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ホッケー嫌いだった私がホッケーを好きになるまで VOL.3

VOL.2の続き 最終話です。

就職~指導者

就職までの道のりはアナザーストーリーとして特別編で書きました。
こちらもお時間ありましたら見てみてください。

さて、卒業および就職先が決まりました私。

社会人ホッケーをどこでやるか、ト〇タセンチュ〇ーズとの話が白紙になりましたので困っていました。

ここで社会人として1発目のターニングポイントが訪れます。

あの王子製紙アイスホッケー部、往年のレジェンド選手から連絡をいただきます。

「幸也、苫小牧市役所でやるか?いいぞ、頼んでやる」

何も決まってない私にそんな一声を掛けてくれたのが
杉澤明人さんでした。

そして後に運命を変える一言も付け足されます。

「でも、インラインホッケーも強制だからな」

こうして、社会人ホッケーおよびインラインホッケーの所属チームが決定します。

そしてさらにここでもう一つの道が増える事となります。

父が監督をやっていた苫小牧の女子チーム、マリアジャスパーズのコーチとして手伝えとこちらも父から半ば強制的にスタートさせられる事となります。

まさかこの時、数年後に女子トップチームの監督をやる事になっているとは、当然のことながら微塵も感じていません。

ホッケー好き度 ☆★★★★ 4/5段階
[指導者興味ないけど社会人ホッケー楽しみ!!]

北海道代表~初日本代表

こうして始まった社会人ホッケーとインラインホッケー。

社会人ホッケーの方は【苫小牧市役所アイスホッケーチーム】で相変わらず好き勝手やられてもらい楽しく過ごすことができました。

画像1(同セットで私がいつも守りを不在にするので代わりに守ってくれてたセンター:安藤理一郎には感謝してます)

こうして国体にも参加することができ、かつての仲間や敵たちと交流。B級ってこんなに面白い世界なんだと、充実していました。

インラインホッケーの方は、ストップする練習からスタートし、数年の下積みを【とよた腎泌尿器科クリニックインラインホッケーチーム】で行い、【BLOOD】へ移籍、日本一を獲得して初代表招集、スウェーデンでオレオとビール三昧の日々を経験できました。

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指導者の方は正直この時、自分のホッケーが第一優先で、どうやって教わったかを鏡のように反射させて教え子に伝える楽な指導しかしてなかったような気がします。

ホッケー好き度 ★★★★★ 5/5段階
[社会人ホッケー最高!]

ベテラン~指導重視

そうこうして数年過ごす間に徐々に新しい選手(社会人)が大卒や高卒でB級に入ってきます。
同時にレベルの高い選手がアジアリーグに無理してチャレンジせず、安泰の場を求めて市役所への就職や大手のホッケーチームがある会社に就職を決め始めます。

また、私自身もこの時期に深部静脈血栓症という病気を患い、一時期はいつ重篤化してもおかしくない状態でナースステーションの横に緊急入院させられましたが、無事に歩ける程度まで回復し、医者には血が止まらない薬を服用すること、血栓がまだ身体に残っていることから今後のプレーを禁じられます。

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人生というのは
面白い、まだやりたい、と前向きな上がり調子の時こそ壁が立ちはだかるものです。

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万が一、外部からの衝撃や内出血により血栓が剥がれて飛び、途中血液で溶かしきれずそのまま血栓が脳や肺に詰まれば私はこの世からいなくなる可能性があります。

加齢と同時にこのような病気事情もあり徐々にプレーヤーとしては離れ、指導者の方でお世話になったアイスホッケーに還元することにシフトしました。

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マリアジャスパーズの監督になるタイミングでチーム名を苫小牧NEXUSに改名し、監督をやらせてもらいました。

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苫小牧の女子チームが2チームとなってしまった今、思えばこのチームの存在は様々な理由から非常に重要な役目だったと思えます。
(書けば長くなるので割愛)

以後は和光中学校のコーチ、苫小牧工業高校のコーチ、道路建設ペリグリンのコーチ~監督と指導者キャリアなんだかんだで現在は14年ほどになりました。

途中、ビアリーグの発足もあり無理のない範囲で自身のアイスホッケーを楽しみ、年々自身のレベルダウンを感じて寂しく思いながら過ごすこととなります。

ホッケー好き度 ☆☆★★★ 3/5段階
[本当はもっとやりたかった]

現在

こうして前述にもある通り、現在はプレーヤーというよりかは監督の立場でホッケー界に少しでも貢献できるように、またチームの子達の頑張ってる姿を見て勝たせてやりたいと思って頑張っております。

やるからには全力で取り組む選手達に負けないくらい、全力で取り組む必要があります。

仕事を休んで遠征に行ったり、ほぼ毎日練習に行って、周りから『大変だね。』なんて言われますが、正直なところ仕事よりもアイスホッケーに携わってる自分の方が自分らしさを感じており、幸せです。

むしろこのシーズンオフの4月、仕事を終えて今日も練習が無く何をすればいいのかわからず家に帰って無駄に寝て過ごす、という監督業無しの生活に対応しきれていないくらいになってしまっています。笑

それくらい今は自分にとっての生きがい・やりがいになっているのかもしれません。
正確には日頃選手達がアスリートとして魅せてくれる姿によって自然と私にとっての生きがい、楽しみにしてくれているのかもしれません。

このような歴史から私のホッケーワールドは現在に至るわけです。

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ホッケー好き度 ★★★★★ 5/5段階
[無敵集団で勝たせてやりたい!]

最後に

この25年間で身をもって感じたこと。
今思えばそうだったなと感じること。

それは、、、

プレーの上達、向上心は必ず前提に

「楽しい」

という思いが無ければ成長を妨げるということ。
むしろ妨げるどころか成長を失うこと。

「楽しい」を失うポイントはいくつもあります。
(辛さ、苦しさ、レベルの差、環境 etc... )

しかし

「楽しい」を得られるポイントもたくさんあります。
(仲間[先輩後輩]、家族、喜び、やりがい、環境 etc...)

そういう環境で何人の選手が挫折して、本来の能力を発揮できないまま不完全燃焼で消えていったか、私は自身も含め他者にもたくさん見てきました。

今は令和の時代、いかに楽しみを見つけて継続するか、また壁にぶつかった時に違う楽しみを見つけるか。

そうする事で自然と苦労もするし困難も乗り越えていく。
そして成長していきます。

伸び悩んだり、不安や心配がある時、
ゆっくり今の自分と対峙する時間を作り
自分にとって楽しみがあるのかないのか
あるならばそれを大切に、
ないならば楽しみ探しの時間を設けてみてはどうでしょうか。

というのが私のホッケー人生での経験からのアドバイスです。
行き詰った時、一つの参考にしてみてください。

それでは、【ホッケー嫌いだった私がホッケーを好きになるまで】
これでENDとします。

3話に渡り、ご覧いただきありがとうございました!

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