十分に配慮して楽しみましょう。
チームを受け持つ指導者の方々からも選手達へ一言、今回このような事件があった旨と改めて用具、防具の重要性について少しでも呼びかけるような機会を作っていただければ幸いです。
以上、首切りOBの寺尾からでした。