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Kaedeのアルバムに今日も救われてる
世の中がこういう状況になって早3ヶ月近くになる。
そろそろ気持ち的も限界は来ているような気がして、些細な事でも気が荒立つ事が増えてきた。今日も些細な連絡に気持ちが乱されてしまった。
そんな日々の中で自分を落ち着かせるために欠かせないのが、Kaedeの「今の私は変わり続けてあの頃の私でいられてる。」だ。
このアルバムを聴く度に不思議と気持ちはホッと落ち着くし、目の前で起こっている嫌な事も忘れられる。僕の肩の荷を下ろして、そっと寄り添ってくれるような優しいアルバムだ。
僕はこのアルバムを聴くまで、かえぽ(Kaedeの愛称)の事は全く知らなかったし、Negiccoも友人が好きだなっていうくらいしか知らなかった。そんな僕がKaedeをかえぽと呼ぶようになり、Negiccoの楽曲にも夢中になるきっかけになったのがこのアルバムだった。かなり変則的な入り方をしたものだと思うけど、このアルバムから得たものは大きい。
個人的にこのアルバムは2020年の中でベスト3入りは間違いないし、生涯聴き続けていきたいくらい好きな作品だ。年末に向けて今年のベストを振り返っていくことにそのうちなると思うので、その補助線として今回はこのアルバムの魅力を語ってみる。
このアルバムの魅力は何と言ってもKaedeの歌声にある。心の中にスッと入ってくるような温かみを持っていて、それが体の中にしっとりと溶け込んでいく。そんな温かみを感じるのは、彼女の声の中に低さが感じられるから。
これはNegiccoの楽曲を聴いた時に感じたのだが、Kaedeの声は他の二人に比べて声が良い意味で低い。だからこそ、3人の声が重なった時に、高音と低音が絶妙に混ざった感覚がとても心地良い。Negicco楽曲を聴く度に改めてKaedeの声の低さに僕は惹かれているんだなと思う事がある。
この低さについて考えてみる。ずっしりと構えた安定感があるというよりは、崩れちゃいそうな脆さがあるんだけど、その崩れそうな儚さがあるからこそ生じる優しさみたいなもの(上手くまとめられない)がひしひしと伝わってくる。
低さから生じる儚い優しさはいつ聴いてもスッと染み込んでくる。まさにこれを書いている今もそうだ。この優しさを味わいたい、救われたいから僕はしんどいなと思った時にこのアルバムを再生してしまう。
またこのアルバムは日常生活の延長線上にあるような世界を感じさせる、既視感のある歌詞にも僕は魅力を感じている。
文学的な歌詞でも、何か具体的なメッセージが込められた歌詞でもない。ただ、「あなた」と「私」のこれまで紡ぎあげてきた、あるいはこれから作り上げていくであろう日常生活が描かれている。
この何気ない日常生活を描く姿勢に僕は惹かれる。何かが起きる訳でもない。ただ日常が淡々と刻まれていく。これは日記を読んでいる感覚に近いのかもしれない。
何も成せなかった、ぼんやりと過ごしてしまったこの日々を歌詞として記して、それをKaedeの声で歌う。この過程に僕は日常生活に対する浄化を感じないではいられない。
やるせない1日の終わりにいつもこのアルバムを聴くのだが、その度に「あぁ、こんな日常でも僕の人生の1ピースなんだな」と切なくなりながらも不思議とこれで今日は良かったんだと思える安心感がある。
感覚的にこのアルバムの中の魅力を語ってきたが、上手く伝わったか自信はない。それでも、いつかこのアルバムを語ろうと思った時に、Kaedeの儚くも優しい歌声と何気ない日常を日記のように綴った歌詞の姿勢はきっと補助線になるはず。
今日も僕はこの日常を浄化するために、Kaedeの歌声に浸る。