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新潟エコツアー旅行記

  • ウミネコとともに旅立つ

  • トキはグレーだった

  • 太古からの営み

  • 名前を付けること

  • いろんなものを祝う

  • 音と体

  • 人間と欲望

  • 運動不足と山のコーヒー

  • 共生とは

  • 繋がりを考える


ウミネコとともに旅立つ
新潟駅に集合して、佐渡汽船で佐渡にわたる。新潟駅まで来たのは2011年以来なので、10年以上ぶり。駅は再開発が行われていて、ほとんど昔の面影は思い出せないぐらいだった。タクシーで船乗り場まで行ったのだけど、想像以上に大きな船でびっくりした。カーフェーリーの2等席だったので、床に雑魚寝スタイルだったのだけど、旅行っぽくてよい。毛布はいくらかお金払うと貸してくれるらしい。

出発時にはかっぱえびせんをウミネコにやる体験をしたけど、ウミネコの動体視力のすごさに脱帽した。どこに投げても必ず拾う。一羽が取り逃しても別の一羽が必ず拾う。かっぱえびせんはウミネコにとってはよい食事だそうで、船のスピードについてこれる限り(エサ>消費カロリー)頑張って食べるとのこと。手からも直接食べるぐらい人には慣れているのだけど、めっちゃこわい・・・。がりって感じがした。手に振動が来る!!

中には口から釣り糸が垂れ下がっているウミネコも居て、やっぱりエサをとりにくくなってしまうとのこと。飛んでいるウミネコの糸を取ることはなかなかできないけど、ゴミの扱いを考えさせられる。

トキはグレーだった
到着して、車に乗せてもらい(運転してもらって有難い)、途中で能舞台もちょっと見つつ、トキの森公園に移動。人生で初めて生で時を見る。白くてちょっと桃色がかっている鳥だよね…と思いきや、グレー!!

かろうじて先のほうは桃色が見えるような・・・?

子育て期間は外敵から身を守るために、首の皮膚が剥がれ落ちて体全体がグレーになるとのこと。自分の皮膚の粉で染色…?ソンナコトッテアルノ??
(本当)

進化のすごさを感じる…。
とてもタイミングよくトキの食事シーンも観ることができた。説明によるとトキは探り食いをするので、エサの取り方があまり上手ではなく、さぎに負けてしまうとのこと。
そこは進化しておこうよ…。進化の取捨選択のされ方が謎。
トキの森公園の方が来てる人になんとしてもトキを見てもらおうと、食事とか近くに来た時はめっちゃ声をかけてくれた。とても親切だった。

そのあとはトキのテラスに移動した。池のあたりとかによく野生のトキがいるらしい。この日はここからは見えなかったのだけど、帰りがけに運よく帰宅中のトキを見ることができた。本当に野生にいるなんて、すごい。

こころの目でトキが見えるかもしれない(いない)

野生のトキが暮らせる環境を作るには、農薬を減らさなくてはいけなかったり、稲を植えない期間でも水を張ったり(水中生物を食べるから)して、地域全体の努力をされているとのこと。昔はトキは悪気はないけどせっかく植えた苗を踏みつけてしまったりするので、害鳥として扱われていたらしい。羽もきれいだしどんどんとっちゃえーみたいな感じで。自然と共生するのはきれいごとではないんだなと思う。テレビで見ていると、「かわいそう」「大事にしないと」だけに終始してしまうけど、現実はそう簡単ではない。

途中で大きいわらじを見た。昔の悪い人は村に飾ってあるわらじを見て、大きい人間がいるのだからこの村を襲うのはやめようと考えたとのことで、お守りのようなものらしい。毎年作り直すのだそう。昔の人は進撃の巨人的な感じを想像したのかな?

この日はこの後お宿に行って、お肌つるつる温泉に入って、夕ご飯。蟹…蟹を1人一杯!!(最高)佐渡の名物だそう。奥にうっすら見えるイカの一夜干しも美味しかった。日本酒との相性がとてもよい。間違いない。

かには身も味噌も美味しい。

人はご飯とともに記憶を結びつけるということをするとのこと。おいしいごはん大事。間違いない。この日の夕食は地場のものをふんだんに使ったメニューだったのだけど、おいしい食材もまた自然の恵み、有難い。

太古からの営み
翌朝は早起きして、縄文時代からの洞窟を見学。縄文時代の生活の場でもあり、今でも地元のおばあちゃんたちが集まっておしゃべりをしたりしているとのこと。なんとなく写真には納めなかったのだけど、壁に仏像が彫ってあったり神棚らしきものがあったりいろんなものがあった。いろりっぽいものもあるし、プラスチックのケースもあった。ごちゃまぜ。生活と宗教といろんなものが一体となっているというのが昔からの人間の営みであれば、それもあたりまえなのかもしれない。一人の人間の中でいろんなものが同居しているわけだから。

洞窟の前にあった大きな木

木は表皮に近いところが生きていて、中は死んでいるとのこと。だから中が空洞になっても生き続けることができるし、途中で折れたりしてしまった場合は別のとこから枝が出てきて、生命活動を続けるそう。
この木も何百年とかいきていて、江戸時代の人も同じ木を見ていたのかと思うと時間の流れに思いをはせることができる。

街並みとかが変わっていく様子を見るのが好きだと思っていたけど、変わらないであり続けているだろうものを見るのも感じるものがある気がする。気は変わらないけど、昔は海のそばの洞窟だっただろう(地殻変動で持ち上がった)から、変わらないわけじゃないか。

名前を付けること
「椿」の語源は「つやつやした葉っぱの木」だそう。確かに椿の葉っぱ、つやつやしている。納得。今回はいろいろ説明をしてもらいながらだったので、いろんな語源を教えてもらうことができたのだけど、昔の人の感性に思いをはせることができて面白い。こういうことは教えてもらわないとわからない。
きれいなたとえだなと思ったのは「ヒトリシズカ」→1人静かに咲いている花。「フタリシズカ」→2人静かに咲いている花。3人になると…かしましくなるから、静かじゃないよね!とか。この名づけをした人はセンスがある人だったんだなと思う。
でも、ピンク色で引かれた仕事のスケジュール表をチームの中で「ピンクのやつ」と呼んでいる私は見たまんまを名付けた「つやつやした葉っぱの木」の人と仲良くなれそう。

椿は佐渡の名産だそう。大島よりも古くから栽培されているとのこと。

いろんなものを祝う
美味しい朝ごはんをいただき、宿根木に移動。ここは北前船(受験勉強した以来に聞いた。)が来ていた港で、船大工さんが作った街並みだそう。確かに言われてみれば船っぽいつくりになっていて、ちょっとかわいらしい。船大工さんと建築の大工さんは似ているようで違う技術なんだな。いわれてみれば当たり前だけど、考えたことがなかった。

昔はここに北前船が来ていたのだけれど、地殻変動が起きてもう船は入ってこれないほど浅くなってしまった。今も船を係留するための石だけ残っている。
船っぽい建物。吉永小百合さんがここで観光用のポスターを取ったとのことなので、吉永小百合ごっこをして写真を撮った。

写真は撮らなかったのだけど、街の歳時記の看板があって、佐渡は芸能が盛んな島ということもあって、毎月のように何かのお祝い事をやっていた。昔の人は何かをやっては次の準備をしてということで、結構忙しく過ごしていたとのこと。現代人の感覚よりもハレの日って多かったのかもしれない。そんな芸能のひとつ、太鼓を体験するために移動。

音と体
鼓童の方が教えてくれる太鼓体験に参加。難しいことをやるわけではなく、楽しく教えてくれる先生がいて、楽しんでたたく感じ。なかなか叩かせてもらえる機会がない大きな太鼓もドーンとたたかせてもらって、とても楽しかった。
先生がちゃんとリードをとってくれるので、そこにのっていくとなんとなくなんかいい感じに叩ける感じになる。みんなでなんとなくセッションしているとなんとなく良い感じのリズムが生まれる。気持ち良い。

太鼓は世界中にしかも古来からある楽器のひとつとのことで、リズムを取って体を動かすことは人間の気持ちを動かすというのもとても原始的なものだと思う。とても楽しい。いやでも、体を動かすと気持ちが動くから、太鼓をたたくのかもしれないけど。戦意を鼓舞するときにもたたくもんな。どっちもあるかな。

あと、太鼓をたたくのに思った以上に体を使う。先生はプロの演奏家なので、先生の演奏はやっぱり全然違う。体幹が求められる(私にはない)

やまいもくんという名前の大きな太鼓。

太鼓はマトリョーシカみたいに大きな木をくりぬきくりぬきつくるそうで、しかも木の部分によっても違う太鼓になるそうな。知らなかった。太鼓の音自体が木の形や皮の状態によって左右される訳だから、作られる時から自然とのコラボレーションなんだな。

たたこう館にはカフェが併設されていて、パスタと一緒に越後姫という苺のタルトをいただいた。越後姫すごくおいしい…。甘くやわらかい…。ジュースみたい。

たまごっぽさが強いカスタードも大好物なの


人間と欲望
美しいものが人を惹きつけるのも理屈ではないのかもしれない。人間の欲望が山を割ったんだという説明を聞きながら佐渡金山へ移動。

まず最初にびっくりしたのは江戸幕府から三菱に払い下げされて、平成まで金を掘っていたということ。そんなに長い間掘っていたなんて。それだけ、良質な鉱脈であったとのこと。
山師という職業があって、鉱脈を見て坑道を切り開いていく人だったらしい。その当時のスーパー専門職ということなんだろう。

江戸時代と近代両方の坑道を見たが、江戸時代の時点でも想像していた以上にシステマチックに役割が分かれていて、採掘は行われていた。もちろん手作業なので、効率的には全然の部分はあったのだろうけど。水を排出できる手回し車みたいなものがあったりして、その時代の中では幕府直下で最先端の職場だったんだろうな。

江戸時代の坑道の出口は資料館になっていて、そこで樽と桶の違いについての説明があってとても興味深かった。すごい用途別のバリエーションがあって、木の加工技術すごかった。その辺もハイテク。

ただ、労働者にとっては肉体的にも環境的にも過酷で、やっぱり短命だったそう。明日をも知れぬ命なので、祝い事や祭りごとを精いっぱい楽しみその日暮らしをしていたらしい。そう考えると切ない…。お金はあるから娯楽は発達する。石炭の鉱山も同じような話があった。

江戸時代の坑道のあとは、近代の坑道へ。発動機がついた掘削機が導入されたり、爆薬が使われるようになって、ずっと広い道になっていた。ところどころ横道に江戸時代の手掘りの坑道と交差するぶぶんがあって、複雑に掘られていることがわかった。技術が進んだたら、取れるだけ取ってしまって、資源の枯渇が進んだ時には過去の坑道の再開発なども行ったそう。

機材も展示してあったが、工場でも見たことがある会社の名前を見かけたりして、歴史って現代につながっているんだなと改めて思った。教科書や時代劇でみてると、物語のようにも思えるけど、現実なんだな。

坑道を抜けて山を登ると、割れている部分をまじかで見ることができる。すごい割れている。人のエネルギーって良くも悪くもすさまじい。

すごい割れている。江戸時代は上から掘り、近代になったら爆破したらしい。どちらにしても金が欲しいぃぃぃという欲望。

最後、お土産コーナーで金が売られていて本日のレートが出てた。お土産に金が買える!!

そのあと、車で少し移動して北沢選鉱所に。こちらは鉱石を精製するためにつかわれた施設とのこと。右側の茶色いたてものは発電所。発電所も備えたかなり大きな施設だったそう。

蔦だらけ。

それが今は天空の城ラピュタの庭園と言われている。心優しい庭園ロボットがいるところ。

https://www.ghibli.jp/works/laputa/


フォトジェニックな場所ではあるんだけど。人間の考える見通しの甘さ…経済的価値がいかにその時だけのものであるのか…そんなことを考えさせられる場所だった。できたときは凄い!これでどんどん金を作るぞ!!と多くの人が息巻いて働いていたんだろうな。
本当に後世に残す価値があるものってなんでしょうね。

「驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。」

とってもフォトジェニックな場所になっていて、撮影したりフリスビーしたりしてる人がいて、とても良い場所だった。ソフトクリーム食べられる場所があってとても美味しかった。

ややセンチメンタルになりながら2日目も終了。おいしい夕ご飯を目の前にすると気持ちがご飯に吸い寄せられて、お刺身を満喫。ああ、こうやって欲望に流されてしまう人間…。狸がお宿にやってきていて、狸も何か一生懸命欲望に任せて地面を掘っていた。

運動不足と山のコーヒー
あっという間に3日目。一緒に行った方々にも、天気に恵まれていて本当にありがたい。

水平線が本当に線に見える。佐渡は想像より大きい島だった。

ナビ係を仰せつかりながら、ナビが出遅れて、ここ曲がるの?と聞かれるというポンコツぶりを発揮しながらいざ、アオネバ渓谷へ。青くてネバネバした土の渓谷だそう。(きっと、この名づけした人はつるつるした葉っぱの木の人と親戚)

ちょっとした沢を長靴を履いてハイキング。本当に連れてきてもらわないと、どこを歩いていいのやらわからない感じだったんだけど、とっても空気がおいしくて、高山植物の花もたくさん見られてとてもよかった。
沢にそのままはいっていったり(とても浅いので、少し濡れるぐらい)、細い道をのぼったり、ちょっとした冒険感があって、日頃にない刺激を感じた。

花盛りを調べて連れてきてもらって、感謝しかない。

シラネアオイ
ユキワリソウ
カタクリ

写真をあらためてみて思ったけれど、山は層になっているんだなと思う。土があって落ち葉があって、苔があって、草があって、花があって、木がある。近頃は景観に配慮して、都会でも緑を増やしているけれど、鉢植えや街路樹はもっと平坦な感じの緑な木がする。それだってないよりはあったほうがいいけど。コピックの色味の数でもあったけど、緑にも茶色にもいろんなバリエーションがあるのが自然なんだな。


ハイキングの終着地点でコーヒーを飲んでちょっと一休み。
「キャンプの楽しみ方がわからない人の歌」に出てきた自然の中で味わうコーヒー!!!(一人で興奮していた)やっぱりいい~♪

自然の中にいることは癒し効果があるのだけれど、それを録画してしまうと人間の耳には聞こえない部分がカットされてしまうため、そういった効果がなくなってしまうのだそう。やっぱり、すべてのものがデジタルで済むというわけではなく、身体性って大事なんだな。太鼓もそうだったけど。

新緑がきれい。

ということで、帰りの船の時間もあるため下山。体力のなさを痛感した。運動しないと…。

生酒やお饅頭などのお土産を買って、帰りはジェットフェリーに乗って佐渡とはさようなら~。あっという間の3日間だった~。
佐渡では必要最低限って思って買ったのに、新潟について物産館によって苺を買ってしまったらタガが外れたのか、結局イカやら笹団子やらいっぱい買った。全部美味しかった。

共生とは
猪などの鳥獣被害のワークショップの結果を見せてもらったときに、実際住んでいる人たちの気持ちに立って考えてなかったなと思った。「自然を守ろう」に対してはみんな賛成だと思う。だけど、そのために便利な生活を犠牲にしようとか、せっかく作った作物を甘んじて食べられよう(それはそのためにかけたコストが損失になることを意味する)とか、そういったことまで繋がって考えられていないなと思った。人間が生き物として生活していく以上、やっぱりきれいごとでは片づけられない部分がある。
でも、そこでどう折り合いをつけていくのかがかんがえていかなくてはいけないことだなと思った。

マタギの人は自然のことも熊のことも人間の生活も清濁併せのんでいるから、だから最後にはクマに殺されたとしても自然の一部になるということが迷いなく言えるのかしら。山の中で道が見えるとか、生還するためにつかむべき木の枝や石が光って見えるのは人間も自然の一部にもなれるということなのかしら。

繋がりを考える
人間は地域という共同体の一部で、さらに自然という大きな枠組みの中の一部でもあって、その恵みをもらいながら生きているんだと思う。
都会にいると、共同体を意識しないでも生きていられることが自由って気がするけど、誰かとつながっていたいと願うのはやっぱりそういうものも必要だと思っているのかもしれない。

今回このツアーを企画したり一緒にいってもらえることができて、この繋がりはとても有難いものだなと思う。なんだかとりとめもなくなってしまったけれど、ひとまずまとめとしてはこんな感じ。
また見返したら何か思うことが変わるかもしれないけど。
ああ、楽しかったー!!


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