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「きれい」の価値観

こんにちは!
寺子屋ペンギンです(*´ω`*)

先日、ご縁があって顔のエステをしてもらってきました。
お肌ピカピカ、つるつる!
なんだかとっても健康的な気分です。

きれいになると、すごく心が軽くなる気がします。
この「きれい」というのは、なんなのでしょうね?
でも少なくとも、自分にとっての「きれい」は大切にしたいです。

「きれい」へのコンプレックス

私が今より若かったころ、「きれい」に対してすごくコンプレックスがありました。
すごく太っていたのが大きかったかな。
あと世の中にきれいな人が多すぎて。

デブな自分はイヤだったけど、痩せる努力なんてほとんど考えませんでした。
痩せたい、と思うばかり。
行動に移さなきゃ、痩せるどころか太る一方なのにね(笑)
「デブ」って言われるのはもちろん、そう思われるのもイヤでした。
こうして言葉にしてみると、本当、自分は何もしてないくせに他人には求めてばっかりですね……。

あ!
だからといって「事実なんだから『デブ』って言っても問題ない」と言いたいわけではないですよ!

これはダメ。
悪口やからかいで相手に投げる言葉なら本当ダメ(-_-メ)

「きれい」への目覚め

デブを何となせねばならなくなったのは、腰を痛めたからです。
姿勢も悪かったし、体のあちこちがゆがんでいました。

整骨院に通い、その流れでダイエットを始めます。
運動やサプリメントや食事制限やレコーディングを、プロの指導の下、すすめていきました。
お金も時間もかけたおかげで、これはしっかり成果がありましたよ!

これは「きれい」を考えるきっかけだったと思います。
私も「きれい」になれることを知った最初の一歩ですね。
しっかり「きれい」になろうと思ったのは、もう少しあと。

私が「きれい」について目覚めたのは、スキンケアを学んでからです。
友人が紹介してくれた人が、スキンケアについてすごくしっかりとしたレクチャーをしてくれたんですね。

もともと大して肌トラブルなんて抱えてなかったのですが、手入れにほとんど気を遣ったことのない肌です。何もないわけありません(笑)
でも、そんな私に別に引くわけでもなく、ひどい言葉を投げるでもなく、ただ「きれい」になる方法を教えてくれました。

そして実践してくれました。

見た目の「きれい」が与えるもの

私は特別きれいなタイプでも、かわいいタイプでもありません。
むしろデブですし、常に自分に自信はなかったんですが、ただ自分のことを「不細工」と思ったことはないんですよね。

案外ナルシストなんです(笑)
だから普段以上に「きれい」にしてもらったから、単純に自信と興味がわいたんでしょうね。

私にスキンケアを教えてくれたその人の手際は、とても素晴らしいものがありました。
ただ、その人は別にその道のプロというわけではなくて、実は自身の肌荒れに悩んでいた人だったのです。いろんな試行錯誤を繰り返して、自分の求める肌を手に入れた努力の人でした。

プロではない人であることと、誰でもできるスキンケアを私に対して実践し、しかも即効果を出してくれたことが、私の「きれい」への一歩を踏み出させてくれました。

あと、なにせ痩せたいデブのくせに努力を考えない人間ですから、「こんなに簡単」と知れば手を出しますよ(笑)

あ、ちなみに怪しいやつじゃないです。
普段使いのスキンケア用品や化粧品を効果的に使う方法を教えてもらっただけなので。
だからこそ、より手が出しやすかったんですよ。

たった第一歩なのですが、この「きれい」が与えた心の耐性は大きかったと思うんです。
少しの方法で「きれい」になれるとわかったら、デブであることやイモっぽいことはさして大きな障害ではないのではないか? と思えるようになりました。

だから、オシャレにも興味を持ち始めました。
黒しか着なかった服にも、色がつきはじめました。
隠していた肌も、少しずつ見せるようになりました。
「かわいい」と思っても、「でも……」とあきらめていたことにどんどん挑戦しました。

デブを笑われたとき

デブを指摘されると、とにかく傷つきました。
特に子どもは容赦なかった。
しかも集団になると強気になるので、

「みんなが言うならデブを「デブ」と言ってからかって遊んでも良い」

とでも思うのか、とにかく楽しそうに人をデブデブ言うわけです。
これは私が大学生のとき、小学生たちに言われたんだっけな。
まぁ、今でも許さんですよ。
だいたい、その中には「言われたら嫌な気持ちになる言葉」を持っている子だっていたんです。自分がそうなのに、どうして人にはやって良いと思うのか? まぁそれが子どもの子どもたる所以なのでしょうがね。
私が人間じゃなかったら、同じようにからかって遊んでやってたところです。

それは、それとして。

そのときのは小学生でしたけど、その感覚が治らないまま大きくなる子もいますね。
これとはまったく別の人なんですが。
痩せ始めてすぐくらいのころ(まだまだおデブちゃんです)
町を歩いてたとき、明らかに私を指してクスクス笑う女性グループがいたんですよね。
知ってか知らずか、私のデブを笑っている声も聞こえるんですよ。反論しようものなら「何のこと?」とシラを切れる程度の声ですが。

デブが着るには不相応な服を着ていたのか、彼女たちのツボに入ったようでした。

そんな彼女たちはといえば、たしかにスレンダーで、オシャレのレベルも高く、メイクもヘアスタイルも手慣れた感じでした。

彼女たちはかわいい。そう、かわいいんです。

でも、ただその……ただただその他者への嘲笑が、彼女たちを圧倒的に不細工にしました。

「きれい」の価値観

彼女たちはかわいいんですよ。それは間違いない。
でも、彼女たちは私の求めている「きれい」ではありません。ただ、それだけのことですね。

デブを笑われて傷ついていただけの自分は、「きれい」になることで、「きれい」とは何であるかを考える余裕が持てるようになりました。

今でも私はやっぱり特別美人じゃない。もう少し痩せなきゃいけないですし、年も取りました。
でもやっぱり自分は「不細工」じゃないし、「きれい」になることができると確信しています。

他者評価はどうでも良いんだなって思います。
それが自分の「きれい」の価値観を揺るがすことはないのだと。

SNSが当たり前になった世の中で、「きれい」に対してあれこれ論争が起こっているのを目にしますが、それもまた価値観のぶつかり合いなわけで。

「きれい」に携わる瞬間っていっぱいあると思います。
自分の「きれい」の価値観でぶったたいてくる人もたまにいますけれど。
でも、それで自分自身をゆがめてしまわないように、自分の「きれい」の価値観を確立させておきたいものですね。

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