PHILOSOPHICAL ZOMBIE ―小説 哲学的ゾンビ―
2022年2月20日開催のCOMITIA139にて頒布した新刊小説です。
イベント前日午後に突如ネタが降ってきて、構想5分、執筆3時間で書き上げた処女作です。
イベント当日8時に脱稿し、コピー機で出力、タクシーでビックサイトに向かい、製本しながら頒布した曰く付きの作品。10人ほどのチャレンジャーが内容の確認をせずに購入されていきました。
オチの前までを無料公開します。結末を見たい方は有料部分を購入してください。
目が覚めた。
頭が少し起こされている、硬めのベッド。
なんだか、こめかみや後頭部にうっすらとした痛みを感じる。
周りを見ると、ベッドは天井から吊されているカーテンに囲まれている。
カーテンは薄い青色。私の部屋の色ではない。
定期的に小さな電子音が鳴る。
体には何やら色々なものが貼られて、そこから線が延びている。
そうか、きっとここは病室だ。
私はどうしたのだろうか。わからない。
しかし、病室に寝ているということは、おそらく健康な状態ではないはずだ。
なにがあったのか、少しぼんやりした頭で思い出そうとしてみたが、わからない。
知らないことは考えてもわかることはない。人に頼ることにしよう。
私は入院したことはない。しかし、病室の作法はわかる。
看護師を呼ぶためのボタンはきっと枕元、頭の近くにあるはずだ。
押した。
少し間があって、声が聞こえる。私を呼ぶ声だ。
ボタンを押すことは知っていた。だが、何を言えばいいのだろう。
私がどこの誰で、どうして欲しいのかを言えばいいのだろうか。
だが、私はどこにいるのだろう。ここは何号室だ。
いやそもそも、ここがどこか伝える必要はないはずだ。
私を呼ぶ声はその答えを知っているだろう。
ではなにを言えばいいのか。「目が覚めました」それはそうだが何か違う。
ちょっとした痛みと、目覚めの気だるさはあるが気分は悪くない。
「ちょっと頭が痛いのですが」というのもなんだか気が引ける。
意味もなく逡巡しているうちに、カーテンがさっと開かれた。
白衣を着た人は、滑らかに、そして静かに声を出した。
「おはようございます」
私は、上手く声を出せなかった。
やがて部屋に、白衣を着た人が幾人も入ってきた。
その様子を見るに、私はどうやらずっと寝ていて、久々に目が覚めたらしい。
これから検査をやるのだろう。
白衣を着た人が、これから検査をする旨を私に告げる。
名前と生年月日を聞かれる。
私は、声を出そうとしたが、かすれた音しか出なかった。喉が乾いている。
白衣を着た人が、水を含ませた脱脂綿を唇に当てる。
声が出せるようになった。私は私について答える。
その回答に満足したのか、少し笑みを浮かべた様子が見える。
そしてポケットからペンライトを取り出し、私の目に向ける。
眩しい。そして光が上下左右に動く。
私の目は自然と光を追っていた。
つぎに、白衣を着た人は、白く細長い紙を私の鼻先へと突き出した。
バラのような、甘い香りがする。私はそう答えた。
次の紙は、少し焦げた香り。そう、これはプリンのようなカラメルの香り。
何度か同じ検査を繰り返したあと、白衣を着た人は私に笑うように言った。
意味もなく笑うのは難しいが頑張る。少し引きつった笑顔になっているだろう。
言われるがままに表情を変える。言われるがままに舌を突き出す。
液体を舐めて味を答える。甘い、苦い、酸っぱい。
白衣を着た人はやはり満足げな顔をしている。
そのうちに私は理解する。
私は何か頭に怪我を負ったか、脳の損傷を疑われるような事態に陥ったのだと。
聴覚、視覚、嗅覚、味覚、そして顔の神経。
おそらく全てが正常に動いている。私は安堵する。私は完璧だ。
ただ、記憶だけが不十分だ。私はなぜここにいるのか。
白衣を着た人が減った。残ったひとりが私に話しかける。
私は近所のコンビニからの帰り道、車に接触したらしい。
幸いにも体に大きな怪我はなかったが、なかなか目覚めなかったようだ。
なるほど、私は劇的な物語の主人公ではなく、少し普通から逸脱した程度ということだ。
想像していたよりちょっと長めに寝ていたこと。
寝ている間に筋肉が衰えているために、簡単ではあるがリハビリが必要であること。
体が動くようになれば日常生活に戻れること。
そんなことを白衣を着た人は話して、部屋から去って行った。
ひとりになって私は考える。アイスクリームが食べたい。
それからは体を動かす日々が続いた。
思い出してもあまり面白くはない、単調な日々であった。
幸いにして大きな怪我をしたわけではない私は、季節が変わる間もなく自由を取り戻しつつあった。
やがて日常の空間に戻る。見慣れた私の部屋。
家族とは少し離れたところに住む。そして大学へ通う。
何ヶ月か休んでいたので、普通の人よりはちょっと寄り道をしたことになる。
少しばかり不安を感じながらも、月並みで今まで通りの大学生活を送ることにしよう。
サークルは文化系。体を動かすわけではないのですぐ復帰が出来た。
もう私は普通に生活が出来ているつもりだったので、周りに気遣われるのは少し嫌だったが、今だけのことと割り切ってその優しさに甘えて日々を過ごした。
私は早く、私の日常を取り戻したかった。
特別ではない私の普通の日常。普通に講義に出て、サークルで楽しむ。
甘いものが好き。紅茶が好き。本を読むのが好き。
休みの日は遠出するよりも、近所を散策するのが好き。
たまには絵を描いてみるが、うまくはない。描くのは好きなのだけど。
私は私が思い描く日常に戻った。そして日々が過ぎていく。
大学生活も終わりが見えてくると、将来のことを考えることになる。
どんな仕事をしたいかはぼんやりとしている。そこそこの給料、落ち着いた生活。
私はこれから何をしたいのだろうか。わからない。
そういえば、私は私の日常に戻ってから、あまり新しいことに取り組んでいなかった。
私が寄り道をしている間、同期は少し先に進み、いまは新しい生活を始めている。
世界は先に進み、私は立ち止まっていたのだろうか。
私はこれからなにをしたいのだろうか。なにをするべきなのだろうか。
わからない。私は取り戻した日常を、今まで通りに過ごしていただけなのだ。
閉じた思考のループに陥りながら、眠りにつく日々を送った。
目が覚めた。
頭が少し起これている、硬めのベッド。
なんだか、こめかみや後頭部にうっすらとした痛みを感じる。
周りを見ると、ベッドは天井から吊されているカーテンに囲まれている。
カーテンは薄い青色。私の部屋の色ではない。
定期的に小さな電子音が鳴る。
見覚えがある光景。
私はどうしたのだろうか。わからない。しかしどこにいるかはわかる。
押した。
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