過剰牧師感
こんばんは。
6月最終日に、6月最初の記事を投稿しているてらいです。
先日、友人の結婚式に行ってまいりました。
珍しく、新婦側の友人として。
結婚式ってチームワークだと思ってるんですね。
新郎新婦、そしてプランナーさん含むスタッフさんはもちろん、
ゲストの非言語コミュニケーションもめちゃくちゃ重要。
スピーチでユーモアを出されたら絶対に笑うし、
プロフィールムービーで4歳の写真をみて「もうこの時から〇〇の顔じゃん!」と茶々を入れる。
白ワインも赤ワインも、パンも勧められたら全ていただくし、
テーブルのお花をお持ち帰りくださいと言われたら必ず持ち帰る。
絶対にそんなことありえないのに、当日自分が友人代表のスピーチを急に頼まれても平気なように、内容を考えてから行く。
そんなスタンスで結婚式に参列しているので、
新婦側の友人として参加するのはなかなか苦戦します。
なぜなら、「ゲストヒエラルキー」の中で最下層だから。
ということでとても大人しくお祝いしてまいりました。
◆
結婚式には2つの大きすぎる難所があると思っています。
昨日の披露宴も例に漏れず。
一つ目、「新婦」と「神父」、さすがにややこしすぎる問題。
おそらく神父ではなく牧師と呼ばれているのだけれど、
私たちの感覚って牧師より神父のが身近なのかな。
脳内で勝手に神父さんに書き換えられています。
会話の中で「新婦さんのさ、」という話をすると、
「え?神父さん?ああ、新婦さんか」という全く無意味なラリーが繰り広げられます。
神父さんの話するはずないんだよ。アーメンすぎる。
◆
二つ目、牧師さん日本語下手すぎ問題。
流石に牧師さんもさ、もう日本での生活が長いわけじゃない?
もっと流暢に日本語話せると思うんだよ。
僕はあの「ャメルトキモ〜」みたいなので本当にニヤニヤしちゃう。
とはいいながら、めちゃくちゃ流暢でも笑っちゃうんだろうな。
要するに緊張と緩和のバランスが本当に絶妙で、大体笑けちゃう。
牧師さん、見た目は完全に外国人だから、やっぱりわざと必要以上に「外国人感」を出す話し方にして、「牧師感」を演出してるんじゃないかと思う。
そう考えるとやっぱり、挙式の時点からチーム戦なんだよね。
牧師さんの過剰牧師感のおかげで、僕たちは誓いのキッスも照れずに見られるってわけ。
それではまた。
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