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みふじ幼稚園には知情意三色の富士山がある(その1)
■第47週■
「シュタイナー教育から”みふじ”の保育へ」高橋明男/水声社を、ぜひ多くの方に読んでいただきたいです。
ここには、よりよい未来をつくっていく
教育の実践と展望が書かれています。
著者と同じく、わたしの願いも
この本を通して、共通した願いをもって生きている人たちと
あらたな出会いがうまれて欲しい、です。
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教育はすべて自己教育
教育は全て自己教育です。私たちは教育者、保護者として、子どもたちを取り巻く環境にすぎません。
自我が誕生する21歳以降は、自分を取り巻く「環境」も選択することができます。
その前の一人ひとりの子どもたちが「自分であろう、自分になろう」とするのを(邪魔しないで)応援できる教育者、保護者でいたいです。
保護者の主体性と主観性
主体的である、自分を持っているということは、主観的、自分の見方、感じ方を持っているということです。
乳幼児期の豊かで原初的な感覚体験は、大人になってからの主体性(自己意識にもとづく行動)の基盤になると考えられます。
では、教育者、保護者自身の主体性はどうなっているのか?
という大きな問いが生まれます。
身体に支えられて
それ(子どもたちの主体的な心の動き/note主が追加)を感じ取ることができるのは、つねに保育者自身の主体性(知情意)です。大人自身が自分の身体状態(地水火風)に支えられて、主体的に感じ、考え、意欲を働かせているのです。
大人自身が、自分の身体にささえられている。
自分の身体の状態には、敏感でありたい。
でも、歳を重ねると
否が応でも
意識せざるを得なくなります。汗
同年代の仲間が、それぞれお抱えの
整体師
鍼灸師
オステオパシストをもっていることを知って
苦笑いしたところです。
主体的な心の働き
わたしは子どものころ「良い子症候群」のひとりでした。
まわりの大人の期待にこたえようとして、
「自分であろう、自分になろう」とするかわりに
「大人が期待する良い子になろう」としたら?
そのために自分の心を無視し、
自分自身と自分の心を 切り離してしまったら?
それは「トラウマだ」と
Dr.ガボール・マテ氏の
映画「トラウマの英知」で教えてもらいました。
養護=地水火風
教育=知情意については
次のnote記事でふれようと思います。
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