1095日の生き様~2年生編~③
解禁
練習の際に生じる1年生→2年生の違い
①石のような顔で恐怖におびえながら整列しなくても良い
②いくらでも水が自由に飲める
③(余裕があれば)笑ってもいい
↑当時の哲也さんの笑い方
(あーぁ、怒られる…)
④ハイとイイエ以外の日本語が話せる
⑤コースをいくつか選択できる
↑
なんたってこれがデカかったです。
以前の記事で「ワープ」について書きましたが、このワープがなんと奥様、今なら使い放題!
ただし、意識もレベルも高く真面目に走っている3年生に「お前、さすがに使いすぎだろ」と2年生ながら怒られない程度の絶妙なラインで使わないといけません。
ある種、敵は3年生となり、バレないようにワープを使います。
テラ
「哲也さんもう行った?」
ミ〇ミ
「行った。米澤さん行ったからそろそろ坂下るわ」
テラ
「おk」
てな具合に仲間と打ち合わせしながら林に身を潜めてグッドタイミングを見定めワープを使い途中から出現します。
ちなみに私は誰が通ったからそろそろワープコースから合流とかありません。なぜならビリだから。
みんなが行った後に悠々と神のごとく降臨します。
疲れ切った絶妙な名演技をしながらゴールしますが、
先に到着している仲間の心は
(いやっ、テラどうせワープしてるっしょ‥)
多分、S先生も
(いやっ、寺尾どうせワープしてるっしょ‥)
だったに違いません。
⑥その他 細かい事全般
ポケットティッシュ、時計を持ち歩かなくてもいい。等
そんなくらいでしょうか。
おっと、大事な解禁事項を忘れてた。
⑦シャツをズボンから出せる!(いぇーい!)
以 上
変化
解禁によって心にかなりの余裕ができます。
(ただし身体に余裕はありません)
2年生となり、しなくてはいけない事も発生します。
一番イヤだったのが「ヤキ」という名の指導です。
自分達がされたように後輩にもしなくてはいけない立場となりました。
が、しかし
今思うと当時の3年生達は一度も2年生にヤキの指示を入れずにいたんじゃないかなと…
私個人の記憶ですがガチで2年の時に1年生をヤキ入れた記憶が一切ありません。
(浅利兄弟はシンプルに兄弟喧嘩してたけど‥)
こちらが10年ほど前に得意としている「アイスホッケー」の「ルールとおもしろさ」についてお話した浅利拓さんです。
(ここでもまたすごく緊張されていて大汗をおかきになられている)
※拓、油断しない方がいいよ。
話は戻りますが、ただ陸トレ中に先輩に「追い込まれる」シーンはあったのでそこでかなりやられてる1年生はいたようです。
ちなみに私は
そもそも1年生を陸トレで追い込めるほどの位置で走ってないので、基本的に仲間の姿すら見えてません。笑
あ~なんか辛そうだな。
やられたなこりゃ。(他人事)
と、練習終わる頃にやっと何か雰囲気を感じ取る感じです。
でもやっぱり‥
メンタルの余裕は出たものの練習の量は変わらず半端ない。
(特に陸上)
1年生の時ほどではないとは言え、元々不得意な陸上トレーニングを終えてからの氷上なんてコッタコタになった状態から本職のアイスホッケーなので集中力と上達しようという意識は皆無、2年目もただひたすらツライ練習に耐えることに一生懸命でした。
果たして自分はどんな選手だった?
当時考えたこともなかった、そんな環境で自分はどんな選手なのか。
結論言うと、なんの取り柄もないただの駒澤に進学したディフェンスだった。と思います。
しいて挙げればまぁスラップショットは敵に当てない精度とスピードを持ってたくらいですか。
あぁ。
あと直線の短距離フォアダッシュは早かった。
回転数凄くて足、こうなってるってよく言われました。
人によっては四足で走ってるべって4WD?って。
(ディスられてる)
最初の5mまでは力士が最速と言われるのと一緒ですよ。
まぁ力士じゃないんですけどね。
しかしながらフルパワー出せるほど体力に余裕ある場面は極めて稀なのでフルスピードでスケートしてる姿なんて1年に数回です、レア、マジで。
あとは
周りが一切見えない(ボードとリムで良いとされていた)からブレイクアウトが怖かった。というかまともにパスを出せた記憶が無い。
1対1は抜かれる(バックスケーティングが苦手で置いてかれる)
このようにDFとして一切仕事できてなかったです。
とにかく今、過去の自分を美化するつもりもないので言えますが、今まで紹介してきた緩い意志と取り組みでしたので決してアイスホッケーが上手な選手ではなかったです。ホッケー全盛期は和光中でとっくに終えてますから。
中だるみの2年生
中学か高校か覚えてませんが、よく当時の校長が言ってました。
※写真と中だるみについては一切関係ございません。
2年生になって誘惑がたくさん増えました。
(酒、タバコ、女、ギャンブル、他書けないこと多数)
決して停学になるような事は起こさなかった3年間でしたが、1年生の時とはまた違ってプライベートは少し息抜きになるシーンが増えました。
まだ私達の頃は土曜日も学校でしたし、当然授業後には練習があったので金曜日に夜更かししている余裕はありませんでしたが、土曜日の夜となると、静かに家の玄関を開けて外に繰り出したものです。
(場合によっては窓から)
そういった面では楽しい思い出が増え始めたのも2年生から。
ただ決して中だるみは
していたとは思っておりません。(シャツ出てるけど)
隣にいるのは兄弟分(ただ顔が似てるから)の秋田が生んだ異端児、伊藤要です。
写真の通り、間違いなく中だるみしていません。
隣にいるのは啓明中が生んだチョコボールこと、柏崎正人です。
いやーそれにしても細いし、やっぱり人と同じ型の学生カバンに飽きて買ったトリプルファイブソウルのオレンジのリュックが非常にエモい。
※現在、全く同じリュックがメルカリで2,000円という破格で販売中でした。
いやーかっこいい。
いやーお買い得。
体育クラスの他競技の連中とも日に日に距離が近くなり、特にサッカー部と仲良くなった私は某下宿所にほぼ住むことになります。(勝手に下宿所の飯も食ってた)
これは大学生の時ですが、この高校2年生の時からよく一緒に生活するようになった、えりもが生んだ心友のヤクオです。
余談ですが彼は現在、帯広で鍼灸院を開院。
近隣で身体に悩みがある人は相談してみてはいかがでしょう。
https://www.kawakami-harikyu.com/
おかげで高校2年生で地元苫小牧のくせに「実家に帰る」という言葉がこの時に生まれます。
隣のクラスの「さっちゃん」に1週間でフラれた時もこの下宿所で大泣きしましたね。良い思い出です。
次回は‥
更新がいつになるかわかりませんが、
次回は2年生となり試合に出る選手として感じたインターハイ。
気が付けば先輩とのお別れが悲しいとか思っちゃってる私。
等について綴っていきます。
(多分2年生編が一番薄いと思うので次回ラストかと思います)
では、また
てらを
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