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「こうすればよいのに」はなぜそうなっていないか。


世の中に「こうすればよいのに」と思うことや思うとき、個人レベルでは沢山あると思います。

実現に移すには、下記の要素を満たすことが大切と思います。

1)「よい」の納得性
自分の仲間うちだけから「よい」と思われていても、納得性としては不十分です。
どこまでいっても主観の領域を出ない「よい」については、納得性を最大化させる努力が必要です。

2)「こうする」ことで不利益を被る既得権益者等への論理的防御
「こうする」ことで嬉しくない方も一定程度います。よく既得権益者と言われるみなさんが該当するかと思います。
「勝手に決めるな!」と言ってこられたときにどう反論するか。

このとき、論理的無防備は弱いです。
暇な既得権益者は多いので(苦笑)言論攻撃等で実行者を兵糧攻めします。

たとえば「有識者が決めています」等の防御法は用意しておく必要があります(この防御法が「効果的」かどうかはまた別です)。

3)手続き
「こうする」ことを決定する際に、「話を知っておくことに然るべき人(組織)」と多くの方が思う人(組織)へ話を通す、協議する、等の手続きを踏まえていることが必要です。
そして、一般的に、手続き無視のoutputは、仲間内だけで「よい」と思っている度合いが高い傾向(つまり「よい」が主観的であること)にあると感じます。
手続きを踏んで「よい」が磨かれていくこともあると思います。

4)タイミングやルート
「絶妙のタイミング」「絶妙の実行ルート」というのが存在します。「絶妙」というのは、経験を積み重ね、感性を磨くしかないと思います。

5)筋
もちろん、「よい」が突き抜けて多くの人の納得性を得られれば、他の物がふっとぶ、などもあります(「保育園落ちた日本死ね」が結果的に起こした社会運動などがそうでしょう。これは4も大きく影響していますが)
ただし「1~4のようなことが一般的には大事なんだ」と理解しておくことは必要です。
理解している人が「筋が通っている」と認められるようになるんだと思います。

“「よいこと」を具体的にし、その状態が社会の一定数の納得・理解・評判を得て継続できる”が、社会に貢献できる人であり、そのためには「普通の人」ならば、上記1~5を押さえないといけないと思います。
「普通の人」の「 」をブチやぶり、特別、類稀な社会への貢献力を持ち、そのことを周りからも認められれば、それはそれで素晴らしいことだと思いますが、そこまでではないという自覚の人は、1を磨き上げ、2、3を知り、4の感性を高め、5からぶれない。
これが王道な気がします。経験的に。

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