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3秒前の自分
今はもう20代半ばになっている若者が中学生だったとき、テスト結果を見ながら、「きちんと見直しをしなさい」と伝えたら
ーだって、自分が正しいと思って書いた答案なのだから、自分で見直したところで結果は変わらないじゃないですか。
と、反論されて面食らった。
気を取り直して
いやいや、3秒前の君は今の君とは違う人だから・・・と伝えたけれど、
そのとき、初めて気が付いたー
「見直す」の定義というのか、前提というのかが私たちのものと彼らのものが違うことに。
それまでも、今も、「きちんと見直して」と声をかけるけれど、その私たちが意味するところがうまく伝わらなくなっていることに。
そして、何かの本で出合った表現を使うことにした。
「3秒前の自分と今の自分はもう全く違う人だから。」
もう一度考えてみよう・・・と。
若いのに、1度自分が出した答えを疑うことができない
だけれど、その答えがいつも合っているわけじゃない、というより、どちらかと言えば、間違っていることの方が多い。
その経験を踏まえても、「だって、私は正しいと思って書いたのだから」という主張ができる。
その根拠のない自信は、どこから来るのか・・・。
私にはずっと謎なのだけれど、
そんな考え方をして、分かっても分かっていなくても一度出した答えを見直すことができない姿勢がそこにあるなら、それを変えていく必要がある。
感情が優先される世の中になってしまっていて、「自分」の主張にこだわって、「対話」がなくなっている人が増えているけれど、自分自身の中での対話もできなくなっているのだろう。
あなたの気持ちはもちろん大切だけれど、それと同じだけほかの人の気持ちも大切であることを忘れないでほしい。
結局、根拠のない正しさの主張を続けられるのは、相手の気持ちを認める姿勢が欠けていることの表れで、3秒前の自分の存在を疑えないのも、今の自分以外の存在を認められないからだと私は思う。
根拠なく、皆が自分が思う正しさを主張したら、世の中、回っていかない。そこに気づき、もう一度落ち着いて考えてみることができるかどうかが、学びには大切であることを伝える難しさを毎日痛感しながら、子どもたちと過ごしている。
夏休みも残り2週間を切った。
思ったよりは、充実した夏休みになっているけれど、改めて課題を思い知る夏にもなっている。
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