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変化と挑戦の1年
昔、友人の夫だったアメリカ人の高校の先生に
ー君は、現状を変えたいと思っているの? それは無理だよ。
と、言われたことがある。
私は、「変えられる」と信じて、
寺子屋を始める前から25年以上いろんなことに様々な人の手を借りながら、取り組んできた。
変えられるというか
「変えたい」と思うことが最初にあって、
そこが始まりだけれど・・・
「変えられる」と信じたから続けてこられたのだ。
25年経って、遅々として進まないことの方が多いけれど、それでもまだ「変えられる」と信じている。
大掃除に駆けつけてくれて、後輩たちの面倒を見ながらしっかりと働いてくれる在塾生&卒業生たちだけではなく
日頃から寺子屋で働いてくれるスタッフの教え子たちを見ていても
「変えられる」と信じずにはいられないし、この輪を広げたいと思うのだ。
けれど、コロナ禍を経てここ数年「辞めたい」と心が萎えそうになったこともあったし、この25年目は、意地でも「変える」という強い決意が、まだまだ足りなかったんだな、と、過去25年の反省をする1年だった。
そのことを踏まえ
今年は、「変化と挑戦の年」と位置付けた。
とにかくー
多くの人たちの「勉強」への考え方を変えたいー
「学び」と「勉強」は必ずしも同じ意味ではないということを訴えたい。
だから、まず、寺子屋は「勉強をする場所」ではなく「学ぶ場所」という位置づけにしたい。
勉強は取り組む「時間の長さ」では測らないー
学びは、机上だけでするものじゃない。
昨年の大掃除、たくさんの生徒たちが集まってくれた。
卒業生たちも、たくさん来てくれた。
ありがたいことだ。
そして、年長の生徒たちが年少の生徒たちに気配り、心配りをしているように、心が温かくなり、同時に、1年の疲れや憤りの詰まった心もともに掃除してもらったようだった。
自分たちがしてもらったことを次の世代に伝えるー
そんな姿が感動的でもあった。
一方で、忘年会になると、
昨年は、子どもたちを集めて座らせたために交流があまりなかったと思ったけれど、今年、ばらけてみても・・・あまり状況は変わらなかった。
今、30代前半の生徒たちが中学生だったとき、授業が終わるとカードゲームをしていく生徒たちがいた。
彼らとしたカードゲームを思い出す。
大勢でしているけれど、戦いは、個人戦 ー 他の人は視野に入らない
そんな印象を持った。
今、子どもたちは、他の人が働きかけてくれるというのが当たり前だと考えている節があって・・・
それは、いろいろなことにまで及んでいる
その改善が課題ー
少し先を見る
相手(複数でも)の存在を意識する
そして、心を配る
そんなことを普段の活動から、培うにはどうすれば良いか・・・
そして、それが培えれば、急に学校に行けなくなったり、本当に小さな1つの失敗が長い尾を引くことはあっても、立ち直れない打撃を与えることは減るのではないか、、、
なんて、考える。
そんな25年間の思いを、少しずつ形にできる1年にしたいと思っている。
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