デザイナーの女の子、あのおねえちゃんって呼ばれたくなくて早くおばさんになりたかった
ラジオで韓国文学の特集があって紹介されていた『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んだ。
この時、番組に出演されていた女性たち、みなさんが口々に「泣いた」とおっしゃっていたし。
帯には「女性が人生で出会う困難、差別を描き、絶大な共感から社会現象を巻き起こした話題作!」って。
正直、大丈夫かな、これ読んで。
と思いながらも、もう読まずにいられなかった。
今でこそ、立派なおばさんになり「女の子」だったころの記憶もおぼろげながら、あの頃の記憶が蘇った。
わたしは、短大を出て最初に就職した会社で屋外広告のデザイナーになった。入社後、数週間経ったところで、先輩の男性デザイナーに、「いいよね、寺ちゃんは女の子だからすぐにデザイナーになれて」と言われた。
まったく意味がわからず、何度も「はい??」と聞き返してしまったら、先輩から「知らないの?この会社、男性デザイナーは3年間現場を経験しないとデザイナーになれないんだよ。俺は5年目だけど、デザイナー歴は2年目だよ」と。知らなかった、聞かされていなかった、自分が【期待されていない存在】だとは。
どうせ、女性は3年もしたら、結婚して辞めてしまうだろうから。
辞めなかったとしても、現場を知っている男性デザイナーの補佐的な仕事で十分、まあ、そういうことだ。
若かったわたしは、それでもめげずに、なんとか現場を知りたくて、制作部の部長にお願いして制作部の仕事をやらせてもらえるよう、現場に連れて行ってもらえるよう、交渉した。
日中は制作部の仕事をさせてもらって、夜に残業してデザインの仕事を教えてもらった。必死だった。
1年経って、後輩が入って来た、男性の。
もちろん、彼は、制作部に配属された。現場を知るために。
でも、不幸なことに彼は現場をいやがった。
「俺、穴掘りするためにこの会社に入ったんじゃない(※1)。デザイナーで採用されたはずなのに」と愚痴った。そして言った「寺さんはいいよね、女の子だからすぐにデザイナーになれて」。
人がどんだけ苦労して、制作の仕事を教えてもらってるか、知りもしないくせに。
同業他社に転職したあとも、どんなに仕事を覚えても、電話に出ると「あーー、おねえちゃんじゃ話になんねんだ。【男の人】と電話変わって、と言われた、図面を書いてるのはわたしなのに。
すっかり忘れていたけど、そのころの記憶が蘇って、ちょっと胸が苦しくなった。
でもね。
この「どうせ女は」とか「女のくせに」とかの裏側には、必ず、「男らしく」とか、「男のくせに」がセットであって。
男なんだから、穴掘れて当然、力仕事出来て当然。
男なんだから、数年で仕事辞めないよね。
そういう「男らしく」の呪縛に苦しむ男性だってたくさんいるはず。
あの後輩くんだってそう。
彼は大きな仕事を任されなくたっていい、現場を知らなくたって出来るデザインの仕事がしたかったんだよ。
それは決して悪いことじゃないからね。
『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んで、真っ先に思い出した本がある。
ジェーン・スー(日本人)の『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』だ。
だいぶ、タッチが軽めになったけど、笑
この本の中でも表裏一体「男のくせに」「女のくせに」の話が出てきます。
もし、『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んで絶望的な気持ちになってしまい、落ち込んでる人がいたら、『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』を読んでみてほしい。ゲームのルールを知らずにゲームしてるもんだ、って思えたら、大丈夫。
たぶん。
※1 屋外広告の現場の第一歩は、看板の基礎の穴を掘る仕事
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