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最強の娯楽を手にした
こんばんは。
てらいです。
TVつけたらハモネプやってますね。
小学生の時にハモネプ大好きで、TSUTAYAでハモネプのCD借りたり、
地元で集まってハモネプごっこ(普通に全員主旋律歌ってる)したり。
あれ、でもハモネプって大学生の大会じゃなかったっけ?
と思って調べたら、その時々でコンセプト異なってなっているんですね。
みんな楽しそうだしキラキラしてて素晴らしすぎる。
◆
こんなに歌うこと好きなのに、アカペラサークルに入る選択肢って、
なぜか一度も思いつかなかったな。もったいない。
18歳の時の寺井は今の数倍は器が小さく斜に構えていたので、
当時の僕はおそらく「バンドじゃないと意味がない」ぐらいに思ってそう。
あとアカペラサークルの人たちが自分達のグループのことを「バンド」って形容するたびに「ユニットな」っていう指摘するっていうおふざけのくだりあったな。冗談でね。
当時18歳の頃は立教大学の学生だったのですが、ハモネプで注目されたユニットバンドがいたんですよ、キャンパス内に。
もう常に芸能人みたいな扱いされてて、妬ましかったなぁ。
本日は、そんなイケメンに嫉妬する寺井の、音楽への目覚めから、初めてギターを触るまでのお話。
◆
初めて音楽を意識して聴いたのは、車の中で流れているサザンオールスターズでした。
家族で車でどこかに出掛けていた時、渋滞にはまったせいか、
ものすごく退屈で、長い行程となってしまった時のことです。
車に酔うからゲームボーイでポケモンもできない、
渋滞で進行もゆっくりで景色も変わらない、
すでに父も母も姉も気力を失っている、
そんな状態の車内、僕は初めて流れている音楽に耳をかたむけました。
マジで最終の娯楽だったんだと思う。
その時に聞いたサザンオールスターズの「愛の言霊」が耳から離れなくて、車内でもずっと歌っていました。
最強の娯楽を手にした僕とは裏腹に、僕の愛の言霊を無限に聞くことになった家族はしんどかったと思います。
そこから母親がサザンの曲をいろいと聞かせてくれたのですが、しっかり覚えているのは「HOTEL PACIFIC」。
家族といったカラオケで歌詞の意味もわからずサザンを熱唱している小学生でした。
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しばらくして母親がラジオでポルノグラフィティの「アポロ」を聴いて好きになったようですが、僕はそこをスルー。「ヒトリノ夜」もチラッと見てスルー。
「ミュージック・アワー」も少し顔をだした程度で、「サウダージ」からどかんとポルノに大ハマりしました。
その頃には僕も小学校高学年、TSUTAYAでCDを借りたり、CDをコピーする術を覚えたりと知恵を持っているわけですね。
小学校のクラス内で音楽を聴いている友達も増えて、アルバム「foo?」の音源を手にすることができました。
そしてクラスメイトが「こんなバンドもいるよ」と教えてくれたのがBUMP OF CHICKEN。
アルバム「jupitar」を聴いて、世はポルノとBUMPの二強の時代に。
◆
ちょうどその頃、父方の祖母の家に行った際、古いYAMAHAのガットギターに触りました。
当時はもちろんギターの弾き方などわからないので、適当に6限(一番太い弦で、低い音が出る)だけを弾きながら、
「サウダージ」のアルバムバージョン(「サウダージ “D”tour style」という名前で収録されていて、シングルバージョンとイントロが少し違う)のベースのイントロを耳コピしたのが、
バンドキッズの卵、寺井少年の誕生秘話。
自分のギターを手にするのはもう少し先。