お寺で寺子屋はじめます。
高知県いの町にあるお寺の一画で寺子屋をはじめます。
以前より、ちょこちょこ個人のFacebookページで書いていたのですが、改めて、お寺の一画で何に出会えるのか?なぜ、このようなことを始めるのか?改めてご報告させてください!
体験総量をふやしたい
なぜ、お寺の一画でこのような場をつくろうと思ったかというと、
体験総量をふやす場が必要だなと思ったからです。
学生も大人も一緒に考えたり経験できる場
結果ではなく「過程を見せ合う」場が日常に必要だなと。
「何かをはじめたい」
「自分の興味から、なにか新しいカタチをつくりあげてみたい」
と思うのは
誰かがなにかに向き合う熱量にふれたり
一緒になにかをつくりあげている途中に感じる思いから。
そんな時に普通の風くらいじゃ消えない感動の炎がボッと自分の中に灯ったりします♪
今すぐにカタチができなくても、その環境の中でゆっくりゆっくり思いがふくらんでいっていいのだと思います。
そんな仕事も学校も家庭も関係なく集える、学生も大人もお互いが影響し、刺激し合える地域の場があればいいなと。
わたしの原体験
なぜ、そのように思ったのか?
自分の過去を振り返ってみると、私は発する言葉の種類が少なく社交関係もあまりない家庭で育ちました。
人とコミュニケーションする時の感覚がつかめないから、自分の口から何か発言するのも気がひけるし、人が何を考えているのかもよく分かりませんでした。
小学生の頃は、家と学校と数人の友達しか関係をもっていなかったので、あれ?うちの家庭以外の大人はどうやって生きているんだ?って疑問に思っても、うちの家庭以外の大人は友達のお母さんしかいなかったりします。。(友達のお母さん尊敬してました)
学校のクラスは一対大人数だし、休み時間も短いからなかなか先生と日常の話をするというのも難しい場合がほとんどかなと感じています。
感覚をつかむ体験
わたしのような環境で育つひとは少なくないと思うし、実際子育てをしていて感じるのは一つの家庭でできることって時間や環境的に限界がある。
学校も仕事も家庭も関係なく集えて、人や情報とつながって感覚をつかむ体験ができる場があちこちにできたらいいなと感じています。
自分が将来どこでどんなことをするかは分からなくても、
あの人も「こんな時はすごく緊張する、プレッシャーに思う」って言ってたな。
って今の新しい世界に踏み込もうとしている自分に重ね合わせてみたり、
「継続する」って、できなかったことをあきらめずに続けることの結果なんだなって誰かの背中を見ることで感じられたり。
人を信頼するってこういう感覚なんだ、と感じられたり。
ひとや情報とつながることによって感覚がつかめる体験ができる場にしていきます。
お寺の寺子屋ができること
じゃあ、具体的にどんなことができるの?というと、
・親子で楽しめたり学べるイベント
・学生がこれからの仕事について考えられる場
・幅広い世代や異なる経験をしている人との交流
そんな体験の場にしていきたいと思っています。
そして、そのための集える場と配信環境を用意しています。
来月、9月末には第一回目となる、イベントが開催されます。
高知のミレニアル世代(2000年代に大人、社会人になった世代)が届ける、仕事について考えられるオンラインイベント(YouTubeライブ配信)が開催されます。
そのことはまた改めて報告します。
寺子屋きんいろの長い報告を読んでいただきありがとうございました。
これから、はじまります。
よろしくお願いします。