曲がり角を曲がってしまった。

画像1 いっかにぶんのいち ではなくて イチとニブンノイチ なのだそうだ ・・ ・ すでに世の中はカワッテイタ 「東京都同情塔」を読んだ時にも確かそんな予感めいた状態の中にいた。そしてずっと気になっていた この世界は、新しくなってしまっている。物体としての小説はもう一度読み直してみたら、と要求してくる 九段理江(クダン・リエ)さんは1990年、埼玉生れ。 実体とそれをどう読むか それはそれをみて感じどう読み、おさめるかーーー 「トーキョートドージョートー」 「TOKYO-TO DOJO-TO 」ーーー か、、、
画像2 その子世代の、既成概念ひっくり返し発想の出来事がヒョロ ニョロロと伸び沁み込んでくる中で。いつも咲く乙女椿をトサミズキを、眺めている。違う花だけど同じ季節に、繰り返し、そこにある。そんなふうなものなのだ 膝が痛い。身体が重力にねじれて行く。同い年ぐらいと言われるインクラインのソメイヨシノの回転を思う スクスク、そんな時もあったな〜 「シンパシータワートーキョー」と言う刑務所的なもののシンな成り立ちに、令和の出来事に、納得のツバを飲み込んでしまっている。ゴクリ
画像3 ゴクリ 20代、1980年代、軽い広告コピーに深い共感を醸成されていた。氾濫する広告、とても心地よく、分断前の元気社会を動かしていた 60代、滑り込みセーフか? と思っていると民主主義の中枢はすでに腐っていて 戦争も起こった。 極近の周辺部ではヒタヒタと半導体と生成AIが存分に何かをぶち壊そうとしていて ここちよさの本来は 「¥マーク」でストレートに希望と落胆と後悔にどんよりと置き換えられて共感神経と共に捩じ伏せられて
画像4 アンドロジーナスな風景が見える・・・ザハの国立競技場とそのタワーがある東京の恥部 ----法隆寺仏像の指先のそれとは遥かに遠く ---もう思考のありようは昭和のブリーフでは覆えない。 ・・ ・ 乙女椿がいかにパーフェクトか。伝えたい気持ちが毎日路地をのぞかせる 日当たりの良くない裏路地の、半分閉ざされた空間は気候の激変を少しカバーするかのように、その花を咲かせていて。 1と1/2。 確かにイッカニブンノイチよりは分かりやすいのかも ・・ ・

いいなと思ったら応援しよう!