絵の前の出来事
“密やかなおしゃべり”
そんな言葉が、絵の前から外へ落ちてくる。
作り手が自分の絵について話している、ほんのちょびっとの会話のそのまた断片の「部分」に過ぎないのだけど。
今のはいったいなんだったの
耳はそれを捉えてウチに響かせる。絵のどこかに隠された密やかな何かがあるみたい。と。
それはささいな部分に宿るモノの様では有るのだけど
そこには寸止めみたいな視線が言葉の力を借りて
かわいいとかかなしそうとか言う表現のワードに、もう一歩至れない色とか形とかか?
ここ、、、
その作品表現のあらかた(八割よりちょっと上)の感じの中心イメージを作っている本文的なものではないもの
作家はそこにも何かを表そうとしている、、、
その小文字のような注釈の表出があることによって、その絵は人と人の間を、言葉の波の上を、漕ぎ出してゆく
触れてくる表現に触れられないこと、それもいつもいつもなのではあるが
そこへちょっと掌で迎えを出すような間合いで、絵の前に立つと、そんな関係が生まれ来ることもあり
その観覧者と作家とが絵の前に立つことでしか、その筆の動きの痕跡は翻訳されないし、気づきの触発も成立しない。
・・
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どこ、、、
少しして、
その場で生まれた言葉の意味を、席から立って確認するために絵の前に立ってみても出来事は、もう過去になってい
そこに描かれているはずの「ひそやかな、おしゃべり」はもう谺さない。
・・
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すでに、
その響き
身体の外
彼方の月
・・
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#kikkan
#OxygenSharingEquality
#酸素消費の平等