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10月「求める」
寺子屋に向かう坂道。金木犀がいい香りを放ち始めた10月。
さつまいも、栗、みかん、柿、銀杏、むかご、新米。出会うもの、大好きなものばかり。一番好きな季節。実りの秋。
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朝晩のひんやりした空気や羊雲。色付き始めた木々の葉。すすき越しに見る海。ゆっくり時間が過ぎてほしいと願っても、季節の移り変わりを感じずにはいられない。
次々と旬のものに出会う喜びと、季節が進むことへの寂しさと焦り。この2つの気持ちは離れることなく、いつも同時に湧き上がってくる。
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寺子屋の生活も残り半分をきった。限られた時間を何に使うか、どう使うか。それは自分の求めていることが表れると思う。
【厨房で過ごす時間】
仕事をしていた頃は、もっと料理をしていたい、食のことをずっと考えていたいと思っていた。それが今は毎日厨房で過ごし、四六時中食のことを考えている。求めていたことができている。
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ありがたいことに離島キッチンの営業や弁当の仕出しなどの実践もたくさんある。厨房で過ごす時間は学ぶことばかり。吸収したいのに、それが追いつかないくらいだ。多くの学びの中で、食材を“上手に使う”ことは掴みきりたいと思う。
寺子屋では、農家さんや漁師さんから直接仕入れをしたり、時には私たちが育てた野菜を使ったりする。大きかったり小さかったり、熟れ方に差があったり、傷があったり…不揃いは「自然のものだから当たり前」としている。私も、それを当たり前として料理をしていきたいと思う。大きさや形の揃った食材を求める料理人にはなりたくない。
食材が不揃いであっても、お客様に提供するものは、人によって大きさが違ってはいけない。「同じように見せる」のだと先生は言う。そのためには、包丁の技術が不可欠。魚を切り身にするとき、野菜を切るとき。包丁一本で、切り方一つで、不揃いだった食材を揃え、美しく見せることができる。
今はまだ真っ直ぐに切ることもままならないけれど、「どんな食材も任せて」と言えるように包丁技術を磨いていきたい。
食材を“上手に使う”ことについては、無駄にしないことも大切だと思う。
在庫管理をしっかりとすること。適切に保存すること。魚や野菜の食べられるところは料理に使えるようにきれいに捌いたり切ったりすること。野菜くずや魚のあらを捨てずに出汁にすること。
食材は「いのち」だということ、大量に扱うとその考えが薄れがちになる。どんなときも、食材を大切に扱って料理をしていきたい。生産者さんや食べる人にそれが伝わるような料理をつくる寺子屋にしたい。
【畑で過ごす時間】
幼い頃から、畑はいつも身近にあった。
島に来てからは、4つの畑に関わらせてもらっている。シェアハウスの小さな家庭菜園。寺子屋の畑。柿谷商店「ふみちゃん」の畑。そこに今月から「ムラーズファーム」も加わった。
ムラーズファームは、ドイツ出身のフランク・ムラーさんが営むオーガニックファーム。雑木林や棚田の耕作放棄地だったところを開墾して畑にした。ヤギとニワトリと共に、循環できる農法で多品種の野菜を育てている。
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朝一番の仕事は卵集め。まだお腹の下で温めている鶏もいる。そこから卵をいただくのは悪いことをしている気持ちになって、心が痛む。お店に並ぶパックされたものも同じ卵なのだけれど、既に「食材」としてそれを見ている自分がいる。鶏小屋で触れる温かい卵は、まだ食材ではなく、大切な「いのち」だ。私は他の命に生かされているんだ、と肌で感じる。
先日はビーツの苗植えを手伝った。私は苗植えが好きだ。ポットから苗を取り出したときにだけ見られる野菜丸ごとの姿。ほんの数秒しか見ることのできない貴重な瞬間。そっと優しく、ポットから取り出す。葉っぱや茎は小さく弱々しくても、根は何本も何本も長く伸び、しっかり土にしがみついている。外側まで根が回り、植え付けられたらすぐにでも畑の土に根を伸ばせそう。その力強さに感動する。小さな姿から大きな生命力を感じる。
毎日の生長を見ていると、当たり前だけれど野菜にも「いのち」があることを身をもって感じることができる。
いのちの繋がり、感謝の気持ち、環境のこと、食に携わって生きようとする私に、大切なことを教え続けてくれる畑。どこにいても、自然と畑を求めている。
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自分の心が求めること。それに目一杯時間を使っている今、毎日幸せ。
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(文:島食の寺子屋生徒 小松)