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Lessons to be learned
昨日会った同級生が
彼女の職場に最近ときどき来る、とても失礼な態度で他人に怒りを露わにする人について
ー子どものときに、褒められたり認められたりがなかったり、少なかったりするせいなのかなぁと思うんだよね。
と、言っていた。
ー褒めて育てる
と、よく言われるけれど、私はその効果に懐疑的だ。
「褒め殺し」なんて言葉もあるけれど、褒められ続けたら、逆に不安になるように、きちんと叱ることの方が時間はかかっても、子どもたちは大人からの愛情を受け止めやすいのではないかと思うのだ。
私自身、自分が認められていると感じるのは褒めらたときではない気がする。もちろん、ある程度個人差があるけれど、日々子どもたちと接しながら、実際、叱られたことの少ない子どもたちはとても打たれ弱いと思う。
私は、叱られた記憶はたくさんあるけれど、親にも先生にも、取り立てて褒められたという記憶はない。
勉強はして当たり前、できて当たり前というスタンスの親だったし、異母兄姉の中で、母は姉と私を必要以上に褒めることはなかった。また、父が私を認めてくれたのは、30代半ばを過ぎてからだった気がする。
でも、私は、友人にもよく言われるように、愛情をたくさん受けて育ったと自分でも思うほど、周囲の人の愛情を疑うことのない環境で育ったと思う。
そして、私は、子どもたちと接しながら日々彼らをきちんと「叱る」ことの難しさを感じると同時に、適切に「叱られる」ことの方が子どもたちの心と体の健全な成長には必要なことだと思っている。
適切に叱ることは難しい。
そして、叱られることは、子どもたちにとってつらいことかもしれないけれど、叱る側も体力と気力が必要で、同時に子どもたちの辛そうな顔を見るにつけ心を痛めるのである。叱って、楽しいことなどない。
でも、子どもたちに希望を託して力を振り絞るものだ。
それは愛情がなくてはできないことだ。
だから、多分、彼女の職場に現れるとても失礼でカッコ悪く、感じの悪い大人は子どもの頃に適切に叱られた経験がないのではないかと、私は思う。
と、伝えてみた。
私たちが分析しても、その人の態度が変わることはないのだけれど、少なくとも自分たちの言動を反省し、わが振りを直すことはできる。
私は、そんな友人との会話が好きだ。
notes:
lesson: 教訓 discipline: 鍛錬、しつけ
scold: 叱る praise: 褒める
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