特別区設置協定書の住民投票に寄せて
橋下徹さんの罪は公と民の役割をごちゃごちゃにしたところだと思う。
公は憲法に基づき、すべての人に最低限のサービスを提供し続けることが責務。そこに市場主義や、私的な論理までも持ち込んでしまった。
停滞する経済、格差社会に対するルサンチマンを煽り、吸収し、大阪を解体しようとしている。
市民たちの不満を解消するための手段は、本当に行政改革なのであろうか?そこを立ち止まって考えてほしい。
一時の不満解消のために、大きなものを失おうとしているかもしれない。
ここ数十年、資本主義というシステムの弊害が立ち現れている。
利子の償還や配当金のため資本は拡大を続けなければならない。
そのため、資本主義社会は市民たちに「消費者」であることを強要する。それは、ネットワークの分断と様々な営みのサービス化(資金化)として現れた。
周りを見渡してほしい。食事、保育、介護、あらゆる営みがサービス化されている。
「現代人は忙しいから仕方がない」
という反論もあるだろう。
そう、現代人は忙しい。ただ、その忙しさは資本に利益を還元するための労働によるものではないだろうか?
資本主義は今、終焉を迎えようとしている。あらゆる物、あらゆる人間の営みの資金化が終わろうとしているからだ。
TPPもその末期段階と言っていいだろう。グローバル化とは、世界をフラットにしてさらに資金を集めようとする仕組みのことである。
アメリカは自国に飽き足らず、世界に手を伸ばした。
より大きな資本に、あらゆる財が収斂していく。そこに犬のようについていくことが、現在日本の外交姿勢だ。
ただ、今必要なのはこの資本主義システムにすべてを吸い取られてしまう前に、分断されたネットワークを、再構築することだ。資本主義のすべてを批難するわけではない。人間の手に取り戻す物、資本主義の流れに任せるものを決め直さなければならない。
そして、資本がより大きなものに収斂していき格差を広げる経済だけでなく、顔の見える、小さなネットワークでの経済を構築し、そこでの循環を作り出すことも必要だろう。
ただインターネットの発達により、より多くの消費者に薄利多売的アプローチができるようになったこと(10箱の隅をつつくように資金を回収)と、労働力の低コスト化の成功によりなんとか息を吹き返したように見えてしまっている(残業代ゼロ法案など、より一層低コスト化強めようとしているが、、)ことが、この対応を遅らせている。まだいけるんじゃないか、という気持ちを醸成させてしまった。ただ長くは持たないであろう。
こういった大きな社会の動きを考えると、橋下徹さんの行動も、あらゆるサービスの資金化の流れを汲んでいることが分かる。
自分が生きながらえるために「資本側」に付こうとすることは、現在の生存戦略として、あながち間違ってはいないだろう。
ただ、長期的な目で見ればそれは自殺行為に他ならない。すべての資金を回収した社会は、格差を拡げることでしか維持できない。若者の力を奪い、少子化が進み、社会は弱体化し、文明を支えられなくなるだろう。そこにどんな世界が待ち受けているのか、想像もつかない。
資金化が公的機関という聖域、市民の生活を支える防壁にまで及んできたことが、資本主義の終焉を皮肉にも示している。安部総理、橋下徹さんは資本主義の傀儡にしか見えない。そこに知性はなく、ただただ資本へ寄与することに、盲目的に邁進している。
市民は断固として抵抗しなければならない。これが、本当に最後の砦。憲法にある最低限の生活を営む権利をも、資金化することになるからだ。
大阪市民には立ち止まって、考えてほしい。 これは、本当に重大な決断だ。
大阪府出身で、家庭より切り離された介護サービス、低コスト化された賃金で働く一市民より、特別区設置協定書の住民投票によせて
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