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英語の長文を読んで・・・
昨日、高校3年生と一緒に読んだ英文に
1950年のサッカーのワールドカップのブラジルの敗北を「広島のような大惨事」と表現した作家の言葉が出ていた。
夜、高校1,2年生の補習授業で
「パリってロンドンにあるんやったっけ?」と聞いてきた生徒がいた。
・・・(._.)(._.)(._.)
数年前の高校3年生にアメリカ合衆国が南北アメリカ大陸に広がっていると思っている生徒がいた。
昨日の高校3年生の授業では、英文をもとに
「社会科」の授業の大切さや、異文化交流の中で、相手を理解するために大切なことへと話は及んだ。
そして、以前「24周年を前に ③」で書いた、私の高校留学時のアメリカ史の授業を思い出し、その話もした。
日本の学校での「社会科」は暗記科目のような扱いだけれど、本当は思考力や想像力を身に着ける大切な科目だと思う。
そういう科目であってほしい。
けれど、苦手だからとか
興味がない、面白くないと切り捨てる生徒は少なくない
社会科の授業の受け止め方が変われば
外国語を学ぶのに、パリとロンドンが同じ場所にあると思っていたり、その言語が話される国の位置が大きく違っていたりすることも無くなるだろうし、
そうすれば、ワールドカップの敗北の衝撃を「広島のような大惨事」と表現されたとき、きちんとした抗議を主張できる日本の若者が増えるだろう。
そんな授業では、多分
先生たちが、問題提起をしながらも
子どもたちの意見を聞き、自分の意見も言うけれど、一方的な「正しさ」を主張しない
ーそんな環境で行われる授業が今の日本の閉塞感の中では必要ではないかー
なんて話になった。
文科省によると・・・高校の指導要綱では、地理歴史・公民科では
「グローバル化する国際社会に主体的に生きる平和で民主的な国家及び社会の有為な形成者」を育成するために
を目指して、「総合」と「探求」に分けて指導することになっているのに・・・
パリがロンドン
南米にアフリカ・・・
なんて話が高校生の口から出てくると・・・ちょっと首を傾げてしまう。
中学校までにもう少しインプットを増やすことも考えてほしいと思う。
それなくして、何が主体的だ、国際競争力だ。
私たちにできることは、いろいろな機会に、様々な資料を見せたりしながら、話をすることだと思っている。
そのためにも、中学生・高校生には「勉強部屋プロジェクト2025」
そして、小学生には「子どもの居場所プロジェクト2025」
を、この春から始める。
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