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てらこやのひび ⑨
寺子屋は、少し変わった塾です。
というか、そう言われます。
私は、本来の塾の姿だと信じて疑わないのですが・・・笑
1人新しい生徒が増えると、多くの生徒が、良い意味でも悪い意味でも興味津々で、彼または彼女の一挙手一投足に注目をします。
全然興味がなさそうにふるまっている生徒も、おうちで親御さんにお話をしていたりして、親御さんとお会いしたときに報告をもらったりします。
先日、一昨年の11月に入ってきた生徒が、昨年の12月入塾の生徒の言動を楽しそうに見ていました。そして、私が絶対許さないだろう言動が新入生から出る度、嬉しそうに私の顔を見ていました。 笑
でるぞ、でるぞ、小言が
怒られるぞ、そこ、絶対怒られるぞ
と言わんばかりのまなざしに、私が思わず笑ってしまいました。
ー成長したね~、君 笑
なんて、声をかけると、頷きながら笑っていました。
叱られるのに慣れていない子どもが増えています。
でも、寺子屋では、叱ります
もちろん、同時に、褒めることがあれば、きちんと褒めます。
そして、叱るときも、褒めるときも、ありったけの心を込めます。
その心が、あ、通じていると思う瞬間が、突然やってきます。
その瞬間が、彼らの成長の証です。
昨日も書いたように、寺子屋には創設以来、というか多分、新校舎に移転(隣ですが)した4年目あたりから、いろんな意味で「生きづらさ」を感じている生徒が増えています。
でも、今の いろんな意味で違和感の多い世の中で、様々な「生きづらさ」を感じている生徒たちは、叱られても、叱られた理由が分かれば、安心し、心が伝わりやすいような気がします。
もう20年ぐらい前の小学2年生が、私に叱られていたクラスメートの男の子のことを
「先生、あの子はああいう子やで、しゃあないよ」
と、私に言った言葉が、今でもときどき蘇って私の胸に刺さります。
「ああいう子だから、仕方がない」
と、小学2年生で言われてしまうこと、小学2年生で言えてしまうことが、悲しくて、「仕方ないことはない!」と叫びたくなりました(叫んでいません)。
思い出す度、
教育は、今すぐ、目の前の子どもたちが何かができること、何かがわかることを促すことではなく、今、伝えることで、彼らの将来のきっかけとなりうるものをたくさん作り出すことであることを忘れてはいけないと
改めて、自分の肝に銘じるようにしています。
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