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雪待月のいろは~萌芽~

< 忘れられない3日間 崎だんじり祭り >

 11月初めは、崎だんじり祭りのお弁当を作る実践がありました。定置網のある崎地区の豊漁を願うこのお祭りは、コロナ禍で中止になり今年はなんと8年ぶりの開催。春から崎地区で生活させていただいている私たちも、心待ちにしていたお祭りですが、祭りの担い手の方、崎地区の方にとっては待ちに待った待望の日で、祭りにかける想いの熱さは比べ物にならないと思います。
 そんな大切な日にお弁当作りで携わらせていただけることが楽しみな反面、120食という今までにないお弁当の数と、お品書きの種類の多さを乗り越えることができるだろうかと、不安が募っていました。まさに寺子屋の実践のピーク。4月からの学びと実力を試されているかのようなお弁当作りです。

 「お造り」、「焚き合わせ」、「八寸」、「御飯」とある中、せっかくの機会なので、要になるところを担当したいと思い御飯に立候補しました。お祭りにふさわしいちらし寿司と赤飯の2種類。
「絶対に美味しいものを食べてもらいたい...!」と思って意気込んでいたのですが、途中から最後までやり遂げられるだろうかと、半泣きの状態で仕込みをしていました。
 目を離して椎茸を焦がしてしまったり、酢飯がしょっぱくなってしまったり、赤飯の炊き上がり量が足りず、急遽俵型に丸めたり、、普段なら、ある程度のミスは修正ができるけれど、数が数なので材料も限られているし、ましてや島ではすぐに食材を買いに行けません。時間も人手もかつかつの状態で先生もいれてフル稼働の中でのミスは、本当に大きな痛手になります。とにかく取り返しのつかなくなる前に、正直に先生に報告すること、最後までやり遂げることを肝に銘じて、仕込みをしていました。

▽朝日より早く仕上げスタート

 当日は、朝4時半からお弁当の仕上げが始まりました。前日帰る時とまったく変わらない暗闇の中、登校しました(笑)。こんな時にもみんなの朝ごはんにとおにぎりを握ってくれる人や、笑顔で頑張ろうと声をかけてくれる人、当日もバタバタだった御飯の担当部分をカバーしてくれる人がいて。心の中でありがとうありがとうと繰り返していました。

▽圧巻の御神輿

 なんとか無事に公民館にお弁当をお届けでき、気持ちの良い秋晴れの中、だんじり祭りが開催されました。大きな神輿の中には地域の子どもが4人乗っています。担ぎ手の男性陣は気合を注入して「ちょーさいたー」と叫びながら、町を練り歩きます。体力の限界に挑戦する真剣勝負は、生で見ると迫力満点でした。美保神社への急な階段をのぼり、最後は色とりどりのハッピに身を包んだ女性たちが神輿に飾られた椎の葉を両手に取って、「はらいっちゃ、こらいっちゃ」と歌いながら公園まで踊ります。
 私の住んでいた枚方には、このような伝統的な地域のお祭りはなかったので、携わらせていただけて嬉しかったです。忘れられない一生の思い出になりました。
 この豊漁の祈りが届いて、海士の生活が豊かに守られますように。

▽並びきらないだんじり弁当

  振り返ってみれば、この3日間で何度失敗して、何度怒られたか分からないほどでした。先生にはたくさん迷惑をかけてしまったけれど、最後まで見放さずに向き合ってくださって、本当に感謝しています。この実践で掴みきったことがあるのか分からないですが、今となってはたくさん失敗してよかったと思います。分かったつもりになっていた曖昧な料理の知識、段取り、注意すべきポイントなど、今の自分の現状と課題がはっきりしました。失敗はマイナスかもしれないけれど、寺子屋という学び舎でたくさん失敗させてもらえることは、本当にありがたいことだと思います。
 
 この学びをばねに、無駄にするまいと思って残りの日々も精進します。

 ▽崎だんじり祭りを終えて

< 初めの一歩の野点 食の感謝祭 >

 隠岐神社で開催された食の感謝祭で、野点(お抹茶を外で楽しむこと)をさせていただきました。そもそもなぜ野点をすることになったのか、なぜ初めの一歩なのかを説明します。
 私は、大学生の時に本格的に茶道のお稽古を始めました。そして茶道の奥深さと根底に流れる美学にすっかり魅了されてしまい、茶懐石料理人になる第一歩を踏み出すため、島食の寺子屋に入学しました。もともと料理人を志していたわけではないのですが、料理人になると決めたきっかけは、”在来野菜”に出会ったことです。”茶懐石” ”在来野菜” と馴染みのない言葉だと思うので、簡単に説明します。

ー茶懐石ー
 本式のお茶会では、茶懐石→主菓子→濃茶→干菓子→薄茶という流れを踏んで行われ、4時間ほどかけて行われます。
 懐石料理はお腹を満たすための料理ではなく、その後に飲むお抹茶を美味しくいただくための軽い食事のことを指します。今でも使われる”ご馳走”という言葉にある通り、お客様を迎える亭主(ホスト)が、馬を馳せ、その土地の旬の食材を取り集め、シンプルな味付けで素材の味を生かしたお料理でおもてなしします。寺子屋が行っていることは、まさに”ご馳走”作りだと思います。

ー在来野菜ー
 種をつないでいくことで、その土地の気候風土に馴染んで定着した固有の形や味を持つお野菜のことで、伝統野菜とも呼ばれます。京都の賀茂茄子や鹿児島の桜島大根などが有名です。このような昔ながらのお野菜は全国に約550種類ほどあると言われていますが、現在栽培され出荷されているお野菜は約130種類程度に激減しました。
この背景は様々な理由がありますが、人々のライフスタイルの変化に伴う農業や流通の仕組みの効率化のため、はじかれていったことが大きいと思います。在来野菜は手間がかかるわりに収量は少なく、味も個性的で料理しづらいため、便利、時短が求められる中では、肩身の狭いお野菜たちなのです。 
 私が考えるのはとてもシンプルなことで、生活している土地で取れた旬の食材をいただくことが一番美味しくて、理にかなっていて、体にいいということ。なので、在来野菜が人気になって、全国に流通していくことも素晴らしい食の広がりですし、地元の人に愛されるご当地野菜は、その地域の歴史や食文化を物語る素敵な土産になると思うのです。

 私は、そんな在来野菜とその種をコツコツとつないできた農家さんに心惹かれ、「種採りが育むいのち観〜種採り農家の語りから〜」というテーマで卒業論文を書きました。野菜の一生に向き合う農家さんの言葉は、まっすぐで健気で野菜への愛情に溢れていました。出会った農家さんたちの半数がご高齢で、度重なる気候変動の影響に不安を感じておられました。私になにかお手伝いできること、力になれることはないだろうかと考えた時、在来野菜を美味しく料理し、食べてもらう機会を作ることで、その魅力を伝えることが出来るかもしれないと思いました。
 そして日本全国を旅しながら、そんな在来野菜(だけでなく伝統工芸や食文化)を茶懐石の中で表現し、未来に繋ぐお手伝いがしたいという夢ができました。
その第一歩として、食の感謝祭で「野点」をしてはどうかと恒光さんに声をかけていただきました。このようなチャンスをくださって心から感謝しています。

▽隠岐窯のお抹茶椀

 お抹茶椀は隠岐窯の勇木史記さんにお借りしました。勇木さんが陶芸を始められた頃に作っていたけれど、どうしても割れずにとっていたというものの中から、10点選ばせていただきました。口の広い夏茶碗と言われる平形(ひらなり)や、湯呑みのような筒形(つつなり)などの様々な形や、釉薬の色を選びました。
島の土と素材をを使って作られた器は一つとして同じものはありません。手に取った時の手触り、お抹茶を飲んだ時の口あたり、お茶を点てる時の茶筅の当たり方などそれぞれ違う楽しさがありました。

▽悠三堂の自然抹茶

 島ではお抹茶の生産はしていないので、大学生の時アルバイトでお世話になった、奈良のお茶農家「悠三堂」さんの自然抹茶を使わせていただきました。ほとんどのお茶栽培では、大量の農薬を使います。茶葉を乾燥させて煮出す煎茶や番茶と違って、抹茶は石臼をひいて粉末にした茶葉をそのまま飲むため、ダイレクトに体へ取り込まれてしまいます。そんな抹茶の自然栽培は日本ではとても珍しいと言われています。
新茶を石臼でひいてくださったのですが、甘くてふわっと抹茶の良い香りがする美味しいお抹茶でした。

 ▽亥の子餅と崎乃輝

 奇しくも茶道の世界では11月はお正月です。11月は炉開きといって、夏のしつらえから冬仕様に模様替えをし、春に収穫して熟成させていたお抹茶を解禁します。今回作らせていただいた「亥の子餅」も、そんな11月のお茶会にはかかせない意味のあるお茶菓子です。
寺子屋のみんなにアイデアをもらいながら、さつま芋のあんこを零余子入りの求肥で包み、島食の亥の子餅を作りました。零余子には塩味をつけ豆餅のようにして上からきな粉をまぶし、猪の子ども(亥の子)を表現しました。

▽海の見える畑に輝く崎みかん

 もう一つのお茶菓子は、崎みかんの砂糖漬けです。丹後さんのみかん畑に収穫のお手伝いに行ったときのみかんを使わせていただきました。
試食してくれたさやちゃんの、「崎の輝き!」の一声で菓銘は、「崎乃輝」に決定(笑) 丹後さんの畑で太陽の光を浴びて、きらきらと輝く崎みかんの光景が目に浮かぶようです。作ってくれたもえちゃんは、実は学生時代に茶道部の部長をしていたことが判明し、一緒にお手前をしてもらいました。流派は違うけれど、このお茶会を作るにあたって本当に心強い存在でした。

▽福木の黒文字づくり

 お茶菓子に添える菓子切りの黒文字も手作りです。みんなの手を借りて島の大切な福木を包丁で削って作っています。持ちやすい大きさ、厚さに削り、口に入れた時に刺さらないように先は丸みを持たせたり。一つ一つ違う黒文字の菓子切りも、味わい深くて大切なものが増えました。

根気強く企画をサポートしてくださった恒光さん。
お菓子作りや当日の動きなどたくさんの助言をしてくださった鞍谷先生。
事前準備や当日のスタッフをはじめ、沢山心をかけてくれた寺子屋の皆。
抹茶椀を貸してくださり、うつわへの向き合い方を教えてくださった勇木さん。心よくお道具を貸してくださり、応援してくれたお茶農家さん。
お抹茶とお菓子を楽しんでくださったお客様。

 一人一人の存在のおかげで、出来上がったお茶会でした。お茶会はもてなす側ともてなされる側の双方で作り上げるもので、予期せぬ嬉しい出会いや発展があるように思います。今回のイベントを通して、お抹茶に親しんだり、日常の中で美しいものを分かち合う楽しさを感じてもらえたら、この企画は大成功だと思っています。

 この第一歩の次は、島食の茶懐石に挑戦したいと思っています。

<大好きな母屋の2人と作る ラスト留学弁当>

 今年も残り少なくなっていく中、最後の留学弁当月間がやってきました。前回は「郷土料理」というテーマが決まっていたものの、それぞれが作りたいものをギュギュっと詰め込んだお弁当になり、五味、五色のまとまりについては課題がありました。今回は勉強中の生徒が作っているとはいえ、実力が足りないからといって妥協はしたくないという想いが強くあります。
 11月29日の留学弁当のテーマは、「海士の晩秋」です。秋は短く、だんだんと葉の色、日の長さ、風の冷たさから、「もう冬が近づいてるんだなぁ」と感じることが多くなりました。

 会席で使うあしらいの柿の葉は、緑から黄色や赤のまばらにはいった色に、銀杏の葉は、こっくりと濃い黄色へと移り変わりつつあり、冬野菜の蕪や大根、白菜などが出始めました。そんな短い秋と冬の入口にたつ、海士の季節の移り変わりをお弁当の中に表現することを心がけました。
 私が担当するのは、煮物、天麩羅、きな粉の茶巾絞りです。
いつもの焚き合わせは、違う味付けで焚いた食材を合わせて盛ります。今回は焚き合わせではなく、懐石料理の煮物椀をイメージしました。お弁当なのでどうしても温度で温かさを感じることはできません。
その代わり、大根を柔らかく炊いたり、おろし大根を入れとろみのある餡をひいたり、焼き椎茸や柚子の香りを用いて、五感で温かさを感じていただきたいと思っています。

▽お弁当のあいらい探し

 これまでの実践を通して、料理の味、食材の味、知識が少しずつ積み上がってきているのか、お弁当を食べて感じてもらいたいことを目指した工夫や挑戦ができるようになったのかなぁ...と少し嬉しく思っています。

 いろいろなメンバーとチームを組んで料理をしてきたけれど、実は一度もしたことがないシェアメイトとお弁当を作ることになりました。母屋では”母”と言われ、寺子屋でも生活でも頼りになるさやかちゃんと、まっすぐで素直な、頼りになる18歳のはるちゃん。春から生活を共にし、沢山思い出がある2人と作るお弁当がどんなものになるのか、楽しみです。

▽初めて出会った日のシェアメイト

(文:島食の寺子屋生徒 前田)