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京都の紅 岡山の青 隠岐の白

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ひとも食材も集まる 京の都
 辰巳屋(宇治)
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12月25日、クリスマスの京都宇治。紅葉が朝陽を浴びてきらきらしていて、わぁと思わずため息。
朝晩には霰、窓の外を見れば曇天と葉を落とした木々…毎日校舎で鼻をすすりながら料理をしていた私たちにとって、京の都の穏やかな川辺は感動的な景色だった。道を歩けば、海外からの旅行客がたくさん。京都はすごいねーと完全にお上りさん状態。

▲一緒に辰巳屋さんに行ったもえちゃんとつばさくん、出勤風景

おせちづくりの期間に、6日間お世話になった辰巳屋さん。実習を終えて振り返ると、貴重な経験をさせていただいたことに本当に感謝の気持ちでいっぱい。
辰巳屋さんの厨房の印象を一言で表すと、野球部!挨拶や営業中の声かけが清々しくて、常に程よい緊張感があって。料理長や副料理長が一言声をかければ、細かな指示までださなくても、さっと動ける。普段の寺子屋で、先生に声をかけられたときの自分の返答と比較すると、本当に反省しかない。食材の在庫や状態を常に把握しておくこと。調理に必要な道具を、さっとそろえること。「保管の仕方が悪いからや」「ちゃんと周りの準備してから調理せぇ」普段先生が仰っていることは、お店で働くときにすごく大事なことなんだと実感する。辰巳屋さんの先輩たちは、忙しいおせちの準備の中、技術的な指導もたくさんしてくださった。八方剥きやねじり梅、鶴小芋、松笠慈姑など、ひたすら飾り切りをした数日間。教えていただいたコツを意識すると、だんだんきれいにできるようになって、新しい技を身に着けられたのはすごく嬉しかった。また、慈姑や子持ち鮎、数の子、穴子、伊勢海老、千社唐、からすみ、イクラ…と島では出会えない食材もたくさん触らせていただいた。今は全国どこでも同じようなものが食べられるけれど、島の食材だけで料理をする日々を過ごしてきた私は「やっぱ都ってすごいな…!」と、江戸時代の人の目線(?)でおせちを眺めて、なんだか感動してしまった。

▲辰巳屋さんのおせち

年始に1日だけ鳥米さんの厨房にも入らせていただいた。静かに一人集中して盛り付けをしていく辰巳屋の左さんと、歌うように軽やかに盛り付けをしていく鳥米の田中さん。幼馴染で仲良しなお二人だけれど料理のスタイルは全然違って、「お店の色」を感じたおせち修行だった。

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おだやかな瀬戸内 岡山
 Blicorl・雲(倉敷)
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実家から島に戻ってくる前に、同期のなっちゃん、さきちゃんと3人で、寺子屋卒業生の武田さんが働いていらっしゃるお店『Blicorl』と『雲』を訪ねた。武田さんは12月に寺子屋でだしの授業をしてくださったのだけれど、その時「店長の矢長さんもすごく面白い人だから、よかったらお店に来てね」と仰っていて、今回お言葉に甘えておじゃますることにした。朝の仕入に同行させていただき、お昼は『雲』で武田さんや店長の林さんと一緒にまかないをいただいて、夜の『Blicorl』へ…というなんとも贅沢な1日に。矢長さんはいつもご自身で食材の仕入れをされているとのことで、地の魚や野菜を売っているスーパーや直売所、漁港を回り、瀬戸内の食材をたくさん見せていただいた。購入した食材を車に乗せながら「今夜の料理にも出すよ」と仰って、本当に文字通りのご馳走だ!と、ありがたく嬉しくなる。道中には、矢長さんが野菜の面白さにはまった経緯や民藝の器のこと、茶道の話、お店での働き方などたっぷりお話を伺った。 日本料理を文化としていろんな角度からとらえ、ご自身の哲学を持つ矢長さんのお話はとても面白い。ただ、「そういう話はお客さんにはしない」のだそう。実際に『Blicorl』に伺ったときの武田さんの接客は、とてもシンプルで洗練された印象だった。お料理も、器も、お店の内装も、ふと気になって尋ねるとひとつひとつに想いと工夫があって。受け取る側の感度次第で、お店の魅力をどれだけ味わえるかが変わる。今書いてみて気が付いたけれど、お茶の世界と一緒なんだ。茶道をやっていらっしゃった矢長さんだから、自然とそんなお店作りになったのかもしれない。すべての料理を食べ終わって、夜ホテルの部屋に着いた時、普段の旅行で夕食を食べたときの「おいしかった~でも苦しい~」という感覚とは全く違うことに気が付いた。お腹はほどよく満たされて、心はほくほく。こんな料理を出せるようになりたいな…頑張ろう、と小さな決意をした年の初めの一日。

▲お料理はどれも本当においしかった。
中でも一番感動したのは「焼魚」。皮はサクカリッ!身はふわふわ、食べたことがない焼魚の食感。 島に帰ってきてからもあのおいしさが忘れられなくて、ただ今シェアハウスで特訓中。
▲矢長さんのお話の影響を受けて、岡山からの移動途中に寄った出雲民藝館。 展示の中に「隠岐の烏賊釣り漁師が手を温めるために使った火鉢」があった。 遠い海の向こうとも昔からものや人の往来があって、暮らしは地続きになっていたんだ…と教科書の中の話が目の前に現れて、なんだかはっとした。

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自然の厳しさと隣り合う 隠岐
 福井さんの森
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帰りは大時化、数日ぶりに動いたフェリーは満員。座っていられず横になって日本海の荒々しさを身体で感じながら、京都の華やかな紅色、岡山の穏やかな青色の風景を思い出す。フェリーを降りると、島は雪で真っ白な景色だった。(帰り道、滑る坂道を必死に歩いて、雪景色の写真を取り損ねてしまった…残念。)

1月は冬休み明けの2週間のみだったけれど、大敷のみなさんへのおでんお届け、お魚目隠しテスト、Ento宿泊会、荒神さん、畳づくり体験、茶懐石…と盛りだくさん。そして週末は原木椎茸の生産者福井さんのところへ何度かおじゃました。

次のシーズンの椎茸栽培に使う原木の準備。山に入って、秋ごろに切り倒しておいた木を、1メートル間隔に切り、運び出しやすいようにまとめておく。切り倒して数か月経っているとはいえ、まだまだずっしりと重い。抱えきれないものもたくさんあって、転がしながら急斜面を登っていく。「昔の人が木を植えてくれてたから、今おれがこうして椎茸栽培に使わせてもらえてる。まあ、原木椎茸の栽培をやるもんがこの島で出てくるとは思われてなかったやろうけど。」「切ったところから本当は新芽が出て、育ってくれたらいいんやけど、牛に食べられてしまってなー。でも将来、原木椎茸やりたいって若いもんが出てきた時にできるように、今のうちに木を植えないとな。」作業の合間に、福井さんはいろんな話をしてくださる。斜面を上り下りして火照った顔に海から吹いてくる冷たい風が当たって、あっという間に汗が冷える。秋においしい椎茸を収穫するためには、1年以上の時間をかけて少しずつ準備していく必要があって、タイミングは天候や植物の状態次第。人間の都合だけでは進まない、本当に厳しくて難しいお仕事だと実感する。

▲福井さんのお手伝い。 持ち方のコツを教えてもらって、最初より大きな木を持ち上げられるようになった!

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京都、岡山、隠岐。食材という一つの視点をもってそれぞれの土地を見ると、日本という島国は本当にいろんな顔を持っているんだな…と思う。その土地の自然環境や人の営みの歴史、いろんな要素が絡み合って、今この食材があるんだと思うと、不思議でわくわくする。
今回は寺子屋のご縁でそれぞれの場所でとってもディープな経験をさせていただいたけれど、普通の旅行でこんなに土地の食材を堪能できる場所を探し当てるのは、なかなか難しくなっているのかもしれない。

隠岐に来たお客さんに、島を味わってもらうためにどんな料理を、どんな場所で、どうやって提供するのか。ここ数か月のいろんな体験が重なって、春以降のお弁当づくりでやりたいことのイメージが少しずつ膨らんできた。同期のみんなも、進路を決め始めている。いつか自分のお店を持つことができたなら、お店の壁に寺子屋卒業生マップを大きく描いて、来てくれたお客さんに寺子屋のみんなが働いているお店の話をしながら、次の旅先をおすすめできたら面白そうだな…と、今眠たい頭でぼんやりと思った。忘れないように、ここに書いておこうと思う。笑

(文:島食の寺子屋生徒 河野)