オッドタクシーに感じた違和感【ゴリゴリにネタバレあり】
先日オッドタクシーを見終わった。
その時に感じた違和感をつらつらと書いていく。
※オッドタクシーのネタバレ全開で書くので未視聴の方は読まないでください
感想としてはとても良かった。
今年No.1に挙げる人も多いほど名作だったと思う。
周囲のハマり具合から逆に敬遠していたが、視聴できて良かった。(鬼滅が流行れば呪術を推し、呪術が流行ればチェンソーマンを推す天邪鬼です笑)
この理由の他にも、敬遠していた理由として「キャラクターがデフォルメされている点」も大きかった。
結局それが壮大な伏線になっており、唸らされることになるのだが。
ただ、手放しで名作だ!神!!!と言えるような満足感が得られなかったのも事実。
その違和感の原因を探りたく思う。
さて、伏線回収ものといえば古今山のようにある、優れたジャンルの1つとして挙げられるかと思う。
アニメでも優れた伏線回収ものはたくさんある。中でも好きだったのは『シュタインズ・ゲート』だ。
今回は『シュタインズ・ゲート』と『オッドタクシー』を比較しながら考えてみる。
違和感の原因として、尺の短さを挙げられるのではないかと考える。
伏線回収ものが支持される理由として、カタルシスは大きな要素だろう。
『シュタインズ・ゲート』の場合、苦しんで苦しみぬいたオカリンが最終的に紅莉栖もまゆしぃも助ける世界線に到達する、という過程と結果に満足を覚える。
この時オカリンの行動原理は恋仲になった紅莉栖を助けたいという恋愛要素もあるのだろうが、序盤9話で描かれた「ラボメンたちとの平和な日常を取り戻したい」というところが大きいように思える。
序盤の9話は離脱者を量産した凪のフェーズなのも事実。
だが最終的なカタルシスを得るためには必要だったはずだ。
そこで『オッドタクシー』に話を戻そう。
『オッドタクシー』は本当に無駄のない展開だった。
逆に言えば無駄が無さすぎた。
オドカワが基本ドライなのにいざと言う時は仲間思い・女思いな点だとか、ドブという半グレに命をかけてまで正義を振りかざしたりだとか、行動原理がいまいちハッキリしない。
オドカワの過去を振り返っても、毒親家庭で育ち、九死に一生を得たという点だけで仲間を思うきっかけも正義に目覚めるきっかけもひとかけらも見つからない。
ただ、これらの問題はもう1クールあれば解決したはずだ。
要はその行動に至った理由を描けたはずだ。
この点がもったいなかったな、と思う。
さらに付け加えれば世間の流行りを考えてもこの構成がベストだったんだろうな、とも思う。
年々動画のスピード感が早くなってきている。
大ヒットを記録した『君の名は』も短いカットを繋ぎ合わせたスピード感のあるものだったそうだ。
無駄な展開のない『オッドタクシー』はまさに現在の時流に合っている。
最近のアニメ視聴者層は前評判が無ければ『シュタインズ・ゲート』の序盤9話に耐えられないだろう(私も前評判がなければたぶん無理だ。笑)
その点を加味しても、仕方がない要素なのかなと感じた。
結論として、尺不足によるカタルシス不足。
これが『オッドタクシー』を手放しで褒めきれない唯一の理由かと考える。
あと個人的な意見としては主演声優がミスマッチだったような。
炭治郎ボイスでオドカワはあまりピンと来なかったのは私だけ?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?